私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

今朝の朝日川柳に

2018-08-10 10:24:59 | 日記
 毎日、新聞を読んいるので私は反自民でしょうか???
 
 今朝の朝日川柳に

           “無視に無視 この八月の八日まで”
           “焼場前 立つ少年が語る日々”
           “ナガサキも首相原稿読みに行く”
 
 等の句が載っていました。そこで、私も負けずにかどうか知りませんが一句を

           “無視に無視 立つ少年の語るのも”
           “ナガサキも 原稿を読んだだけで 済まし顔”
              

 「済まし顔」がいいでしょう???

長崎の原爆の日に聞いた安倍さんの言葉は・・・.

2018-08-09 10:07:50 | 日記
 アメリカ合衆国による日本への2回目の原子爆弾投下の記念日です。その日の最初の投下目的地は「小倉」だったとか。それが気象条件の為に、急遽、長崎に変更されたとか??でも、なぜ、アメリカは2回も原爆を日本で使ったのでしょうかね。その当時、この原爆投下に、余りにも非人間性という理由で、反対したアメリカの科学者も相当数いたと聞いておりますが。
 ある人が言うように、
              「アメリカの実験だった」
 のではなかったのではないでしょうかね・・・・その威力というのは、既に、3日前の広島で十分わかったていたはずです。それが、何故2回も必要だったのでしょうかね。今となっては、誰もがその意図は永遠に分からない歴史の謎に包まれてしまっているのです、誰がどうしてかという情報も記録も無いのですから。アメリカですから、その情報はあったのではと思うのですが、今は、謎としか言いようがありません。まさか、どこかの国の財務省のように焼きすててしまったのではないでしょうがね。アメリカ人の誰も信じている「戦争を早く終結させてアメリカ人の命を救いたかったからだ」が真実かもしれませんが???

 この長崎に投下された原爆は、一瞬の内に、何十万という人を殺してしまう広島の原爆とは、また違った新しい型の原爆だったそうです。その強烈な破壊兵器の試打ではと疑うことも出来なくもないのですが???、
 それはそうとして、それから73年ですが、何時になったら、このような式典の必要性が完全に無くなってしまうような、「原爆」という言葉すら死語になってしまうような、真の平和の地球が来るのでしょうかね???
 安倍さんの言葉を聞いておると、どうも何だが空々しいような、其の云っている言葉とは裏腹に、核兵器のない平和な世界が来ることは永遠にないように聞こえてしょうがないのですが、どうでしょうか???

「かたへ涼しき 風や吹くらむ」

2018-08-08 10:00:56 | 日記
 ある人からの問い合わせがありました。

 「おめえななあ・・・知ったかぶりして、えらそうなことを けえておるんじゃろうがなあ。かたへということばのいみを しっとんかなあ。」

 と。まあ、ご指摘のように、余りよくは知らないのですが、かって、学生時代に教わった、「かたへ」は、全部じゃあなく、片一方だけ、要するに、夏の全部にではなく、その一部分にだけに吹いている、それも空の彼方の一部だけにある、あるかなきかのような幽かな秋風だと思って居るのですが。それではいけないのでしょうかね???もう一度その歌を

    夏と秋の ゆきかふ空の 通ひ路は
                     かたへ涼しき 風や吹くらむ

 地上では、まだまだ真夏日が続いているのですが、それでも、今日の立秋の日の空の隅っこの方には、きっと涼しい秋の風が吹いておることだろうな。そんな秋風に早く出会えたらなあという、秋の涼しさを恋願う歌だと習いましたが、どうでしょうかね??

 今朝6時半ごろです。昨夜は早く寝たからでしょうか、今朝は早めに目が覚め、なんとはなしに庭に出てみますと、この「かたへ涼しき風」が顔をそっと撫でて通り過ぎるように感じました。やはり立秋は立秋だなあと、一人静かにそのあるかないか分からない秋の涼風に一人悦に入りながら、来る秋に期待を持って空の彼方をしばらくの間で眺めてりました、
 雲ひとつない青空からは
 「誰がどう言おうと、当分、お前の所には秋風何かを来させてたまるか」
と、真夏の太陽の光が、嘲笑うかのように、降り注いでおります。今日も又ク―ラー暮らしかと、顔を撫でた「かたへ涼しき風」に別れを告げ家中の人となりました。

 たまたま、今朝は早起きしたのですが、何時もだと起きるのは8時前ごろですが。やっぱり「早起きは三文の得」ですね。このような今朝の僥倖に接しで、生きるって素晴らしいなあと、クーラ―の人工風に当たりながら、妻の葱でも刻む包丁の音でしょうか、それを聞きながら僅かばかりの感傷に、しばらくの間、浸っておりました。

「かたへ涼しき」の立秋です。

2018-08-07 11:27:31 | 日記
 今日は8月7日です。8・7で「はな」の日ですから、俗に言う「鼻」の日です。でも、私はこの日を「花の日」とした方が何だか日本らしくて、今はやりの「おもてなし」を現わす最適な日になるのではないでしょうか。そこで、我が家にも「花」をと、でも、年金生活者ですから、そんなに立派な花を買う事の出来ず、そこら辺に咲いている「朝顔」の花を一杯摘んできて、どこらじゅうに生けております。これが私の「8・7の日」です。なお、この「はな」は孫の名前

          「花奈<ハナ>」

 ですから、余計に、今日という日を大切にしています。

 まあ、そんな「花の日」ですが、暦の上からは、毎日、猛暑が続いているのですが、今日は「立秋」です。
 この言葉を聞けば、何んとなく涼しさが感じられはしないかと思うのですが、そんな思いとは裏腹に、朝から35℃の初秋ではなく、真「夏」日です。「いささか」ではありません、「ふたささか」も「みささか」も往生しきりです。何か涼しさはないかと思っても、今時分、クーラーしか有りませんよね。外に出ない生活がもう何日も続きております。合う人事に「どうにかならんかなー。この暑さ」と、あいさつを交わしております。
 「この暑さは、今に始まったことではありませんよ」
 と、隣りの人から教えていただきました。平安の歌人“凡河内躬恒“の歌にもありますよと。

     「夏と秋の ゆきかふ空の 通ひ路は
                     かたへ涼しき 風や吹くらむ」

 でも、こんな歌いくら聞いても「かたへ涼しき風」は、いっこうに我宿には届きそにもありません???やっぱり、クーラーしか有りませんよね!!!!!!!!!!

原爆の図(その2)

2018-08-06 10:04:44 | 日記
 かって美空ひばりが熱唱した「一本の鉛筆があったら」の、広島に原子爆弾が落とされてから73年が経過した今日その記念式典が、今年も厳かに執り行われました。私も、毎年ですが、8時15分になると、テレビの画像に向かって起立して黙禱を捧げます。その実況の中で

    “過ちは二度と繰り返しません”

 と彫り込まれた石碑が何回となく画面に現れては消え、消えては現れておりました。もう73年もたっているのですが、一向に、この言葉が地球社会に実現しそうな様子は窺い知ることができません。むしろ、トランプを始め世界の為政者は、依然として、「保持することによる平和」という言葉を金科玉条のごとくに振りかざして、「原爆の近代化だ」何なて彼の世の幽霊のように足がないかのように世界中をのさばり歩き、脚が無いのですから歩くことができませんから、いざようように飛び跳ねております。
 そんな為政者に、是非、此の写真をと思うようなもう一枚の写真を持っていますので見てください。一九四五年8月6日朝8時15分其の時の広島駅での写真です。この写真の場所さえ分からなくなってしまっていますが、この写真はその時のまま時間は動いてはいません
 この写真を、今、見て、其の時の状況を説明しろと言われても、どう説明すればよいかその言葉すら見つかりません。説明なんか不要な写真です。これは誰かが、広島の人だろうとは思いますが、「二度と過ちは・・」という思いで力の限りの勇気を出してカメラのシャッターを切ったのだろうと思っています。
「あまりにも残酷すぎて見せられません。」
と言われるかもしれませんが、これぞ原爆なのです。罪も何もない親子を何の権利があって、このように無残な姿にまでして、引き離してしまわなければいけないのでしょうか。トランプに見せてあげたいですね。