慶応4年2月30日(旧暦)、天皇はフランス、オランダ、イギリス3か国の公使を謁見します。
ところがイギリス公使のハリー・パークスが、参朝のため宿舎の知恩院を出て御所に向かう途中、二人の暴漢に襲われます。この時は付き添っていた後藤象二郎と中井弘蔵が暴漢の一人を打倒し、もう一人はイギリス警備兵に捕縛されて公使は危うく難を逃れます。
このため、イギリス公使の謁見は3月3日に延期されました。その時のやりとりが太政官日誌にまとめられています。天皇からは遺憾の意が述べられ、公使は謝意を表しています。
この襲撃は、まだ江戸城が明け渡される前の出来事です。戊辰戦争の趨勢もはっきりとは定まっていませんでした。新政府を支持していたイギリス公使が襲撃されたことは一大事でした。
関心のある方は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーをご覧ください。
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