みなさんは最初にご自分が使ったカメラを覚えておられるだろうか?私の場合、幼い頃からカメラに興味があったのかもしれないが、自宅にあったカメラは、オリンパスの、PEN EE-3だった。
1950年代終わりから、1970年代にかけては、いわゆるカメラ普及時期にあたり、その役割を大きく果たしたのが、35mmフィルム規格で、ちょうど半分の縦長に写すことができる、いわゆるハーフサイズカメラだった。
いまでこそほとんど、このタイプのカメラは市場から消え去り、それどころかフィルムすら消えてしまいそうなデジタル一辺倒の世の中だが、いまでも中古市場で、このタイプのカメラはたくさん流通しており、しかも比較的安価で入手することができる。まあ、30-40年前の物が多いので、状態はあまりよくないかもしれないが。しかし、当時のカメラはしっかりと造られているので、まだまだ現役で通用するものも多い。
オリンパスのPENシリーズは、このハーフサイズの火付け役であり、オリンパスの技術者の米谷美久(まいたに よしひさ)氏が若い頃、心血を注いだことはあまりにも有名だ。新人教育の一環として安価な小型カメラの設計を任されたが、ライカなどカメラに非常に造詣が深かった米谷氏は、コストダウンだから性能の悪いカメラというのではなく、ライカのサブにも使えるようにと、自分が使いたくなるようなカメラを設計したらしい。
ハーフサイズにすれば、被写界深度は深くなるし、カメラやレンズも小型化できる。ちょうど現在の、コンパクトデジカメみたいなものだ。しっかりした小型ボディーに、優秀なレンズをセットするとこで、このカメラは希有な存在となり、まさに時代の寵児であったといえる。
ということはもちろん、幼い私の知るよしではなかったのだが、そういう経緯で、うちにもPEN EE-3があったのだろう。EE-3は1973年発売、もうハーフサイズの終焉の時期に近く、その機能はシャッターを押すだけ。ピントは固定で、露出はセレン光電池によるもので、暗いときはファインダーに赤いベロがでてきて、シャッターがロックされた。
非常に親切で簡便なカメラであり、ファミリーユースに持ってこいだったのだが、こども心に私は、暗いところでシャッターが切れなくなるのが不満だった。
なにを思ったか、ふと、このカメラが欲しくなり、店を物色することとなった。似たタイプのものはあるのだが、結局私が選んだのは、絞りもシャッターも自分で決め、32mm F1.7という大口径レンズを装着した、PEN D3を選んだ。
まあまあの状態だったが、店ではあまりわからなかったが、モルトはボロボロで、ファインダーはカビだらけで曇ってしか見えないし、店でなんとか露出計の針は動いていたものの、自宅に帰ってからは、機嫌のよいときは少し針が振れるという程度であった。
ファインダーはさっと覗くだけだし、モルトは少し足して張って修正するかと思い、露出はコンパクトデジカメとでも併用すれば、露出計代わりになるだろうから、まあ遊び気分で、リバーサルフィルムで撮影してみた。
撮影状況は、梅雨の早朝の散歩のお供。こんな小さなカメラなら、ちっとも邪魔にならない。露出は1回だけ測っておいて、あとは適当にシャッターや絞りをいじるだけ。ピントは目測なので、トイカメラ気分だ。
結果的に、露出は外したものもあったが、まあまあ味として納得できるもので、しかも絞り開放で撮影した画像は適度な軟らかさがあり、これは現代のレンズにはない雰囲気を醸し出してくれる。リバーサルなら現像代は変わらずに倍撮れるし、スキャナで読みこめば十分使えるので、これからも散歩のお供はしばらくこれを使ってみようと思う。もし壊れちゃったら・・・寂しいけど、部屋の飾りにしよう。しかし丈夫そうなので、まだまだ、働いてくれそうだ。
(この写真はNikon coolpix P5000で撮影)
1950年代終わりから、1970年代にかけては、いわゆるカメラ普及時期にあたり、その役割を大きく果たしたのが、35mmフィルム規格で、ちょうど半分の縦長に写すことができる、いわゆるハーフサイズカメラだった。
いまでこそほとんど、このタイプのカメラは市場から消え去り、それどころかフィルムすら消えてしまいそうなデジタル一辺倒の世の中だが、いまでも中古市場で、このタイプのカメラはたくさん流通しており、しかも比較的安価で入手することができる。まあ、30-40年前の物が多いので、状態はあまりよくないかもしれないが。しかし、当時のカメラはしっかりと造られているので、まだまだ現役で通用するものも多い。
オリンパスのPENシリーズは、このハーフサイズの火付け役であり、オリンパスの技術者の米谷美久(まいたに よしひさ)氏が若い頃、心血を注いだことはあまりにも有名だ。新人教育の一環として安価な小型カメラの設計を任されたが、ライカなどカメラに非常に造詣が深かった米谷氏は、コストダウンだから性能の悪いカメラというのではなく、ライカのサブにも使えるようにと、自分が使いたくなるようなカメラを設計したらしい。
ハーフサイズにすれば、被写界深度は深くなるし、カメラやレンズも小型化できる。ちょうど現在の、コンパクトデジカメみたいなものだ。しっかりした小型ボディーに、優秀なレンズをセットするとこで、このカメラは希有な存在となり、まさに時代の寵児であったといえる。
ということはもちろん、幼い私の知るよしではなかったのだが、そういう経緯で、うちにもPEN EE-3があったのだろう。EE-3は1973年発売、もうハーフサイズの終焉の時期に近く、その機能はシャッターを押すだけ。ピントは固定で、露出はセレン光電池によるもので、暗いときはファインダーに赤いベロがでてきて、シャッターがロックされた。
非常に親切で簡便なカメラであり、ファミリーユースに持ってこいだったのだが、こども心に私は、暗いところでシャッターが切れなくなるのが不満だった。
なにを思ったか、ふと、このカメラが欲しくなり、店を物色することとなった。似たタイプのものはあるのだが、結局私が選んだのは、絞りもシャッターも自分で決め、32mm F1.7という大口径レンズを装着した、PEN D3を選んだ。
まあまあの状態だったが、店ではあまりわからなかったが、モルトはボロボロで、ファインダーはカビだらけで曇ってしか見えないし、店でなんとか露出計の針は動いていたものの、自宅に帰ってからは、機嫌のよいときは少し針が振れるという程度であった。
ファインダーはさっと覗くだけだし、モルトは少し足して張って修正するかと思い、露出はコンパクトデジカメとでも併用すれば、露出計代わりになるだろうから、まあ遊び気分で、リバーサルフィルムで撮影してみた。
撮影状況は、梅雨の早朝の散歩のお供。こんな小さなカメラなら、ちっとも邪魔にならない。露出は1回だけ測っておいて、あとは適当にシャッターや絞りをいじるだけ。ピントは目測なので、トイカメラ気分だ。
結果的に、露出は外したものもあったが、まあまあ味として納得できるもので、しかも絞り開放で撮影した画像は適度な軟らかさがあり、これは現代のレンズにはない雰囲気を醸し出してくれる。リバーサルなら現像代は変わらずに倍撮れるし、スキャナで読みこめば十分使えるので、これからも散歩のお供はしばらくこれを使ってみようと思う。もし壊れちゃったら・・・寂しいけど、部屋の飾りにしよう。しかし丈夫そうなので、まだまだ、働いてくれそうだ。
(この写真はNikon coolpix P5000で撮影)