かぐや姫ほ物語に登場してくる美女ですが、歴史的にその名が残る美女としての一人が吉備の稚媛なのですが、此のお話は雄略天皇の時代(480年頃)の話ですが、この稚媛よりもっと前にですが、とっても美人の女性の名が、雄略の先々代の天皇「允恭」の皇女に”軽大郎女<カルノオホイラツメ>”がおられました。それを日本書紀には
“亦名衣通郎女<マタノナハソトホシノイラツメ>”
とあります。その補足説明として
「御名所以負衣通王者。其身之光。自衣通出也<ミナヲ ソトホシノミコト オハセルユエハ ソノミノヒカリ ミソヨリ トオリイデツレバナリ>」
とあります。軽大郎女は、その身から出る光がきている御衣(みぞ)を貫いて輝いていて入るから、「衣通郎女」という別名が付いたのだそうです。それくらい輝くような美しさあったと伝えております。
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