内田百閒は、その猫好きや、借金漬けの生活、映画にもなった「摩阿陀会」など、逸話の多い人物である。芸術院会員に推薦された時の辞退の理由「イヤダカラ、イヤダ」という名文句もその一つである。
昭和42年、内田百閒は芸術院の推薦により会員の候補となる。ここからは新潮文庫「百鬼園随筆」の川上弘美氏の解説から掻い摘んで紹介する。
会員への推薦を知った百閒先生はこれを断わろうと、自分の弟子を芸術院院長の所に差し向ける。その際、この通りに言いなさいと持たせたメモが紹介されている。原文はカタカナであるが、要約の上、平仮名にして引用する。
まず、推薦の御礼を丁重に述べたうえで、辞退の理由を次のように言う。
(辞退はなぜか)
芸術院という会に這入るのが嫌なのです。
(なぜ嫌なのか)
気が進まないから。
(なぜ気が進まないのか)
嫌だから。
百閒先生は、これを繰り返して済ませろとメモに書いている。「イヤダカラ、イヤダ」という文句はこれを縮めて伝えられた。
日本芸術院は文化庁所管の栄誉機関であり、会員は名誉と一定の収入が得られるのだが、百閒先生はよほど組織に縛られるのが嫌だったらしい。断る理由としてはこれ以上のものはない。いかにも頑固で自分に正直な彼の面目躍如たるものがある。
我が身を顧みると、仕事の上では物事が前に進んでいくよう、自分を抑えることが常であった。習い性となって、プライベートでもそれが大人の対応だと思っていた。
今は仕事から身を引き、所属していた組織からは自由である。若干の関わりは残っているが、給料を得ている訳ではないので縛られることはない。ただ、いざという時はどうか。心もとない気がしないでもない。
身の回りのしがらみや義理、不義理の付き合いで我を押し通せるか。全く自信がない。
だから一度言ってみたい。
「イヤダカラ、イヤダ」
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