貝原益軒の女大学に
“女は口ききて人に先立つは女の道に違るなり。和(やわら)に随いて貞信に情ふかく静なるを淑(よし)とす。”
とあると書きましたが、その「女大学」に付いて、明治になってから、あの福沢諭吉は「女大学評論」で、次のように言っています。
「人間たる者は、和順貞信人情深くして心静かなるべ」。
これ等の徳目は、単に、益軒の言うように、女性に限ったものではなく、人間、総ての者に言えることで、「女の道はかくあるべしと女ばかりを警しめ、女ばかりに勧むるとは、その意を得難し」
と。
でも、これを書いた益軒を、ただ一方的に、非難するのでなく、「この議論片落なりと言うべし」と言っていますが、この大先生の生きていた時代は
「一切万事支那流より割出して立論するが故に男尊女卑の癖は免かるべからず。実際の真面目(その物の本来の姿)を云えば男子の方にこそ多けれども、そこを大目に見過ごして、独り女子の不徳を咎むるは、所謂、儒教主義の偏頗論(意見が偏っていて公平でない様子)と言うべきもの。」
要するに、此の貝原益軒の「女大学」の論は、偏っていて、決して、正しくないとはっきりと言っております。
その辺りの福沢諭吉のものごとを公正に見る目が確かな証拠だと思われます。
この本は、明治32年12月の再版本です。単に時代が明治になったと言うだけで、このように物の考え方が、社会の総ての面で新しくなったのかと言えば、決してそうではなかったのです。ただ、福沢諭吉等の先見の明、物を見る目の確かさ、大きさが備わっていたことを意味します。
その辺りの垢でも、もし、現在、ありますと、安部総理に、少しでも嘗めさせてやりたい今日この頃です。
さて、安保法案はどうなりましょうや???頑固なのか頭が悪いのかそれともうぬぼれ屋さんなのか良く分かりませんが。
“女は口ききて人に先立つは女の道に違るなり。和(やわら)に随いて貞信に情ふかく静なるを淑(よし)とす。”
とあると書きましたが、その「女大学」に付いて、明治になってから、あの福沢諭吉は「女大学評論」で、次のように言っています。
「人間たる者は、和順貞信人情深くして心静かなるべ」。
これ等の徳目は、単に、益軒の言うように、女性に限ったものではなく、人間、総ての者に言えることで、「女の道はかくあるべしと女ばかりを警しめ、女ばかりに勧むるとは、その意を得難し」
と。
でも、これを書いた益軒を、ただ一方的に、非難するのでなく、「この議論片落なりと言うべし」と言っていますが、この大先生の生きていた時代は
「一切万事支那流より割出して立論するが故に男尊女卑の癖は免かるべからず。実際の真面目(その物の本来の姿)を云えば男子の方にこそ多けれども、そこを大目に見過ごして、独り女子の不徳を咎むるは、所謂、儒教主義の偏頗論(意見が偏っていて公平でない様子)と言うべきもの。」
要するに、此の貝原益軒の「女大学」の論は、偏っていて、決して、正しくないとはっきりと言っております。
その辺りの福沢諭吉のものごとを公正に見る目が確かな証拠だと思われます。
この本は、明治32年12月の再版本です。単に時代が明治になったと言うだけで、このように物の考え方が、社会の総ての面で新しくなったのかと言えば、決してそうではなかったのです。ただ、福沢諭吉等の先見の明、物を見る目の確かさ、大きさが備わっていたことを意味します。
その辺りの垢でも、もし、現在、ありますと、安部総理に、少しでも嘗めさせてやりたい今日この頃です。
さて、安保法案はどうなりましょうや???頑固なのか頭が悪いのかそれともうぬぼれ屋さんなのか良く分かりませんが。