田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

大正は遠くなりにけり

2015年07月24日 | 話の小箱

 大正は遠くなりにけり。こう言ったら大正生まれの人から叱られるだろうか。

 私事になるが先月、母が他界した。大正9年生まれの95歳であった。夫を早くに亡くして以来、40年近く一人暮らしをしてきた。施設に入るのは嫌だと言いながら、病気ひとつせず、最近は兄が身の回りの世話をしていた。その日は兄が母に声をかけて買い物に出かけ、帰って来た時は布団の中で息を引き取っていた。兄も最初は気付かなかった程、安らかな顔であった。母は誰に看取られることもなく一人で旅立ってしまったが、私は大往生であったと思っている。

 母は当時の朝鮮で生まれた。現地で父と結婚して兄を生み、終戦後は幼い兄を連れて郷里に引き揚げてきた。父は洗濯業に職を見つけたが、家でも洗濯の内職をし、母が配達や営業をして私たちを育ててくれた。小学生の時には、得意先回りをする母の後をよくついて回ったものである。

 さて、そうした大正世代も去りゆこうとしている。日本の人口が1億2千7百万人であるが、大正生まれは約160万人、全体の1パーセント強である。大正15年(昭和元年)生まれの人が89歳である。

 正直、大正世代の人々は苦労をし、損な役回りをしたと思う。大正ロマンとか大正デモクラシーなど大正時代は明るいイメージがあるが、大正時代は15年しかなかった。つまり大正生まれは全員、大正時代には成人していない。むしろ大正世代が青春時代を過ごしたのは、昭和初期の恐慌や、戦争の暗い時代であった。戦死者も大正世代が多い。

 そして戦後は企業戦士としてがむしゃらに働き、高度経済成長の大きな力となった。母は大正世代の典型でもある。その母が逝き、大正は遠くなりにけりと思うのである。

(追記)

 「昭和は遠くなりにけり」と題したブログがあった。昭和初期に生まれた著名人が相次いで亡くなるので、そういう感慨があるのかも知れない。しかし昭和64年生まれの人は、まだ26歳の青春真っ只中である。昭和は長かった。

 

 

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