稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

またもや同級生が亡くなってた・・・

2020年12月02日 | つれづれ
辻 道明(つじみちあき)君。2020年9月11日死去。

何年前だか同窓会で久々に会って年賀状のやり取りは再開していたのだ。

小学校(奈良女子大学文学部附属小学校)は1年生から6年生まで同じクラスがそのまま持ち上がる。
まだ幼児に近い頃からヒゲの生える者も出てくる思春期の入り口まで一緒に学び育った仲間だ。
中学校(奈良女子大学文学部附属中学校)も、ほとんどそのまま進学する者が多く、
仲の良い悪いは別として、小学校の同級生はだいたいみんな、どんな奴だか把握している。

さあ仕事を終えようかとしていたら、同じ小学校の仲の良い同級生から電話があって、
「テンツ(辻道明のあだ名)死によったで、知ってるか?」と聞いた時は驚いた。
「え?いつ?何で?」と聞いたが死因までは知らないらしい。
中学校で同じサッカー部だった彼も年賀状のやり取りだけだったようだ。


(サッカー部、写真の後列左から4番目、一番背の高いのが亡くなった辻道明君)

中学校(奈良女子大学文学部附属中学校)のサッカー部は一大勢力で人気があり、
死んだ彼も、元は私と同じ柔道部に入っていたが、途中でサッカー部に移籍した。
背が高く力も強い彼は柔道も強く、私などまったく歯が立たなかったのを憶えている。

けっこう一緒に過ごすことも多かったのに、
不思議と彼と遊んだり話したりすることは少なかったような気がする。
彼は美男子で、性格も穏やかで、勉強もスポーツも出来る万能タイプだった。

彼の実家は、私のお袋の実家の道路を挟んだ向かい側にあり、何度かお邪魔したことがある。
玄関横の彼の勉強部屋は、いつも綺麗に片付いていて彼の真面目さを物語っていた。
彼の父親は南都銀行勤めで、通勤にスクーター(ラビット)に乗っていた。
彼も父親に倣ったのか南都銀行に勤めていると後年聞いた。

小学校の写真は無いかと探したら、卒業の時の版画集と臨海合宿の時の写真が出てきた。


(昭和42年7月、福井県高浜にて)


(アップ写真)



一緒に出て来た版画集には「将来は船乗りになってみたい」と書いてあった。
同じ頃、私は「何か電気、それも無線関係の仕事をしたい」などと漠然と考えていた。
彼の版画を見て「船乗りもいいなあ」と思ったのを憶えている。



家に帰ると我が家にもハガキが届いていた。
これで私の知ってるうちでも、小学校の同級生では4人目になる。
まだまだ死ぬには早過ぎる。心静かにご冥福をお祈りしたい。
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