映画『博多っ子純情』初DVD化予告篇 光石研デビュー作
監 督:曽根中生 DIGレーベル第一弾
2013年6月7日(金)堂々発売&レンタル開始!
長谷川法世原作の人気漫画『博多っ子純情』を映画化。
脚本は、『約束』、『旅の重さ』等で知られる名匠、石森史郎と
長谷川法世自身が担当。監督は大ヒットシリーズ『嗚呼!!花の
応援団』を手掛け、その後、突然消息不明となり、不穏な噂が
飛び交う中、2011年に突然表舞台に現れて話題になった曽根
中生が担当。今や個性派俳優として名を馳せる光石研のデビュー
作でもある本作は、70年代の九州の空気と中学生の青春の炎上・
爆発を見事にパッケージングし、九州のみならず全国的に大ヒット。
昭和の世をシゴく青春の数々が展開していく青春映画の金字塔
とも言える傑作が遂に初DVD化!
(1978年公開 キネマ旬報ベストテン作品)
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うわぁ。このDVDほしいなぁ。
高校生でキスしたとかせんとか純情すぎるっちゃろうもん。
中学生みたい(笑
タイムリーにおれも高校生やったけどが(苦笑
というか、設定からすると中学の役か。
あれ、中学から大学までの話だからね。
学内で高校生(中学生?)なのにヘルメットかぶってゲバやってる
のが1970年代の時代を感じさせる。うちの高校も紛争高校だった
けどさぁ(笑
この映画が撮影されたのが1977年。公開が1978年で、原作は
1976年から1983年まで漫画アクションに連載された。
なんつーか五木の『青春の門』の当時の現代版で地方都市と
学園ラブコメにしたような物語だった。なかなか面白かったよ。
博多もんの独特の感性というのは、首都圏育ちの俺には高校の時
にはまったく理解できなかったけど、俺も大学で国内の別の土地の
人と触れ合って初めて「感性の違い」を知った。九州弁や大阪弁や
東北弁を生で聴いたのも大学に入ってからが初めてだった。
大阪弁なんて1980年の漫才ブームがテレビでオンエアされる前は
東京では関西弁はまさに「映画などの画面の中のこと」でしかなかった。
お笑いブームが来て、関西芸人が東京でのTVに出るようになってから
はじめて東京人は大阪弁に身近に触れた。だから今では東京人も
「めっちゃ」とか言うようになったし、大阪人も逆に「~さぁ」とか言う
ようになった。1980年までは、きっぱりとそのような言葉は使わな
かった。
大学生になることの最大のメリットは、大学は日本全国から人が
集まるから、視野が広がることではなかろうか。まったく異文化や
感性を持った人が全国から集まる。そこで触れ合って交流すると
よく日本が見えてくるよ。
かわいい子には旅をさせろとはよく言うが、プチ海外留学で見聞を
広めるような土壌が大学という学府にはある。
学問などより、そうしたことが一番ためになったように私自身は思える。
東京地方も、東京しか知らない連中は実は東京のイナカモンであって、
東京から出たことなくて全国各地の日本人と触れ合った経験のない
人は、やはり地方から出たことがない人と同じで非常に視野が狭い。
視野というか世界観が信じられない程に狭い。
東京・大阪・京都の大学に進むと、自分中心のそれまでの自己文化
を中心に据えてのみの世界観でゴリ押しするいわゆる「中華思想」が
如何に傲慢で世の中それでは通用しない、ということを全国の人と
触れ合うことで知ることができる。東京のイナカモンも地方のイナカモン
も視野が広がる。狭い世界から一歩踏み出して「世の人」となれる。
やはり、「井蛙大海を知らず」てのはすごくあるよ。
大学といっても、地方の同じ地域の人間のみが集まるとこは、あまり
そういうものは得られないみたいだけど。同族ばかり集まって視野狭窄
の延長線上にあるから。これまた地方のそういう私立大学出身者集団を
見ていると、現実的によく分かる。
こういうことは、現象面として確かにある。
社会人になってからもそうだけど、東京でも大阪でもよいが、人が多く
集まる場所で(つまり「社会」で)人の波にもまれないと人間は視野が
広がらないということだと思う。
最近、東京で独り暮らししている娘と話していて、彼女が言ったことが
ある。彼女は東京で生まれたが1歳半から18歳まで広島県で育った
から、東京の大学で初めて「他の土地の人」と接触したのよね。「広島
だけの狭い見方や考え方がガラリと変わった」と本人も言っていたが、
やはり垣根をとっぱらうことは大切だよ。これはインターナルでインター
ナショナルな視点を持つということにおいて。
本当の意味のグローバルというのは、恣意的な政治操作用語ではなく、
そういうことのように感じる。
そうしたことを踏まえた上で、「(自分は)博多もんやき」という矜持のような
ものを持つことは、アイデンティティの確立であるので、これはいいことで
あるのではないかなぁ。
ところで、俺が常々妻子はじめ友人たちから「ブス好み」と言われている
理由が分かった気がする。
俺、松本ちえこさん大好きだったもの(^^;
離れ目アイドルの原点ここにあり!
てか、好きな顔の原点、ここにあり!
トレーラー観ていて自分で納得した(笑
(撮影時松本さんは18歳でした。撮影時は高校3年。高校生なのに
中学生の役(笑)。公開が1978年12月なので、年内撮影だとしたら
もしかしたら19歳だったかも。高校の時は品川の中延学園学園女子
に通ってた。おらの1コ上。1975年バスボンのCMでブレイクして、
俺が中学の時にはかなり人気ありました。ブスかわアイドルはこの人
が日本初かと)
曾根監督は2014年8月26日に逝去されました。
ご冥福をお祈りします。