やっと年賀状を書き終えて先ほどポストに投函してきた。年賀状はホワードで役員をしていた頃が一番多くて公私合わせて300枚以上は出していた。大まかに親戚と仕事関係と友人関係と剣道関係の4つのグループに分かれていてそれは今も変わらない。いまは随分と減って100枚ぐらい。仕事関係が極端に少なくなった。親戚関係は何かしら付き合いのあるところへは向こうが出さなくても出すようにしている。母方の親戚で、ひとり「年賀状をくれないのは何故か?」と聞いてきたところがあるので次の年に出したのに向こうからは来ない。そういう傲慢な先へはこちらからお断りだ。昔から粕井の親戚は縁が薄いが仲の悪いというか顔も見たくないような者へは随分前から出さなくなった。永年の怨恨は消えない。この年になると遠慮は無くなってくる。そんな極端な例では無いが今回は思い切って年賀状を出す先を整理することにした。基本的に出さない!・・と決めたのだ。お世話になった先、付き合いのある親戚には出す。最初は何十年も年賀状のやり取りだけの友人知人を切ろうと思ったが個別に仕訳すると迷ってしまう。面倒なので友人と仕事関係全部まとめて出さないことにした。私の年賀状の作り方はまず宛名を全部印刷する。それを①親戚、②剣道関係、③剣道関係の今後出さないとこ、④友人関係で今後出さないとこの4つのグループに分けて文面を印刷する。使う写真(あるいはイラスト)もグループで異なる。来年からは年賀状は極端に少なくなるだろう。いまはネットでも電話でも何でも連絡は取れるのだ。私のことなど、このブログを見てもらえれば全部わかるのだ。年賀状は永年の習慣だったが非礼は気にしないでおこう。ブログの更新が途絶えたら死んだと思ってもらって良い。
先日、大阪府剣道連盟にキーホルダーなどを納品したさい、N口専務理事から「剣道かわら版に名刺載せても良いだろうか?」と聞かれた。お試しなので無料だと言う。「無料なら良いですよ」と返事しておいた。このかわら版に使われているイラストは、とんぼ堂、つまり私が描いたイラストである。自分の作ったものが形になるのは嬉しいものだ。下記のリンクで誰もが見れるのでぜひ読んで欲しい。
創刊 お試し号「剣道かわら版」(大阪府剣道連盟のサイトより)
https://osa-kendo.or.jp/wp/wp-content/uploads/2020/12/6a0cdbce17d814c3ddb2091261226e67.pdf
とんぼ堂の事務所の近くにある広谷整形外科には毎月1回行って薬をもらってくる。薬は高血圧の薬と通風(高尿酸血症)の薬である。定期的に血液検査などしてもらうので簡易な健康診断を定期的にしてもらっているのと同じだ。もともと打撲か骨折で行った先だが「ここは内科もやってるんですか?」と聞いて通うようになった。もう10年以上の付き合いになる医院である。近いので便利なのだが来年の1月末に閉院されるという。「どうされたんですか?」と聞いたら広谷先生「いや実は目が悪くなってきてなあ、目が悪いと外科医は務まらんのや、惜しまれるうちが引き際やと思うてなあ・・・」と言われる。「先生、お年はおいくつですか?」と聞いたら私より1つ下だった。なんだか他人事のようにも思えない。そろそろ私の同級生たちも引退する者も出て来ている。自分自身、どのように仕事を辞めていくのかは考えてなかった。いったい私はいつまで仕事をするのだろう?
朝起きて自宅でちょこっと仕事した。東大阪の事務所に寄ってから島本町の稽古に行こうと思っていたら女房に「庭木の枝を刈って欲しい」と言われた。小さいながらも庭があり庭木は勢いよく繁っている。気楽に引き受けたが気になる枝を切り始めるとあれもこれも気になって大掛かりな剪定作業になってしまった。寒いのにもう汗だくである。作業が終わる頃には腕もぱんぱん、握力も無くなってしまった。手を洗って汗を拭いて事務所に出かけたが仕事がけっこう溜まっている。メーカーが休みに入っているので納期の対応などが大変なのだ。時計を見たら14時からの稽古には間に合いそうも無い。残念だがあきらめてお断りのメッセージを送っておいた。ということで26日の往馬玄武会が今年最後の稽古になってしまった。2016年の年末までは長正館の年越し稽古があったが道場も無くなったので今は年越し稽古も無い。年越し稽古が無くなったことは嬉しい気持ちと淋しい気持ちで半分半分である。回りからは稽古ばかりしているように思われるが本当は稽古よりも猫を相手に酒を飲んでるほうが好きなのだ。
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