世界の五大陸をバイクで走破した彼の最後の旅、ユーラシア大陸横断の紀行である。
2009年、ポルトガルのロカ岬をスタートし、南欧からイスラムの国を抜け、中央アジア、シルクロードを通って中国を西から東へひた走る。そして最後はロシアのウラジオストクへ。4か月、3万キロに及ぶ旅である。
土埃が舞い上がる沙漠を突っ走り、原野を駆け抜ける。そして酷寒の地でブリザードが吹く中、アイスバーンをゆっくりとスタンディングの態勢でやり過ごしていく。町はオアシスであり、草臥れた体を休めるところである。そうして彼は五大陸を走って来た。
彼の旅は決して冒険ではない。1年以上前から情報を集め協力者を募り、用意周到な準備を整えてサポートカーと共に出発する。ただ異国の地は行ってみなければわからない。国境の通関で立往生したり、宿も定めず「予定調和」ではないのである。
彼の紀行の醍醐味は人々との触れ合いである。国の幹線道路を走るトラックドライバー達の親切や地元の人々から受けるもてなし、市場での商人とのやりとり。通り過ぎる国々の表の顔とは違った生活者の表情が見えてくる。
また紀行を読む愉しみはその地への親近感と臨場感にある。淡々とした筆致で語られる自然の姿や人々との語らいを、自分もその場にいるように感じる。私が著者の旅に接したのは随分前になる。たまたま旅チャンネルでアフリカ大陸縦断紀行のシリーズを観て、その乾いた映像に惹かれたのが最初である。
いつだったか、NHKの深夜番組で効果音のない紀行番組を放映していた。字幕に中国・長江河畔の地名が出るだけでナレーションもなく、音楽も流れず、ただ町の市場をカメラが進んでいく。市場で交わされる会話や人々の息遣い、車の音が聞こえるだけの画面を観ていて引き込まれ、思わず自分が現場にいるような錯覚を覚えたことがある。
彼の紀行番組には、そのようなハードボイルドの味わいがあった。
戸井がユーラシア横断の旅に出たのは還暦を過ぎてからである。何が彼をバイクでの旅へと駆り立てたのか。本書で彼は言う。「バイクで旅すると全身で風景と出会える」「(足元の石ころから地平線に沈む夕陽まで)その風景の断片が集まって旅の記憶になる...世界が少しだけ見えてくる」
だからまだ体が動く50歳前に五大陸走破の旅を始めた。彼はユーラシア横断の旅で出会ったバイク乗りに言われる。「お前もいずれ老いる。その時こそ、旅することの本当の意味が分かるだろう」
彼は私と同世代である。しかし私とは随分に肌合いが異なっている。私は観察者的であり、彼は実行者である。仮に同級生であっても多分友人にはならなかったであろう。だが私は彼のごつごつした旅の記録が好きだった。惜しいことに彼は数年前に他界した。
戸井十月は生涯、多くの旅をした。私は彼のような予定調和でない旅をしたことはほとんどない。今日まで馬齢を重ねてきたが、世にいう如く人生もまた旅であるといえるだろうか。
フリーフォトより
戸井さんが、この書評を読んだら「うんうん、そうそう」と喜ぶことでしょう。
確かに、NHKの紀行番組でも、ハードボイルドな男の味わいがありましたね。
人生のページが残り少なくなってからの旅は、いったいどんな風景、どんな心象風景なのだろうかと、惹かれます。
味わいのある書評に磁力を感じました。
ありがとうございました。
私は精読をしないので、書評というより感想に近いです。
ただ彼の著書に仮託して、自分が出来なかったことや人生に対する想いを語ったところがあります。
感性は人それぞれですが、私は情緒纏綿たる文章も好きです。しかし自分が書くときはハードボイルド志向になります。