これは
“美保神社”
の誤りでした、お詫び申し上げます。
建御雷神がオホクニに
「あなたの御子で、この出雲の国をアマテラスの御子が統治するのに賛同を得る子はいないのですか」
と尋ねますが、その時、オホクニがあげたのが「八重事代主神」です。丁度、彼は狩猟に出向いて居りました、そこが
“御大之前”
です。<ミホノサキ>です。この「御大<ミホ>」がどうしてかは分からないのですが、「美保」と云う漢字に変化したのです。多分、「好字二字令」の影響を受けたのだろうと思いますが、此の字に代わっております。この土地を「事代主神」が、その時、支配していた土地ではなかったかと考えられます。その場で殺害されたのでしょうが、後の世になって、その地にその霊をお祭した社を作ったのではないでしょうか??それが現在の「美保神社」だろうと思われます。
なお、これも余残事ですが、この神社の拝殿の作りは我が吉備津神社の拝殿の造りと同じで。天井のない、所謂、 「東大寺様式」で、重源が伝えたと言われる宋の建築様式を取り入れられたものです。あの南大門と同じ形式の建造物です。
“美保神社”
の誤りでした、お詫び申し上げます。
建御雷神がオホクニに
「あなたの御子で、この出雲の国をアマテラスの御子が統治するのに賛同を得る子はいないのですか」
と尋ねますが、その時、オホクニがあげたのが「八重事代主神」です。丁度、彼は狩猟に出向いて居りました、そこが
“御大之前”
です。<ミホノサキ>です。この「御大<ミホ>」がどうしてかは分からないのですが、「美保」と云う漢字に変化したのです。多分、「好字二字令」の影響を受けたのだろうと思いますが、此の字に代わっております。この土地を「事代主神」が、その時、支配していた土地ではなかったかと考えられます。その場で殺害されたのでしょうが、後の世になって、その地にその霊をお祭した社を作ったのではないでしょうか??それが現在の「美保神社」だろうと思われます。
なお、これも余残事ですが、この神社の拝殿の作りは我が吉備津神社の拝殿の造りと同じで。天井のない、所謂、 「東大寺様式」で、重源が伝えたと言われる宋の建築様式を取り入れられたものです。あの南大門と同じ形式の建造物です。