ちょっとした用事があり、市役所の近くに行きました。写真は久留米市役所です。
久留米は律令時代から筑後地方の中心地で、江戸時代は有馬家21万石の城下町でした。しかし今、久留米に行っても城下町の面影は感じられません。篠山城といわれる城址と17ケ寺が現存する寺町界隈にその名残があるだけです。城を二重に取り巻いていた濠も埋め立てられています。
市役所に隣接して両替町公園があります。以前はここに市役所の旧庁舎がありました。江戸時代に藩の迎賓館である「御使者屋」があったところです。ここには両替商があったので両替町と呼ばれていました。
市役所の右手にある白い建物は市民会館で、城の外濠があったところです。その向こう側に高級武士の屋敷があり、二の丸、三の丸、本丸といった城内に通じていました。外堀からこちらがわ手前が町方で、市役所近辺だけを列挙すると両替町、呉服町、米屋町、魚屋町、鍛冶屋町、築島町、細工町、縄手町などの、城下町を偲ばせる町名がずらりと並んでいました。
しかし私が郷里に帰って来て間もない頃、市は町界町名変更を行い、これらの町名を消し去り、城南町や中央町という変哲もない町名に変えてしまいました。明治以降には内堀や外濠も埋めてしまった上に、こんどは歴史的町名までなくしたのです。 これにはがっかりしました。
ただ近年はその反省の上に立ったのか、込み入った地番を整理する住居表示事業では、昔からある地名を生かした町名にしています。その方が、古くからの地名に親しんでいる住民の協力も得やすいからです。
最近になって、市役所近辺では旧町名を表示する地名標を建てています。
旧両替町です。町名の謂れも書かれています。
旧細工町です。旧町の墓標のような気もしないではありませんが、こうして昔の記憶を残すのは良いことだと思います。そもそも旧町名を無くさなければ、こんな必要もなかったと思うのですが。
町名ではありませんが、町方の通り町筋と柳川往還が交差する処に建てられた高札場の跡です。
両替町公園に設置された旧城下の説明版。近頃は歴史を甦らせる事に力を入れているようですね。
旧第十七銀行だった建物の前に設置された柳川往還の説明板。
私も古い町名が好きです
折々、古い町名の標識を見るのが好きです
歴史を甦らせる事……歴史が好きな私は
興味ありますよ
小倉も城下町ですね。
地図を見たら歴史的町名が残っているようです。
小倉城と町との位置関係がよくわかります。