田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

内田百閒の「イヤダカラ、イヤダ」

2015年11月22日 | 話の小箱

 内田百閒は、その猫好きや、借金漬けの生活、映画にもなった「摩阿陀会」など、逸話の多い人物である。芸術院会員に推薦された時の辞退の理由「イヤダカラ、イヤダ」という名文句もその一つである。

 昭和42年、内田百閒は芸術院の推薦により会員の候補となる。ここからは新潮文庫「百鬼園随筆」の川上弘美氏の解説から掻い摘んで紹介する。

 会員への推薦を知った百閒先生はこれを断わろうと、自分の弟子を芸術院院長の所に差し向ける。その際、この通りに言いなさいと持たせたメモが紹介されている。原文はカタカナであるが、要約の上、平仮名にして引用する。

 まず、推薦の御礼を丁重に述べたうえで、辞退の理由を次のように言う。

(辞退はなぜか)

 芸術院という会に這入るのが嫌なのです。

(なぜ嫌なのか)

 気が進まないから。

(なぜ気が進まないのか)

 嫌だから。

 百閒先生は、これを繰り返して済ませろとメモに書いている。「イヤダカラ、イヤダ」という文句はこれを縮めて伝えられた。

 日本芸術院は文化庁所管の栄誉機関であり、会員は名誉と一定の収入が得られるのだが、百閒先生はよほど組織に縛られるのが嫌だったらしい。断る理由としてはこれ以上のものはない。いかにも頑固で自分に正直な彼の面目躍如たるものがある。

 我が身を顧みると、仕事の上では物事が前に進んでいくよう、自分を抑えることが常であった。習い性となって、プライベートでもそれが大人の対応だと思っていた。

 今は仕事から身を引き、所属していた組織からは自由である。若干の関わりは残っているが、給料を得ている訳ではないので縛られることはない。ただ、いざという時はどうか。心もとない気がしないでもない。

 身の回りのしがらみや義理、不義理の付き合いで我を押し通せるか。全く自信がない。

 だから一度言ってみたい。

 「イヤダカラ、イヤダ」

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブリヂストン通りの秋 | トップ | 「道の駅たちばな」でお買い物 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

話の小箱」カテゴリの最新記事