稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

昭和36年9月16日

2007年09月06日 | つれづれ
その日は土曜日で、朝から激しい雨と風で、
母方の祖母(扇田タツエ)が心配して駆けつけてくれた。

家は近鉄の建売住宅で、
モダンな設計がアダとなったのか雨戸というものは無く、
居間には大きな掃き出しのガラス戸が4枚付いていた。

入居したばかりで、台風に対して何の備えも無く、
居間のガラス戸に、カーテンをかけ、テーブルや椅子を積み重ねた。

父は会社の事が心配だと朝から出かけ、
家には母と祖母と小学校4年と2年の兄2人、
そしてまだ6才の私、大阪から連れてきたトスという雑種犬がいた。

風で電線が切れたのか午前中には停電となって、
薄暗い中、ローソクの灯りで簡単な昼食を取った。

ますます風が強くなってきた。
当時はトランジスタラジオなど無く、
停電で何の情報も無いまま暗い中で風の音に怯えていた。

カーテンの隙間から外を覗くと激しい雨と風で庭木はたわんでいる。
風はものすごい勢いで吹き付け家にぶつかって激しい音を立てている。

「みんな、ガラス押さえっ!」の母の激しい声で、
南向きの居間のガラス戸を全員で押さえていた。
風で窓ガラスが内側にたわんでいるのを感じた。
子供心にも「これは駄目かも知れない」と感じていた。

突然「ど~ん!」という大きな音がして飛ばされた。

立ち上がって見上げると渦巻いた灰色の空。
押さえていたガラス戸が吹き飛び、風を舞い上げ、
瞬時に屋根まで吹き飛んでしまったのだ。

状況が掴めなかった。なぜ空が見えるのだろう。
雨が激しく顔に当たっているが何故か冷たさは感じなかった。
身体が濡れていることにも気づかなかった。
6才の私は呆然と立ち尽くすしか無かったのだ。

兄の呼ぶ声で我に返った。
風呂場にいち早く逃げ込んだ兄達が呼んでいたのだ。

風呂場に行き、なすすべもなく、
幼い兄弟たちは風呂桶の中に身を潜めた。

母と祖母は廊下に居た。
ふすまを二人で支え風に翻弄されていた。
北半分だけ残った家を何とか守ろうと、
半狂乱になって風と戦っていたのだ。

怖くなったというより不安がつのって、
風呂桶の中でめそめそと泣いたのを憶えている。

そのうち風がおさまり、全員虚脱状態で、
半壊した家の前で立ち尽くしていた。
雑種犬のトスだけが庭を元気に走り回っていた。

屋根は隣家の屋根を掠めて壊し、
ワンブロック北の大渕池まで飛んでいた。
奇跡的に誰も怪我しなかったのが救いである。
あとから知ったが「第2室戸台風」だということである。


(台風前の実家、引っ越したばかり)


(屋根のほとんどが吹き飛ばされた)


(後片付け、左端に母、中央が叔父、右で座っているのが私)


(勝手口からみた台所、懐かしい1ドアの冷蔵庫が見える)


(少しあとの修理が始まる頃、右側にお袋、私、祖父が座って食事をしている)

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35年経ってから、
実家からさほど遠くも無い場所に家を建てた。

大和ハウスの担当者と打合せし、
窓という窓には全部雨戸を付けるようお願いすると、
「そんなに雨戸いっぱい付ける人居ませんよ」と言われた。

関東地方を直撃している、
今夜の台風のニュースを聞きながら、
そんなことを思い出した次第・・・
コメント (2)
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