私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

別れの辛さ

2015-07-26 07:56:49 | 日記
 仁徳天皇は黒日売と分かれた後も、
 「ああ、吉備の国へ、あの人を返さなければよかった。なんと切ないのだろうか、此の私の心をどうにかできないものだろうか」
 と、日々お嘆きになっておられたのです。その時の天皇の心持ちを古事記には、
 
 “於是天皇恋其黒日売”<ココニ スメラミコト ソノクロヒメ コイタマイテ>
 
 と、たった8文字で,その深い思いを余すところなく書き綴っております。何てうまい文だとお思いになられませんか??「於是」「恋」という、あたかも映画でも見ているような光景が、この3字の中に生き生きと並べられております。
 高台の窓際で、難波津の向うに広がる遥か彼方の海を見つつ、深いため息を何度も付きながらの、やる瀬ない男の恋の姿を思い起こさせます。

 またまた駄歌を

  ・現世の 無常の風に 流されて
              行方知らずの 波は遥かに

吉備の美女「黒日売」

2015-07-25 10:54:53 | 日記
 さて、「仁徳さんを忘れちゃぁおらん?」という備中方言がありますが、そのとおりになってしもうたんじゃ。2,3回ですまそうとおもようたんじゃが、淡路島にちィて、ちィちィなごうなってしもうたんじゃ。

 再び、仁徳天皇さんのお話に戻します。

 ちょっと前の部分を復習がてらに・・・
 天皇の后「石之日売<イワイノヒメ>命」は嫉妬心が強く、特に天皇に恋人(妃)ができようものなら、その女性に対してどんな仕打ちが有るか分かりません、だから、天皇のお側に仕える女官たちは「天皇の思い人」になったと噂でもされようものなら、その仕打ちを恐れて、ひやひやしどうしでお仕えしておりました。
 その天皇の思い人になったのが、当時、日本一の美人だと噂されていた吉備の国の「黒日売」でした。
 彼女は、毎日、毎日、大后の嫉妬による仕打を恐れて、一刻の安心もできません。ついにはノイローゼ気味に成り、「父母のいる吉備に帰りたい」と天皇に懇願します。
 仕方ありません、天皇も大后の嫉妬による黒日売への何らかの危害を防ぎきれません。そこで、しぶしぶではあったのですが、その帰省をお許しに成ります。
 何てだらしない大王でしょうか。とお思いでしょう???。あの大仙古墳の主なのですよ。

 
 
 そこで駄洒落を   
   ”一か二か 心揺れども 摩佐豆古の
                玖邇幣玖陀流を 高殿から見る”
   ”世の中に かかあ殿下は 絶えなまし
                空を仰ぎて 深く息する”
   ”世の中に浜の真砂は尽きるとも
                嫉妬(うはなりねたみ)の種は尽きまじ”

ついでに、これも知っておいて下さい。

2015-07-24 10:46:04 | 日記
 というのは、吉備の国の「児島」の誕生についてです。吉備の児島もやはりイザナギ・イザナミの二柱がお生みになられた島ですが、淡路島とは違うのです。そんなお話聞いたことありますか?????

 それについて、
 「そげえなこたあどうでもえんじゃ。はよう あの仁徳の”欺大后<オオキザキヲ アザムカシム>」にちィて けえたらどげんなんじゃろうかなあ」
 と、いうご批判があろうことは予測しているのですが、二,三回がもう一〇回以上も延び延びになっているのですから、そんなご批判は無視したように最後を書いておきます。

 沼矛<ムマホコ>から滴り落ちた塩によってできた淤能碁呂島ですが、此の島は相当大きかったと思われます。その中に八尋殿もあったのです。そこの柱を廻った後に出来たのが淡路島など「大八島国」でした。此の国が出来てから、イザナギ・イザナミ二柱は、最初、天之国から降り立った本の所に帰ります。そこが淤能碁呂島のどのあたりであったかは何も書いてはいませんが、兎に角「八尋殿」以外の場所に「然後<サテノチ>還坐<カエリマシ>」とあります。
 そこで生まれたのが吉備の児島、小豆島、大島等でした。ということは吉備の児島は、最初から日本の国として生まれたわけではなかったことになるのです。

 以上、長ったらしく知ったかぶりをして淡路島に付いて書いてきましたが、次からは、又、仁徳の「かかあ殿下」の風景を書いてまいりたいものだと思っています。

 

再び、天之御柱を廻ります

2015-07-23 12:22:31 | 日記
 天之神のお告げに従って、今度は、男神イザナギのほうから先ず、

 “阿那邇夜志 愛袁登売<アナニヤシ エオトメ>”
 
 と、声をけます。続いて、女神イザナミも

 “阿那邇夜志 愛袁登古”

 そうして、再び、“御合<ミアイ>”ます。

 このようにして、紆余曲折があって後に、ようやく、日本の国生みが始まります。このことは二神による国生みが如何に難産であったかを物語っております。
  なお、この「御合」とは、先き述べた「美斗能麻具波比<ミトノマグハヒ>」のことです。

 そして、先ず最初に、この二神がお生みになった日本国が

 ”淡道之穂之狭別島”

 です。
 <アハジノホノサワケノシマ>と読ませております。これが、今の淡路島です。

 何と廻りくどい事をして、やっとこさと、最初の島が誕生します。それから二神は、更に、次々と島をお生みになられ、此の国の形が出来上がるのです。

 これが、御尋ねになられた淡路島の誕生にまつわるお話なのです。

布斗摩邇邇卜相而

2015-07-22 08:34:27 | 日記
 「布斗摩邇邇卜相而」の「卜相而」を<ウラヘテ>」と読ませております。

 ここで注視したいのは、天神は神様です、でも、「卜<ウラヘ>」によってものごとの判断をなされていたのです。これについて、宣長は
 「上ツ代には、萬の政<ミワザ>にも、己がさかしら(=知ったかぶりをする)を用いず、定めがたきことをば皆卜(ウラヘ)て、神の御教を受けて行い賜う」
 と、全宇宙を総て支配している神様だって、占いによって物事を決めていたのだそうです。
 「まさか神様が占いなんてと疑う人がいるなんてどうかしているよ。そなん事などあんまり細々と詮索せんでもいいではないか。神様のしたことですので。」
 と、いとも簡単に説明しております。

 まあ兎に角イザナギイザナミの神は自分たちの疑問を天乃神に尋ねます。すると、その答えは

 「天の柱を廻った時、女性が先に「阿那邇夜志愛袁登古」と言ったからだ。

 “亦還降改言”<マタカエリクダリテアラタメテイヘ>と言われたのでした。 「もういっぺんやりなおして、今度は男神から、先に言葉を女神に懸けなさい」と言われたのです。
 これが天之神のお告げだったのです。