稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

奥琵琶湖でのサイクリング

2017年08月18日 | 旅行や街角メモリー
お盆中は、ある剣術稽古の合宿に参加した。
三泊四日(初日と最終日は半日)の合宿である。

毎朝、夜明けとともに自転車で近所を回るのを楽しみにしている。
午前4時45分頃に起きて、5時に出発する。

自転車はミヤタの古い通勤通学用。
7段変速だが、本格的なロードバイクとは違う。
言ってみればママチャリに毛が生えたような自転車だ。

ようやく夜が明ける、何とも清々しい気持ちになる時間である。
気温は25度前後。汗はかくが、またそれも気持ちがいい。

今回はカメラのテストも兼ねているので写真を紹介する次第。


(11日、道場の窓から、この写真は初日だからお昼過ぎの風景、NEX-5)


(12日AM6時半頃、海津港、雨が降ってきたので早々に退散した、NEX-5)


(13日AM5時過ぎ、海津大崎付近、右手での片手撮影、WX-350)


(13日AM6時過ぎ、菅浦港の菅浦神社鳥居付近、WX-350)


(13日AM5時半頃、大浦付近、NEX-6)


(13日AM6時過ぎ、菅浦神社の参道、NEX-6)


(13日AM6時過ぎ、菅浦神社、ここから先は土足厳禁、NEX-6)


(13日AM6時過ぎ、参道の途中にあった地蔵群、NEX-6)


(13日AM6時過ぎ、参道を上から撮影、菅浦が見える、NEX-6)


(14日AM5時半頃、今津浜から撮影、右に竹生島が見える、NEX-5)


(14日AM5時半頃、今津付近の民家の道路際にあった「ミニ飛び出し坊や」、NEX-6)


(14日AM6時過ぎ、石田川、この川はサギが多い、NEX-6)

NEX-6はレンズが明るいので、バックのボケが面白い。
被写体深度(ピントが合う範囲)がまだわかっていないので失敗も多い。
気軽に撮れて、そこそこキレイに撮れるのはコンパクトカメラのWX-350。
購入したばかりのNEX-5にはまだ慣れていない。
オートレンズを装着しているのに手ブレやピンボケばかりしている。
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夜景の撮影は難しい

2017年08月03日 | 旅行や街角メモリー
昨日届いた中古のNEX-5。小さくて気に入った。
仕事の合間に部屋の中をバシャバシャ撮って、
設定の違いや、操作の方法など、一通り出来るようになった。
事務所にあった、余りもののストラップも付けた。

帰り道、生駒山を越える途中で大阪の景色が素晴らしく、
「これは試しに撮ってみよう」と龍間の交差点から阪奈ホテル方面へ。
途中の橋の上に車を停めて大阪の夜景を撮影。


(NEX-5、f3.5-5.6/16-50mm のオートレンズを装着している)

ところがだ。これがうまく行かない。
ノイズリダクションやらが作動して、魂が天に昇っていくような写真になる。


(設定を変えて撮影しても全部こんな感じになる)

最初は手ブレかと思ったが、何回撮っても、設定を変えてもうまくいかない。
マニュアルで撮ると何とかなった。若干の手ブレは仕方が無い。


(本当はもっと暗い。画像処理で明るくしてみた)

で、NEX-6に変えて撮影。


(NEX-6、f1.7/35mm のマニュアルレンズを装着している)

これで撮ったのが下の写真。望遠では無いので風景は若干小さく写る。
結局、小1時間、暗闇でカメラと格闘していた。夜の10時過ぎの話である。



夜景は手持ちではなく三脚を使わないとキレイに撮れないと痛感した。
ガードレールの上で手を固定したが、やはり少しはブレてしまう。

ま、今回は、失敗もありーの、テスト撮影でした。
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れんげ畑

2017年04月28日 | 旅行や街角メモリー




5月14日の指導者講習会の申し込みが昨日の27日で締め切りで、
昨日は忙しいのに大急ぎで大阪府剣道連盟まで申し込みに行った。
剣道教士の審査のために年に2回の講習会を受けないと駄目なのだ。

実は骨折のお陰で1年遅れている。
最近少し焦っているのだ。

帰り道は周りがレンゲ畑。
小さい頃はレンゲなどどこでも見かけたものだが、
最近ではとんと見かけなくなって、事務所の近くで見るだけ。



そしてきょうはプレミアムフライデー。
稽古に行くか迷ったけど、少し早めに帰ることにした。
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大阪の夜景

2017年04月24日 | 旅行や街角メモリー

(天気が良く、大阪湾から淡路島まで見えました)

日曜日も仕事で遅くなった。
5月の連休前後は忙しいというか、
他に何も出来ないほど余裕が無い毎日だ。
当然、休みの日も無い。帰りも遅い。

帰り道は生駒山を越えていく。
一瞬だけだが大阪の夜景が広がる場所がある。
少しだけ心が癒される瞬間だ。
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ミニミニ花見(東大阪)

2017年04月06日 | 旅行や街角メモリー

(東大阪市 加納西公園)

お昼に自転車で住道駅のみどりの窓口まで。
5月6日が長男の結婚式なので東京まで日帰り往復4人分。
新幹線は合計で11万2880円。大きな出費だ。

暖かくて気持ちが良い。
帰り道で小さな公園の桜を撮影。

1分程度の、小さな小さな花見です。
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地下道の記憶(大阪の御堂筋)

2017年03月12日 | 旅行や街角メモリー

(写真は記憶に一番近かったもので、
 自然万華鏡 http://nbmyzk.exblog.jp/22843497/ から拝借し少し加工した)

大阪の御堂筋には横断するためだけの地下道があった。
今は無い。かなり昔、昭和30年代に埋められたと聞いた。

6才になる前に奈良に引っ越したから記憶は5才までの記憶である。
当時は大阪市南区順慶町に住んでいた。
遊びに行くのは御堂筋を渡って難波神社や新町のほうだった。

横断地下道は難波神社の近く、
今の三井住友銀行船場支店の近くと記憶する。
5才児の記憶なので間違っていても仕方ない。

この地下道、怖くて数回しか通っていない。
幅の広い御堂筋を横断するので小さな子供にはとてつもなく長いと感じた。
照明は裸電球だけで薄暗く、湿った空気が淀んでいて小便臭かった。
昼間でも何か化け物でも出そうな雰囲気があった。

ほどなく鉄格子で閉ざされ通行できなくなった。
埋められたのは閉鎖されてから何年も経ってからだと思う。

実はこの地下道、ずっと記憶の片隅にあったが、場所がわからなかった。
どこかわからないが、薄暗い湿った地下道がイメージとして残っていただけだ。
もしかしたらテレビや映画で見たシーンなのかも知れないと思っていた。

今から10年以上も前に、せんば心斎橋筋商店街 の会合で、
私より5才ほど上の方と話していた際、もしやと思って聞いてみたら知っておられた。

3つ年上の長兄(粕井滋)さえも忘れていた地下道の記憶。
イメージだけが残っている不思議な記憶である。
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日本土鈴館に行ってきた

2017年03月05日 | 旅行や街角メモリー
日本土鈴館に行ってきた。
土鈴と書いて「どれい」と読む。
「どれいかん」と口に出して言うと「奴隷館」みたいだ。
説明する時は「土の鈴と書いてドレイと読みます」といちいち言うしか無い。


(岐阜県郡上市白鳥町大島の国道156号線沿)

日本土鈴館は岐阜県郡上市白鳥町にある。
そこそこ大きな博物館だが館長お一人で運営されている。(お掃除とかは別)
館長の遠山一男さんは昭和元年生まれで90才。
奇しくも長正館の館長と同い年だ。

(長正館館長も90才)


(遠山館長とのツーショット)

ここには祖父の粕井豊誠(信一)の集めた 土鈴の一部が展示してある。
ネットで「粕井豊誠」を調べていて偶然見つけて訪れた次第だ。

日本土鈴館のサイト
http://www.nihondorei.com/index.html


サイトには年中無休で入館料500円とあるが今年からは無料で開放されているとの事。

それにしても6万点を超える収集物には圧倒される。
急いで見て回り、館長のお話を聞いていたらすっかり遅くなってしまった。

展示物の写真もいくつか撮ったので、またこのブログで紹介します。
それにしても、好きな事をしている人は元気で長生きということが良くわかった。
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嬉しい心遣い

2017年03月04日 | 旅行や街角メモリー


月の初めの土曜日は朝5時に起きて長正館に向かう。
7時15分からの一刀流の稽古のためである。
昔、京都から始発に乗って来る、ある先生のために7時15分にしたのだとか。

早朝の朝食は家の近くの牛丼屋。
食事を終えてから薬を飲む。
痛風と高血圧の薬。

たまにだが、薬を飲もうとゴソゴソしていると、
何も言わないのにコップに水を入れて出してくれる時がある。
やっぱりお茶より水のほうが良い。

水を出された時は嬉しい気分になる。
マニュアルには無い心遣い。
自分も忘れず心がけたいものだ。
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和歌山県みなべ町の朝日楼に泊まる

2017年02月06日 | 旅行や街角メモリー


毎年2月の第一の土日は剣術仲間と近場で一泊の旅行に行くことにしている。
今年はちょっと遠くて和歌山となった。
白浜宿泊の予定が、わけあって、急きょ近くの、
みなべ町(南部町)の、朝日楼というホテルに宿泊した。

致命的では無いのだが、全体的に少しずつ残念なところがあって、
ちまちまと、あちこち言いたい事づくしの宿であった。

こういう残念な宿というのは最近では珍しい。
惜しい、もうちと努力せい! と言いたい。

でも、まあまあ楽しく、料理とお酒と温泉を楽しんで歓談した。

チェックインした時に窓から夕陽が見えたので、
ほとんど開かない窓から腕を伸ばして片手で夕陽を撮影した。
コンパクトカメラだが、まあまあキレイに撮れたのでUPする。

この島は「鹿島」と言い、古代から神の島として崇められてきたらしい。

翌日(5日)はあいにくの大雨で、近くの梅振興館で見学し、梅干を購入し、
一般道(国道42号)を由良までゆっくり走り、あとは高速で帰ってきた。



家に帰ったら、一晩不安だった猫たちも、安心したのかくつろいでいる。
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スーパーの不振はイオン化のせい?それともレジ袋有料のせい?

2017年01月22日 | 旅行や街角メモリー




奈良は生駒市のグルメシティー北大和店が閉店するという。
ダイエー系のサカエだった頃は家から近いのでよく利用した。
ダイエー系の食品は安くて良い物が多かったように記憶している。
イオン系になって食品に不信感が出て足は遠のいた。
生駒市の政策でレジ袋が有料になったのでますます遠のいた。
駐車場が有料になったのでまったく行かなくなった。
(何時間か無料だとは思うが、ゲートがあるだけで入りたくなくなる)

イオン系の食品は気持ちが悪い。トップバリュとか言うブランドでは、

「商品の安全、安心は他の誰かにまかせられません。だからイオンの商品は、
そこに製造メーカーではなく、イオンの名­前を記します。その商品の品質について、
イオンが100パーセント責任を持ちま­すという約束」

と書いてある。だから生産国は表記しないのだと言う。

はっきり言ってトップバリュはマズイ。パッケージで騙された。
昔から韓国や中国が大好きなイオンなど信用したら命が危ない。
安かろう、まずかろう、危なそうの三拍子。
イオンで食品は絶対に買わないとずいぶん前から決めたのだ。


(いまは無いピーコック)

このグルメシティー北大和店の左下に大丸ピーコックというスーパーがあった。(地図の赤丸)
少し高級志向で良い物があったので通勤の帰り道にしばしば寄って買い物をした。
ここもレジ袋が有料になって手で持てる範囲でのみモノを買ってた。
イオン系になって行かなくなった。
良い物が置いてあっても、横の棚にトップバリュがあるだけで買う気が失せるからだ。
2015年に閉店し、いまは更地になっている。イオン化したら潰れるのが多い。

この店の左のほう(地図で左の端に半分見えている)にあるのがオークワ。
新しい店で、一度だけ行ったが、レジ袋が有料と聞いて帰ってきた。

生駒市はバカな市長のためにほとんどのスーパーでレジ袋が有料になった。
これが1枚5円と言うボッタクリ。どう考えても原価は2円が良いところ。
指定の業者が生駒市と癒着して暴利をむさぼっているのではないか。

レジ袋はポリエチレン製である。いわゆる石油製品のカスである。
カスを有効利用しているのがレジ袋なのだ。
そしてレジ袋はゴミ袋としても使えるので大変エコだったのだ。

生駒市はレジ袋を無くしただけでなく、さらにひどいことにゴミ袋を指定した。
指定したゴミ袋しか使わせないという全体国家のような行政なのだ。

このゴミ袋、45リットルの袋で1枚45円というべらぼうな高額である。
普通の市販のゴミ袋は1枚10円前後だから実に4.5倍もする。
当然、ここにも業者と生駒市の癒着があるのではないかと推測できる。

そして従来のレジ袋はゴミ袋として使えないのでゴミとなる。
金を出してゴミを増やして不便になっているのが生駒市である。
生駒市の住民はなぜ黙っているのか不思議である。
レジ袋でぼられ、ゴミ袋でぼられ、ぼられまくってるのが生駒市住民。

だいたいエコを言うなら、
レジ袋を不要としたお客様に1円か2円返せば良いだけ。
もらったレジ袋はゴミ袋として使えるから大変合理的なのである。
簡単で効果的なこの方法を取らなかったのは何か裏があるはず。

イオン化したスーパーは食品が売れなくなる。
レジ袋を有料化したスーパーは客足が鈍くなる。
これが今回言いたかったことだ。
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平城宮址がいつの間にやら平城宮跡に

2017年01月11日 | 旅行や街角メモリー

(画像は、travel.jpのブログから借用しました http://4travel.jp/travelogue/10862396

小学校は奈良女子大学文学部附属小学校だった。
授業で奈良の歴史を習ったが平城京の跡地は「平城宮址(へいじょうきゅうし)」と習った。

20年近く前に奈良に戻ってきて、平城宮址が、「平城宮跡」と表示されているのに気づいた。
何て読むのだろうと思っていたら「へいじょうきゅうせき」なのだそうだ。

それはおかしい。
「へいじょうきゅうあと」ならわかるが、「へいじょうきゅうせき」って何なんだ?

調べてみると少しわかってきた。
本来は、平城宮址(へいじょうきゅうし) なのだが、
「址」が当用漢字外なので、いつの頃からか平城宮跡(へいじょうきゅうあと)にしたようだ。
しかし今ではバス停も「へいじょうきゅうせき」になっている。

どうしても「へいじょうきゅうし」と習い覚えた語感からは違和感が残る。
だいたい、城址(じょうし)を城跡(しろあと)とは言うことはあっても、
城跡(じょうせき)とは絶対に言わないと思うがいかがなものか。
「址」は建築物の跡地の事だ。「跡」とは微妙に違うと思うがどうなのか。

補足
--------------------
生駒高校の同級生の服部薫氏によれば、1988年シルクロード博の際、
それまであまり有名でなかった「平城宮址」が会場となりデレビにしばしば映った。
そしてアナウンサーが読み方もわからず「へいじょうきゅうせき」と放送し、
その間違いを誰も指摘しなかったからそのまま「へいじょうきゅうせき」が世間で定着し、
表記も読み方に合わせ「平城宮址」から「平城宮跡」になったのでは無いか?ということらしい。
それが本当ならこれも従軍慰安婦と同じ構造になる。誤報が源だ。
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伏見稲荷神社

2016年12月24日 | 旅行や街角メモリー


昨日の天皇誕生日はひょんな事から伏見稲荷神社を参拝。
比較的近くにありながら生れて初めての参拝となった。

あいにくの雨だったが持って行った大き目のビニール傘が大活躍した。
しかし登り道を間違え、遠回りの南側の険しいコースを取ってしまった。
元々痛めている膝は最後の登りで悲鳴を上げていた。今は山は苦手である。

参道を連なる鳥居は見事で、稲荷山の上まで続いている。
ときおり強く降る雨の中、外国の方の観光客も多く見受けられた。



帰りは宇治に寄って抹茶を楽しんだあと平等院を参拝。
新しく博物館が出来ていて展示物が見事であった。

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新型プリウス

2016年12月07日 | 旅行や街角メモリー

(トヨタのホームページより)

最初見た時からプリウスのリアのデザインには違和感があった。
精錬されたフォルムからはほど遠い中途半端なゴテゴテ感がある。
販売から半年も経つのに気持ちの悪さは無くならない。
好き嫌いは好みなので仕方が無いが違和感はいつまでも残る。
新しいプリウスが前を走るたびに微妙な嫌悪感に襲われる。
夜間なんか最悪。あのテールランプは気持ちが悪いといつも思う。

昔、トヨタにセンターメーターの件で電話した事がある。
買おうと思った車種にハンドル前のメーター仕様は無いのかと。

当然無い。センターメーターのほうが安全なのだと言う。
自信たっぷりに「すぐ慣れますよ」とまで言われた。
そんなものに慣れたくはないので買わなかった。

今はセンターメーターの車種は無いという。
何故やめたのか、その理由をトヨタから聞いたためしは無い。

ともかく新型プリウスのデザインは悪いと思う。
これで売れるに売れたら私の感性が間違っていることになる。

まあいいけど。
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YouTubeの優先席口論を見て

2016年11月26日 | 旅行や街角メモリー

(はめ込み画像なので動画再生は出来ません)

YouTubeに投稿された優先席を巡る若者とお年寄りの口論動画が最近話題になっている。
席を譲れ、いや譲らん・・というやり取りだ。老人は酔っぱらってるように見える。
席を譲るのは当然という態度の老人と、何が何でも譲ってやるものかという態度の若者だ。

投稿した若者の言葉
---------------------
AMBITIOUS JAPAN @DD51_1095
私は優先席を譲りません‼︎
なぜなら先日、今にも死にそうな老人に席を譲ろうとしてどうぞと言ったら「私はまだ若い」
などと言われ、親切な行為をした私がバカを見たからです。今後とも老人には絶対に譲りません。
---------------------

私は優先座席が空いていたら躊躇なく座ります。
そして決して居眠りはしませんし読書もしません。
周囲に目を配って、お年寄りが乗ってきたら、笑顔で「お座りになりますか?」
と声をかけます。「いいえ結構です」と言われたらそれで良しです。

不愛想に「どうぞ」と言うだけは「嫌々代わったのかな?」という誤解を生みます。

若者が「絶対に譲ってやらん」と思うのも、
お年寄りが「若い者は必ず席を譲るべきだ」と思うのも、
両方とも殺伐としたものを感じてしまいます。

優先座席に若い者が座る場合は、それなりの覚悟と行動があってしかるべきです。
お年寄りも当然と思わないで、もっと謙虚であって欲しいです。
それが、たとえ、見かけ上の「謙虚のふり」であっても謙虚さは必要なのです。

もう10年ぐらい前、父の粕井貫次と一緒に電車に乗ることが度々ありました。
父はすでに80をいくつか超えていて電車の揺れにふら付くこともありました。
私は父を優先座席の前まで連れて行き、一番元気の良さそうな若者の前に立ち、
「申し訳ありませんが、父は足が悪いもので、席を譲っていただけないでしょうか?」

丁寧な口調でこう言うと、必ず席は譲ってもらえたものです。

要するに、席を譲って欲しい場合は、それなりの声の掛け方があるでしょうし、
逆に「席代わりましょうか?」と声を掛けられても、座りたくない場合は、
「いいえ大丈夫です、ありがとうございます」と丁寧に断るべきなのです。

若者も「年寄りには席を譲るべきだ」という強迫観念は持つべきでは無いのです。
自分よりは弱っている人、困った人を見かけたら、素直に、自然に、
「助けたいなあ」という気持ちと行動が出せるかどうかが大事なのだと思います。
思ったら即行動、こういうことが大事な事なのです。

若者が無愛想な顔をして「どうぞ」だけ言って席を立とうとしたら、
「そんなもんいらんわい!」って機嫌の悪い老人なら言いそうです。

「あいさつ禁止」のルールを決めたマンションがあると先日聞いて大変驚きましたが、
何かコミュニケーションの在り方が根本から間違っているような気がします。
受験勉強も大事でしょうが、道徳とか、人と人との関わり方をもっと学んで欲しいものです。
自分の主張を、効果的に、相手に伝える方法がまだまだ未熟なのでは無いでしょうか。

お互いの気持ちや立場を無言のうちに分かち合うという姿勢は大事ですが、
今の時代は言って初めて相手の立場や傷みがわかるという時代なのでしょう。
柔らかく相手に自分の気持ちを伝える技術も必要なのでしょうね。

ちなみに、こちらが声を掛ける前に「席を代われ!」
って偉そうに言われたら、一般席なら私は断固として断ります。

実はそういう経験も過去にあるのですが、
老人に説教するには相当の覚悟と忍耐が必要と補足しておきます。
特に、ニワカ老人のオバサンは手強い。これまさに「修行」と思ってます。
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関東で雪、路面凍結、スリップ事故相次ぐ

2016年11月25日 | 旅行や街角メモリー

(tenki.jpより)

関東甲信地方は24日に記録的に早い初雪と積雪となった。
25日朝も厳しい冷え込みとなり各地で路面が凍結し交通事故も起きている。
関東各地は今シーズン一番の冷え込みとなり、午前6時頃にはさいたま市で氷点下2.1℃、
宇都宮市で氷点下1.7℃、東京都心でも0.3℃を観測した。
24日に8センチ雪が積もった東京・八王子市では25日朝、路面が凍結した。

盛岡に3年、秋田で3年暮らしてきた身には、雪や凍結なんて冬は当たり前の事だった。
古いアパートは止水栓で水を落としていても翌朝は凍って出なかったり、
排水するのを忘れていて風呂桶まるまる角氷にしたこともあった。

もう40年近くも前だから、スタッドレスタイヤも当時は無く、
11月になると営業車も自家用車もスパイクタイヤに履き替えて冬に備えた。
それでも凍った路面には役に立たず、何回かスタックしたものだ。
スコップとゴム長、防寒ジャンパーは車で出張するには不可欠の装備だった。

深夜零時近くに、仙岩トンネル(国道46号、秋田街道)を岩手県側に超えたあと、
溶けた雪が凍っていて凸凹になっていて、車がコントロールを失って欄干に激突した。

昼間の雪は溶けて轍になったまま夜は凍るのだが、山の上は轍も深く危険である。
もしあの時、もう少しスピードを出していたら、橋から飛び出して死んでいたかも知れない。

雪のシーズンになると、関東方面のナンバーを付けた車が、
道端に落ちているのをよく見かけたものだ。
牽引用のロープも必需品だった。

雪が降ると時間の約束も出来ないことが多かった。
車を幹線道路に出すために半日かかって雪かきしたこともあった。

雪の思い出はたくさんある。
雪が降ると静かにしんしんと降り積もる。
無彩色の風景の中で悶々としていたあの頃の思いも懐かしい。
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