近所に住む娘婿の実家に不幸があり、弔問のため長崎市へ赴きました。高速道を走れば2時間もかからない距離ですが、ここ数年は高速を利用していないので、用心して列車の旅を選びました。
新幹線の開通とともにJR久留米駅は橋上駅になりました。2階は自由通路になっており、駅東から西口へ抜けることが出来ます。大きな時計はからくり時計。
鳥栖駅で長崎本線に乗り換えます。私が乗車する白いかもめがやって来ました。
長崎駅に着きました。来年の秋には新幹線が部分開通します。ただ武雄から鳥栖までは佐賀県と国との間に確執があり、整備方針が決まっていません。
向こうが長崎駅です。私が記憶しているのは2代前の駅舎で、三角屋根のいかにも終着駅という雰囲気が漂っていました。新幹線駅はどこも同じような印象で個性がありません。
旧駅舎は解体されて工事の真っ最中です。写真の左手にホテルや駅ビルができ、右側に駅前広場が整備されます。駅前が面目を一新するには、あと数年はかかりそうです。新しい駅舎は大通りの電停から100mも西へ移動しました。
駅前の大通り。左に行けば市役所や市民会館などの官庁街、右へ行けば出島や大浦海岸方面です。大きな歩道橋が長崎駅前の通りを囲んでおり、高架広場もあります。
着いたのは午後も遅い時間。弔いは翌日なので、ぶらりと街歩きをすることにしました。娘は学生時代に長崎に住んでいたので、この町にはよく通ったものです。懐かしさもあり、そのころの下宿近くの街の様子を見に行きました。長崎は湾の東側に沿って市街地を形成しており、町中の移動は市電が便利です。
こちらは新しい低床型の車両です。
大浦天主堂電停。この先は終着の石橋停留所で、娘の下宿はこの近くです。長崎へ行くとこのあたりを往来していました。
大浦海岸通りにあるべっ甲工芸館です。もとは長崎税関派出所でした。港に面したこの辺りや旧外国人居留地には、明治期の古い建物が記念館などとして残っています。
右にある古い建物は旧香港上海銀行長崎支店です。近くには旧英国領事館も残っていて往時の繁栄ぶりが偲ばれます。左手のユニークなビルは中華料理の老舗「四海楼」 チャンポン発祥の店ともいわれます。改築前の同店でチャンポンを食べたことがありますが、やはり3、4階建ての修学旅行生が利用するような大きな店でした。
インバウンドが盛んなころは、この松ヶ枝埠頭に大型のクルーズ船が停泊していました。そばには国際ターミナルがありますが、いまは客船の雄姿はなくひっそりとしています。
海上保安庁の船が舫っていました。港はいいですね。私は筑後平野のど真ん中に住んでいるので、ときどき開放的な海の景色が恋しくなります。逆に狭い土地に住む長崎の人からすれば、広々とした平野の暮らしが良いようです。長崎は坂の町でもあります。
東山手近くにある孔子廟です。むかし孔子祭の日に、たまたまここを訪れたことがあります。廟内で繰り広げられる儀式と独特の中国音曲の調べに異国情緒をかき立てられたものです。敷地内には中国歴代博物館があり一見の価値があります。
歌にも出てくる山手地区のオランダ坂です。「オランダ坂」と記された石柱が立つ坂の上は活水女子大学です。オランダ坂は日本三大がっかり名所ともいわれますが、このあたりは旧外国人居留区で、いまもミッション系の学校や洋館群があり、眼下には先ほどの孔子廟や波止場を見下ろすことが出来ます。異国情緒あふれる長崎らしい坂道です。
新地中華街のそばにある湊公園は、その名の通り長崎港に流れ込む河口を埋め立てたものです。ランタンフェスティバルのメイン会場でもあり、その時は身動きも取れないような人込みで賑わいます。
暮色が濃くなってきました。新地中華街です。横浜などと比べてそう規模は大きくありません。毎年2月のランタンフェスティバルは今年は中止になり、来年は規模を大幅縮小して開催されるようです。以前来た時は龍踊を見学しました。もう一度、中華街に灯る幻夢の様なランタン群を見たいですね。
いつもは観光客や修学旅行生で賑わいますが、コロナ禍のいまは多くの店が閉じていました。
市電で駅前のホテルに戻り、1階のショッピング街を歩きました。夜の帳が下りようとするころで、勤め帰りの人が行き交い、ガラス越しにはカフェの灯りの下で談笑する人々がいます。みな、それぞれの仕事があり、友人たちと寛ぐ時間があります。刺激のない凡凡とした日々を過ごしていて、旅先で街の風景を眺めていると心のざわめきを覚えます。
私も先日初めて久留米駅の新幹線を使い寂しいな<?>と思いました
長崎には昨年旅しましたので久しぶりに懐かしく
写真を見て思い出しています
好きな街ですよ~~
若かりし頃、電車に乗って何回も行ったり来たり
楽しんだことがあります
JR駅は新幹線が出来てから周辺にマンションが増えました。
長崎は好きな町です。
小さな町ですが、人を引き付ける魅力があります。