全日本剣道連盟「剣道技術の成り立ち」より転載します。
https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/
全剣連 広報・資料小委員会 委員長
明治大学 国際日本学部 教授
長尾 進
剣道という身体運動文化の中核を成すものは、何といっても「有効打突」(一本)であると思います。現行の試合・審判規則における有効打突は、「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする」(第12条)と規定されています。また、指導の場面では、「気・剣・体」の一致した打突が有効打突であると指導される方も多いでしょう。その気・剣・体の一致については、「気は打突の意志とその表現である掛け声、剣は竹刀、体は踏み込む足と腰の入った姿勢をそれぞれさし、三者が打突時に一致すること」(『幼少年剣道指導要領』)、あるいは、「気とは気力のこと、剣とは竹刀操作のこと、体とは体さばきと体勢のこと。これらがタイミングよく調和がとれ、一体となって働くことで有効打突の成立条件となる」(『剣道和英辞典』)と説明されています。
剣道における「気」論をめぐっては、埼玉大学の大保木輝雄先生に詳細かつわかりやすく前シリーズで解説していただきましたので、このシリーズでは主に剣(竹刀操作)と体(体勢を含めた足さばき・体さばき)の変遷についてみて行きたいと思います。
前記の気・剣・体一致の説明に、「体は踏み込む足と腰の入った姿勢」(『幼少年剣道指導要領』)とあります。この「踏み込む」動作というのが、剣道の運動形態を特色づけているといえましょう。もちろん、古流の形などのなかにも、部分的・瞬間的な踏み込み動作はみられます。しかし、多くは歩み足・送り足・開き足などの足さばきによる動作が一般的です。そこでまず、この「踏み込む」動作に焦点をあて、それが剣道の歴史のなかでどのように生成し、技術として認知されてきたかについて述べてみたいと思います。
しかし、このように認知されてきたのはそれほど古いことではありません。昭和のはじめ頃には、踏み込み足に伴う余勢については議論がありました。中山博道範士は、「一本の太刀を打っても今は民衆化の剣道の方法というものは一本打ってポンと打ちますと、対手を打つと手で打ってあとヒョロヒョロと二足三足位前に出て行く。ああいうことは船の上だったらどうするんです。相手を倒しても自分は水の中へ飛び込んでしまう。あれは一足一刀で打つと共に足の数だけ打って行かねばならぬ」(慶応大学校友会誌『つるぎ』第6号、昭和9年)と述べていますが、日本刀の操法に精通されていた中山範士ならではの見解で、明確に余勢を否定されています。
一方、現実にはこれ以前から、踏み込み足に伴う余勢(中山範士のいう「民衆化の剣道の方法」)は、試合や稽古の場で多く出現していたようです。高野佐三郎範士が指導した東京高等師範学校の卒業生のなかには、踏み込み足に伴う余勢をむしろ積極的に容認し、これに理論的根拠を与えようとする人たちもいました。金子近次著『剣道学』(大正13年)では、踏み込み足を「踏切」として、図・写真入りで詳細に記述されています。また、富永堅吾著『最も実際的な学生剣道の粋』(大正14年)では、「乗込み面」として、「全然我が身を棄てて一刀のもとに相手を制しようとする撃ち方で、―中略―、刀を振上げると同時に、思いきって一足跳に深く乗込み、―中略―、そうして余勢をもって相手を押倒すようであるがよい」とされ、踏み込み足とそれに伴う余勢まで明確に肯定されています。
(つづく)
*この『剣道技術の成り立ち』は、2005年10月〜2006年3月まで6回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。
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