“夜須久波陀布禮安ー安く肌触れー”した兄と妹ですが、その後、その兄は、長年の要望がやっとかなえられた嬉しさだったのでしょうか、又も、歌を歌います。
まあ、古事記を読んでみますと、感心させられることは その説明で、沢山の挿入歌が見えることです。ここでも、それからの此の二人の運命を、沢山の歌を交えながら、説明しております。
前に続いての歌です。
「佐佐婆爾<ササハニ>。宇都夜阿良禮能<ウツヤアラレノ>。多志陀志爾<タシダシニ>。韋泥弖牟能知波<イネテムノチハ>。比登波加由登母<ヒトハカユトモ>
“・・・・・たしだしに、率寝<イネ>てむ後は 人は離<カ>ゆとも”とです。
「たしだちに、しっかりと堅くです。二人がしっかりと、このように堅く相結ばれた後は、例えあなたが私を嫌いになったとしても、此処で言う「人」とは妹の「衣通姫」の事です。私は、決して、怨む事はないだろう。あなたと結ばれてよかった。これ以上の幸せはありませんよ。」
と、歌っています。
数々ある日本の愛の賛歌の中でも、一番の心のこもった最高の愛の賛歌ではないでしょうか??最後にある「とも」という逆説の推定の助動詞を使うことで、兄のその時の総ての物を優先させた熱い思い、幸福感を、それ以上の言葉はないかのように書き現わしております。
これも古事記という書物を読む魅力の一つなのです。
貴方はどうこれをお読みでしょうか。ご意見を伺えるとうれしいのですが!!!!!!!!
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