ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

春よ来い

2018-04-16 09:17:43 | アート
 窓凍る 春よ来い来い 恋い焦がれ

ヴェルグラと呼ばれる霧氷化現象で、窓も道路も凍っている。多くの学校がお休み。おととい咲いたクロッカスもフリーズしてる。ほんにケベックは半年冬のようなもの。ホスピスでは毎年この時期、冬疲れがでるとのことで亡くなられる方が多い。

リュカドウバルグと羽生結弦について感じたことを少し。アーチストにとっては当たり前と言えば当たり前だが、二人ともカンディンスキーが言うところの表現へと駆り立てる「necessite interieure内的必然」が強力。リュカは小学生の時初めて耳にしたモーツアルトの曲に、それまで自分の殻に閉じこもっていたのが、自分の外になにか崇高な世界があるということに目覚め、自分もそういった世界にたどり着きたい、自分が感じている世界を表現したいという激しい渇望を覚える。羽生選手も、尊敬するプルシェンコのように滑りたい、スケートを通じて自分の世界を表現したいという夢があり、理想とするイメージに向けて精進する。こういった芸術には終わりがなく、頂上を極めた金メダル後でも、羽生はまだまだ自分の理想にたどり着いてないと満足していない。若いということもあり、二人とも、こじんまりと収まるよりは常に進化したいと危険を冒す。若さゆえの二人に感じる、野蛮とも野生ともいえるエネルギーが、多くの人の眠っている生命力に、あるいは私のように老い衰えた人々にもまだ残っている生命力に音叉のように伝わってくる。外国の多くの年配のコメンターが羽生選手から私達も学ぶものがあると語ったが、恥ずかしくてここでは書かないが私も自分の欠点がうきぼりにされる思いがした。そして少なからず鼓舞された。

羽生選手は凄まじい批判攻撃に自殺を思い浮かべたことがあると言い、コーチはネット批判を読まないようにアドヴァイスしたという。スポーツ選手の花盛りは信じられないほど短い。羽生選手だって次の世代にバトンタッチしメデイアから消えゆく時が確実に来る。たった4分ほどの競技に青春をかける若者を攻撃して何が面白いんだろうね。誰にだって好き嫌いはある。だったら嫌いな選手を攻撃するエネルギーを自分のお気に入りの選手の応援に向けて切符を買うなり、グッズを買うなり、応援サイトを立ち上げるなりすればよい。アーチストは観客あってこそ生活が成り立つんでファンというのはありがたいものだから。相手を言葉の暴力で叩きのめす顔の見えぬその言葉の影から、私は何故か血に飢えた血祭の好きなどす黒いエネルギーを感じる。嫌いなら見なければよい、付き合わなければよい、それよりは好きな人を応援してるほうが本人も幸せ気分になれるとおもう。

今年のグループ展は「vision intime 内的ビジョン」といって、自分の内的世界を表現するというもの。プロのアーチストはあらゆる機会をとおして創作するのが生活だが、私のようなボランテイア兼アマチュア絵描きは気が向けば絵を描くし気が向かなければギャラリー掃除ボランテイアだけの年もある。ちなみに自称「壁塗り掃除大臣」です。今年は全然描きたいものがなく不参加と思っていたが、羽生さんに刺激され自分に問うた。「あんたにとって今の内的ビジョンは何なんだ」と。あれこれ思いめぐらしながら内的ビジョンも年々変化すると気が付いた。

以下、今朝のヴェルグラ窓ガラス

 




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