一昨日16日の記事と一部重複するが、バイクで現地に行ってみたので、
孔舎衙(くさか)健康道場跡のことをもう少し書いてみる。
吉田誠宏先生について・・・も参考に。
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20181116
ウィキペディアより
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孔舎衙村(くさかむら)は、大阪府中河内郡にあった村。
現在の東大阪市の北東端にあたる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、
河内郡日下村・善根寺村・布市村・河内屋南新田の区域をもって日根市村が発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 所属郡が中河内郡に変更。
1912年(大正元年)10月1日 - 日根市村が改称して孔舎衙(くさか)村となる。
1955年(昭和30年)1月11日 - 枚岡町・縄手町・石切町と合併して枚岡市が発足。同日孔舎衙村廃止。
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ややこしいのは、昔ここにあった「孔舎衛坂駅」である。
孔舎衙(くさか)村の孔舎衛(くさえ)坂。
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昔、近鉄奈良線の石切駅の奈良寄りに「孔舎衛坂(くさえざか)駅」という駅があった。
旧生駒トンネルを出たすぐの駅で、次の石切駅の間にも鷲尾トンネルがあり、
トンネルとトンネルに挟まれた、山間の薄暗い駅だった記憶がある。
(現在の石切駅は、開削した鷲尾トンネルの跡地に作られた)
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1914年(大正3年)7月17日、日下駅(くさかえき)として開業。
1918年(大正7年)鷲尾駅と改称。
1940年(昭和15年)6月、孔舎衛坂駅と改称。
1964年(昭和39年)7月23日、新生駒トンネル開通の路線変更により廃駅。
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とあるように、日下駅(くさかえき)として開業したのに、
あとで、孔舎衛坂駅(くさえざかえき)とした。
孔舎衛坂駅(くさえざかえき)の近くに出来たのが日下遊園地(くさかゆうえんち)。
そのあとに出来たのが、孔舎衙(くさか)健康道場である。
日下(くさか)と孔舎衙(くさか)、孔舎衛(くさえ)の混乱である。
「衙」と「衛」の混乱。ああ、ややこしい。
孔舎衛坂駅の西寄り、少し下ったところに日下新池(天女が池)という池がある。
日下遊園地は、日下新池のほとりに大正4年に地元の手で開設され、
北側に日下温泉、東側には料理旅館「永楽館」と少女歌劇団の舞台があった。
乗馬クラブ、貸ボート、ミニ動物園もあり小さいながらの盛況な遊園地だった。
電車に乗るのも珍しい娯楽の少ない時代である。
電車に乗っておいしい物を食べ、温泉に入ったり歌劇を見たりすることは、
当時としては大変な娯楽だったのだろう。
しかし、大正15年の「あやめ池遊園地」、昭和4年の「生駒山上遊園地」の開園で、
日下遊園地はすっかりさびれてしまい、料理旅館「永楽館」は吉田誠宏によって買い取られ、
「孔舎衙健康道場(くさかけんこうどうじょう)」という結核療養所に生まれ変わる。
現在、その跡地は「パンドラの丘」と名前を変え、地元の憩いの場となっている。
ちなみに・・・
神ゼウスが、まがまがしい物がいっぱい入った箱をパンドラという女性に持たせた。
好奇心から、パンドラは、その箱を開けたので、まがまがしい物が世界中に飛び広がった。
で、驚いたパンドラはあわてて箱のフタを閉めた。
結局、箱の中には希望だけが残った・・・という話。
とすると、パンドラの丘は「希望の丘」ということか。
(池の東側、温泉のあった場所)
(ヒトモトススキの説明碑)
(2018年12月4日訂正、ヒトモトススキだと思っていたら、ただのススキだった)
(こちらが本物のヒトモトススキ、東大阪市の広報サイトから拝借)
(同じく、東大阪市の広報サイトから拝借)
ヒトモトススキはイネ科のススキではなくカヤツリグサ科である。
海辺に広く分布するというが、こんな山すそに自生しているのは、
かってここが海岸であり、ここから見える大阪平野が大昔は海だった名残りである。
(日下山を市民の森にする会の地図)
(北東側から見た日下新池と大阪平野)
(孔舎衙健康道場跡の前の説明文)
(上記の拡大、孔舎衙健康道場と太宰治の説明文)
(孔舎衙健康道場跡、現、パンドラの丘から日下新池を望む)
(池の南側からパンドラの丘を望む)
(説明文にあった風景が上の写真に重なる)
(蛇足になるが、夜は東住吉で一刀流の稽古だった)