1970年代の終わり、その頃のカメラ少年にとって、手の届かない憧れの頂点の一眼レフが、Nikon F2であった。
当時は機械式マニュアルカメラの全盛期、フラッグシップ機の露出はオートではなくマニュアルで、という時代であった。
しかし1980年代に向けて、ニコンがフラッグシップとして世に問うたのが、Nikon F3であった。
天下のニコンが、なんと、フラッグシップにAEを!というオドロキを持って世に迎えられ、保守的なプロはF2を復活させろとか、なかなか過激だったと今も記憶している。
賛否両論の物議を醸したF3だったが、その優れたデザイン、使い心地、などなど・・・いくらAEが搭載されたって、いまのカメラとは比較にならないほどのマニュアルカメラであり、その後20円以上に亘って、造られ続けた長寿機種となった。
現在はもちろん現役の機種ではないが、中古市場でも見つけやすく、比較的リーズナブルに入手できる。街で若い女の子がこのカメラを肩から提げていると、お主できるな、とおじさんは思ってしまう(笑)。
私も40歳を越えてやっと、このカメラを手中にすることができた。記念すべき最初の撮影は、春の京都の嵐山・嵯峨野だった。
しかしせっかく撮影したフィルムを、7月になってやっと現像することができたので、今回アップしてみる。
カメラはもちろん、Nikon F3HP。レンズはAi50mm F1.2で、絞り開放で撮ると、とてつもなく軟らかい写真になる。
フィルムはコダックの、エリートクローム エクストラカラー。曇天でも発色が豊かだ。
一枚目は、嵯峨野竹林。僧侶の集団に出会った。操作性のよいF3は、MFでも素早くスナップできる。
当時は機械式マニュアルカメラの全盛期、フラッグシップ機の露出はオートではなくマニュアルで、という時代であった。
しかし1980年代に向けて、ニコンがフラッグシップとして世に問うたのが、Nikon F3であった。
天下のニコンが、なんと、フラッグシップにAEを!というオドロキを持って世に迎えられ、保守的なプロはF2を復活させろとか、なかなか過激だったと今も記憶している。
賛否両論の物議を醸したF3だったが、その優れたデザイン、使い心地、などなど・・・いくらAEが搭載されたって、いまのカメラとは比較にならないほどのマニュアルカメラであり、その後20円以上に亘って、造られ続けた長寿機種となった。
現在はもちろん現役の機種ではないが、中古市場でも見つけやすく、比較的リーズナブルに入手できる。街で若い女の子がこのカメラを肩から提げていると、お主できるな、とおじさんは思ってしまう(笑)。
私も40歳を越えてやっと、このカメラを手中にすることができた。記念すべき最初の撮影は、春の京都の嵐山・嵯峨野だった。
しかしせっかく撮影したフィルムを、7月になってやっと現像することができたので、今回アップしてみる。
カメラはもちろん、Nikon F3HP。レンズはAi50mm F1.2で、絞り開放で撮ると、とてつもなく軟らかい写真になる。
フィルムはコダックの、エリートクローム エクストラカラー。曇天でも発色が豊かだ。
一枚目は、嵯峨野竹林。僧侶の集団に出会った。操作性のよいF3は、MFでも素早くスナップできる。