キラークイーン

三菱からスバルへの禁断の移籍
ランエボの魂を右手に、左手にスバルの情熱を。

@killerqueenmomo

ランエボと私とインプレッサ 高校生編

2012-04-23 18:30:00 | ジャスミン
時は2004年、高校1年生になりました。CSアニマックスに頭文字Dが放送されるという事もあり、全話見ました。中学校時代からゲームや漫画とかで見ていたんですが、ハチロクは本当に速い車なのかと。ゲームではあんなに遅いのに。まぁ漫画の話ですからね。

イニDの中にランエボチームのエンペラーというチームが登場します。いろは坂の猿は「ハチロク乗ってる奴ぁアウト・オブ・眼中」「峠の王者はランエボだ」とか言ってました。作品が出た当時は最新式がエボ4だったんでしょうね。04年となればすでに8MRまで発売されていました。最初はランエボを4WDからMRにしちゃ意味ないだろ…とか思いましたよ(笑)MRはミツビシ・レーシングという強化版です。

そのエンペラーというランエボ集団は、地元のチームを次々と打ち負かしストーリー序盤にあれだけ戦ったライバルを瞬殺していきます。ハチロクはエボ4(いろは坂の猿)に勝ちますが、エボ3とのバトル(セミナー)でエンジンブローで敗戦。珍しくハチロクに勝った車です。そのエンペラーれすが高橋兄弟には負けて終わりますけど、存在感は半端なかったですね。

一方、ラリーではインプレッサとシトロエン・クサラ、フォード・フォーカスの3車で戦うような状態。三菱はいるんだかいないんだか分からないレベルです。もうどうでもよかったんですね。

04年12月。GT4購入。そこに待っていたのはハイテク装備を再現したエボ8MR。4WDの車は大体曲がらないんですがハイテクAYCやACDのおかげで謎の速さを実現していました。ラリーで見ないと思っていたらこんなところにいたとは。これは車の雑誌を買って勉強しなきゃいけないなーと思い始めるのです。そこから数年間ホリデーオートやカートップを買う生活になりました。

05年3月。ランエボ9が発売。それに続くように6月には鷹の目インプレッサも発売。雑誌はこぞって比較記事を書きまくりで私としては非常に楽しい時期に入りました。直線のインプ、コーナーのエボ、戦闘力は互角!って感じがいかにも雑誌らしい。ラリーの方は相変わらずですけど、良いドライバーが加入したのでたまに表彰台に乗ってましたね。インプもこの頃になると微妙になってきて…というかシトロエンのローブ無双が始まってました。強すぎ。

06年1月。インプレッサWRXSTI発売。8月エボ9MR発売。11月にスペCタイプRARという脅威のインプレッサ誕生。これから免許を取る私として激アツです。12月には免許取得。大学に通うためのクルマ選び本格スタート。

私が当時欲しかったのは涙目インプレッサだったんですが、まだ発売されて数年しか立っていないので厳しすぎる値段。かといってそれ以前のインプレッサはあまり興味がないんですよね。今でもさほど興味ありませんし。中古車屋のおっちゃんからガラスのミッションって言われたし。

インプがダメだという事がわかり、ぼけーっと毎日考える日々でしたが、近所に黒エボ3があったんですよ(今思えば2だったかも)、それでなかなかいいなぁ…と思ってたりもしました。しかしおっちゃんの口からは「エボ4だったら30万くらいで大丈夫」って言われましたけど、とりあえず保留。GTOはやめたほうがいいと言われまくる。店の外には黒いエボ4。まぁ悪くないかな…と思いながらも帰宅。

何にしようかな…とネットを探していたらとなり町の店に黒のエボ3が!さらに近所の店にはノンターボのR33GT-Sがありました。両方見てどちらにしようか迷っていたら親父が「エボにしろ。でないと絶対後悔する」と言われ、そこまで言われるならエボ3にと。それにエボ3とは奇跡の出会いでしたから。

そして07年2月。ついにエボ3、ジャスミンが私の愛車となるのであった。黒のエボ3はかなりドンピシャでしたからね、やっぱりエボにして正解でした。


大学生編に続く。

ランエボと私とインプレッサ 中学生編

2012-04-23 12:30:00 | ジャスミン
皆様ごきげんよう。予告通り私とランエボの出会いと今までを思い出しながら書いていきます。

時は2002年、当時中学2年生。クルマ好きであった私はマリオカートから卒業して実写が登場するレースゲームをやり始めていました。最初に買ったのは何だったかな、WRCだったかな。私が知っているレースといえばサーキットだけでしたので、公道をぶっ飛ばすラリーには衝撃を受けたものです。まだ最初だったし車種なんてロクに覚える事は出来ませんでしたし、外車が多かったですからね。

そのうちアウトモデリスタというゲームと出会います。これは国産車ばっかりでしたので良かったですね。まず私がびっくりしたのが三菱のGTOです。このアウトモデリスタというゲームはトップスピード、加速、コーナリングのグラフが表示されるんですけど、GTOはすべてMAXに近い数値でした。あんな重いのにね。ありえない(笑)

当時三菱はリコール隠しで私としても印象は良くなく、適当な気持ちで三菱の車を見たんですよ。そしたら古いギャランを除いて全ての車が他車を圧倒する性能グラフ。三菱やるじゃないか。GTOの他にもグラフがすごい車がある、ランエボです。エボ7、エボ6TM、エボ3が収録されていました。当時の最新エボはエボ7だったんですね。

当時私は大学生の方をイケメン家庭教師に呼んでおりまして、その方もランエボ好きだったんですよ。そこでランエボという車はWRCで無敵を誇った車であり、トミ・マキネンというドライバーは史上初の4年連続チャンピオンを取って記念して作られたのがエボ6TMであると。そしてライバルはスバルのインプレッサ。それでWRCのゲームをまたやって、確かにエボとインプが存在する事を確認。

そしてその大学生家庭教師、今はカルディナが好きで将来は絶対エボに乗りたいと。壊れるまで乗り続けると私に言ってました。なるほど、ランエボというのはそんなに価値がある車なのか。WRCも録画してシーズン通して見るようになりました。しかし2002年、そこには無敵を誇ったランエボの姿はなく、ランサーWRCとなり雑魚キャラ同然でした。マキネンもスバルに移籍したし。

ドライバーズチャンピオンの車は01年がインプレッサ、02年がプジョー206。三菱黄金期はすでに去ったあと。家庭教師の先生が中・高校生の時は最強時代だったんですね…。翌03年もスバルの勢いは止まりません。ちょうど若手が台頭してきてマキネンもシーズン途中で引退表明。それからあまり成績はよくありませんでしたが、現役最後のグレートブリテンラリーではやたら速くて3位フィニッシュ。最後をお立ち台で飾りました。

2年連続でインプレッサが1位を取ったということもあり、私の気持ちは完全にインプレッサに行ってました。丸目から涙目インプレッサに変わり圧倒的な速さ。ランサーとは大違い、評価もガタ落ちです。よーし将来はインプレッサに乗ろう!と決めるのでした。


高校編に続く。