柳川の掘割端を少し歩いてきました。柳川までは車で30分ほどで、この日は夕方まで暖かい日差しに恵まれました。図書館をスタート地点にします。閲覧室で本棚を一通り見て回ったあと、街歩きマップを頂いて歩きはじめました。
向こうからどんこ船が下ってきます。右手の白い建物は結婚式場です。少し下流にある日吉神社で挙式した後、新郎新婦や親族がここまでどんこ船に乗って来て披露宴に臨むこともあります。川下りコースはこの建物から向かって右に折れます。
私は川下りコースではなく、船が通わない掘割沿いを歩くことにしました。結婚式場から川下り船とは逆の方向に歩きます。柳川については何度か紹介していますが、川下りの記事はこちらとこちらです。
川下りは柳川観光の目玉で、掘割は綺麗に整備されています。しかし船が行き来しない水路は草が生い茂り、また違った水郷の表情を見せています。
この大木は夏には水面に陰を落とし、魚たちに安らぎの場を提供するのでしょう。
この風景を見ると私は非常な懐かしさを覚えます。筑後平野や佐賀平野では、こうした農業用水路のクリークが田園地帯の中に網の目のように張り巡らされていました。少年時代、夏場になると兼業農家だった学校の先生の家に遊びに行き、クリークでよく鮒釣りに興じました。
クリークは集落の中にまで入り込んでいました。いまではクリークは統廃合されてしまい、昔の面影は薄れました。その風景が目の前にあるのです。
こうした処では掘割は人々の生活の身近にありました。なにせ家の裏がクリークなのです。農業の衰退や水源転換などでクリークの役目が失われてくると、クリークは勝手に埋められたり物が捨てられたりして荒廃するようになります。
まちなかにある柳川の掘割も一時こうした状況にありました。そこから掘割再生の物語があるのですが、またの機会に紹介します。
道沿いの家に咲いていた山茶花です。
掘割沿いの景観は観光コースではないので普段着のままです。
遊歩道を行く私を案内するように、サギが前を歩いていました。近づくとまた前に進みます。飛び去りはしないのですが、なかなか追いつけません。
旧藩校の流れをくむ伝習館高校のところまで来ました。官公庁街はすぐ近くです。
先ほどのサギが対岸にいました。
この支流は木の葉に覆われていて、どこに通じるのかわかりません。
広い掘割と別れて、細い水路沿いを歩くことにしました。
田畑と住宅が混在する地区に「宮川温州園」がありました。温州(うんしゅう)蜜柑は鹿児島が発祥だそうですが、ここはその系列である宮川早生の原木園です。もっとも、写真の木は2代目です。温州ミカンの名は小さい頃から馴染んでいました。
温州園に咲いていた山茶花。寒椿のような気もします。
図書館に戻ってきました。1万歩弱の散歩でした。
1万歩の散策、羨ましいです。
九州には 一昨年 やっと1度 九重を訪ねることが出来て類で なかなか 行けませんが 九州様の レポート、情報で 行きたいところが 次々 増えてきて・・・、足腰動ける内には・・・なんて 考えています。
柳川の風情・・観光のため整備されたエリアも もちろんいいですが 今回ご紹介のような 元々の風景、いいですね。
ブログ映像拝見して・・どこかで観た風景と
思いましたら数年前観光ツァーで舟下りしました
その時名店街から吊るし雛を購入し::素敵な
想いでになってます。
観光名所におられていいですね。
私は山登りはしませんが、阿蘇・九重は雄大な自然があります。
今回散歩したのは、観光コースではない掘割の沿道です。
少年時代の情景が甦ってきました。
もともとは祖母や親戚が、孫娘の初節句のために作ったものです。
私は柳川には住んでいませんが、子供の頃から馴染みがある土地です。