こんな言葉!!!聞いたことありますか???「私の町吉備津」と、大変、深くかかわりのある人が「日本書紀」に出ております。その人の名は
“兄媛<エヒメ>”
です、先ごろ、「吉備の美女」の所で、一度ご紹介しましたが、再度、この媛について取り上げてみます。
応神天皇の二十二年のことです。四世紀の終わりごろの人ですが、当時、天皇は浪速津近くの大隅宮に幸<イデマ>しておられました。そこの高台で天皇の妃「兄媛」(吉備ノ臣の出身)が
“望西以大歎<ニシヲノゾミテ イタク ナゲキキ>”
それを見られた天皇が、愛しい兄媛の愁いを帯びた眼色に痛く心を痛めて、お尋ねになられます。
“何爾歎之甚也<ナンゾハ イマシガ ナゲクコトノイタキ”>
「どうしたことなのですか??。あなたがそのように大層悲しい顔をしていらっしゃると、私まで悲しい気持ちになって仕方がありませんよ。」
と。すると、下の方に俯いていた兄媛は弱々しく愁いを込めた小さな声で、天皇にお答え申し上げるのです。
「私には吉備に残した愛しい父母がいます。近年。音沙汰も少なく、今どうしているかとに頻りに気になって仕方がありません。
“冀暫還之、得省親歟”
と書かれてあります。
“兄媛<エヒメ>”
です、先ごろ、「吉備の美女」の所で、一度ご紹介しましたが、再度、この媛について取り上げてみます。
応神天皇の二十二年のことです。四世紀の終わりごろの人ですが、当時、天皇は浪速津近くの大隅宮に幸<イデマ>しておられました。そこの高台で天皇の妃「兄媛」(吉備ノ臣の出身)が
“望西以大歎<ニシヲノゾミテ イタク ナゲキキ>”
それを見られた天皇が、愛しい兄媛の愁いを帯びた眼色に痛く心を痛めて、お尋ねになられます。
“何爾歎之甚也<ナンゾハ イマシガ ナゲクコトノイタキ”>
「どうしたことなのですか??。あなたがそのように大層悲しい顔をしていらっしゃると、私まで悲しい気持ちになって仕方がありませんよ。」
と。すると、下の方に俯いていた兄媛は弱々しく愁いを込めた小さな声で、天皇にお答え申し上げるのです。
「私には吉備に残した愛しい父母がいます。近年。音沙汰も少なく、今どうしているかとに頻りに気になって仕方がありません。
“冀暫還之、得省親歟”
と書かれてあります。