2018年5月3日プレイバックシーン
GWで賑わう関空旅客ターミナル
海外への脱出組も堅調だとの事だ
一方
貨物機の動きはどうなのかなぁ
エアラインによっては運航休止も発生している
FedEx は関係なく運航している感じだ。アップしてみる。
5月3日 シンガポール航空 B787-10 を待っているとMD-11が来た
駐車場屋上で着陸機を撮る
am 7:47 MD-11. N573FE Guangzhou(CAN)から到着
am 8:44. B777-FHT. N844FD Guangzhou(CAN)から到着
★広州白雲国際空港から2機到着だ
広州国際空港は中国国内空港で、旅客数第2位 貨物取扱量 第4位
FedEx離陸シーン
✳️am 11:26 MD-11
★N589FE➡︎香港国際空港へ向かう
後続機は、シンガポール航空 B787-10 最新鋭機だ
★メチャ早い機首上げやな 空かなぁ〜と知り合いと談笑
✳️pm 13:12
★N573FE ➡︎ 成田空港へ向かう
★N623FE 後続機
MD-11 2機が 珍しい
メチャ 上がりが早いな・・成田行きなので燃料がメチャ少ないので軽い。貨物も少ない?
上昇角度が違う
★N623FEが続く➡︎Beijing(PEK) 北京へ向かう
やや滑走は長い 重そうな感じで上昇角度は前のN573FEより低い。全然違う!
MD-11が 連続離陸シーンは珍しくアップしておきます
視界は午後から良くなった
pm 15:15 淡路島上空 久し振りに視界良好
pm 16:09 富田林市 PLの塔がこんな見える!
✳️pm 17:53
★N885FD. B777FS2. ➡︎上海へ向けて
2018.5.3. 関空 sky view にて
因みに
ANA cargo 2機 朝から駐機してますが、GW お休みですかね?
✳️余談 MD-11 の現役は
★2016年7月現在、旅客型は全機運行を終了しており、貨物型のみが運行されている
★ 貨物型➡︎旅客機からの転用が多い。
・センチュリオンエアカーゴ
・フェデックス・エクスプレス(自社導入機のほかアメリカン航空などからの旅客仕様機を購入し
BCFへ改造により増強)
・ルフトハンザ・カーゴ(最後の新造機を導入したほか他社で使用していた旅客型からの転用機で運
運航している)
・ユナイテッド・パーセル・サービス(JAL、大韓航空、タイ国際航空、ヴァリグなどからの旅客中
古機をBCFへ改造している)
✳️何故、DC-11 は負けたのか!➡︎販売不振 MD-11しか売るものが無い一本足商売だった。
生産数は200機で、現在は貨物機で使われている割合が多い。マクドネル・ダグラスがボーイングに吸収された際には「貨物機の需要がある」として生産の継続が検討されていたが、2001年2月に、販売成績が思わしくないことと、貨物型の需要も既に就航している旅客型からの改修で満たせること、ボーイング社の777と競合することなどから200機で生産が中止された。生産開始からわずか10年間しか製造されなかった。
★販売成績が伸び悩んだ理由は、いざ飛行試験が始まると空気抵抗が予想以上に大きく、またエンジンの燃費も予想以上に悪かったこと、さらには機体重量が予定を大幅にオーバーしてしまいユーザーとなる航空会社を満足させられなかったこと、ETOPS規制の大幅緩和により飛行ルート選択における双発機に対するアドバンテージが失われたこと、生産が開始される前に、より経済性の高いエアバス社のA330やA340、ボーイング社の777などの開発が開始されたためである。
これらのライバル機材の開発の開始により、大量の発注を行っていたシンガポール航空など複数の航空会社がMD-11の発注をキャンセルしたり、日本航空の様にオプション発注のキャンセルを行った。また就航してからも、日本航空やタイ国際航空、大韓航空やアリタリア航空のように、保有しているMD-11を売却をしてこれらのライバル機を購入したり、保有はするが旅客機ではなく貨物機として運航するということが相次いだ。
マクドネル・ダグラスは当初の設計目標を達成するため、前述のように生産中に様々な改良を行っているが、航空会社からの信頼を大きく失ってしまったのも事実であり、最後まで販売を上向きにすることはできなかった。
現在は、旅客機としての役目を終えた機体の多くが貨物会社に売却されて貨物機に改造され活躍している。旅客機としては不人気でも、貨物機としては、胴体の幅が大きいことと3発エンジンのため貨物搭載量が多いことから使いやすいので需要が旺盛である。しかし一方では、このことが旅客機としての活躍期間を縮めてしまったという声もある。
✳️操縦特性
操縦が難しい機体
操縦特性としては、乗りこなすことが比較的難しいとの評価がある。同等の航空機に比べて高い速度(フラップ35度の設定で147ノット(時速272キロメートル)[16])での着陸を余儀なくされるために、着陸時のコントロールが難しくなっているようである。「操縦が難しい機体である」という操縦士の意見が一部のメディアで報道された[17]。
設計思想の誤り
前述の構造概説で記述したように、MD-11では空気抵抗の減少のために重心を後方に移動することで水平尾翼の小型化を行った。しかし、重心を後方にずらす手法は、主に戦闘機などで用いられる縦方向の動作を鋭敏にするための機動性重視の方策で[11]、旅客機においては妥当な設計思想ではなかったといわれている。
縦方向の安定性が悪い上、それをフォローするためのLSASと自動操縦装置が外れると、操縦士ではリカバリーが困難となることが後に判明した[18]。後述する事故以外にも、自動操縦装置を切ると激しい上下動を繰り返す事例が報告されている。
✳️生産終了
1990年代に入ると、中近距離用ナローボディ機のMD-90やMD-95と、販売が思わしくないMD-11しか持たない上に、軍用機部門も業績が上がらないマクドネル・ダグラスの業績は悪化し、他のメーカーとの協力や合併などがささやかれることになった。最終的には1997年8月4日付で、ボーイングとマクドネル・ダグラスは合併した。合併当初、ボーイングでは「マクドネル・ダグラスの製品群はそのまま受け継ぐ」と発表していた[9]が、わずか3ヶ月後の1997年10月に、ボーイングは「MD-11については新たな受注を行わない」と発表した[9]。
最終号機の引渡しが行われたのは2000年8月24日[9]で、MD-11は生産開始からわずか10年で製造終了となった。初飛行の時点では確定発注126機・オプション発注189機あった[6]が、最終的に製造数は全ての仕様を合計しても200機という結末であった。
✳️販売不振
1990年11月8日に型式証明を取得し、同年11月29日にはフィンエアーへの引渡しが開始され、同年12月20日にはフィンエアーで商業運航が開始されたがその後販売数は伸びなかった。前述の通り、予定性能に達しなかったためにネガティブな印象となってしまった[6]ことも一因であるが、3発機自体が中途半端な位置づけになってしまったのである[7]。
ローンチ当初に説明された、大型4発機と比較した利点において、確かにMD-11の長距離仕様 (MD-11ER) では7,144マイル(13,228キロメートル)の航続距離を有し、ボーイング747の航続距離(7,135〰7,284マイル)と比較しても遜色はない[7]が、乗客定員はボーイング747と比較すると少なくなるため、座席あたりのコストが高くなってしまう[7]。座席数を増加させると今度は航続距離が短くなってしまう[7]ため、航空会社はボーイング747導入に動くことになった[7]。また、同時期に開発が進んでいた同程度の座席数の4発機のエアバスA340を選択する例も見られた。
一方で、大型双発機と比較した場合の利点についても、双発機の洋上飛行について運用拡張が認められることになり(ETOPS認定)、エンジン1基が停止した際に着陸できる空港までの所要時間として認められる時間も当初120分程度だったものが180分に延長されるとそれまでMD-11が運航されていた路線が双発機でも運航できることになり[7]、経済性の観点から航空会社はボーイング767や777、エアバスA300-600RやA330など同程度の乗客定員の双発機を選ぶようになった[7]。
こうしてボーイングはボーイング747と双発機、エアバスも双発機を送り出し着実に市場シェアを確保していった[8]。特にエアバスのシェアはマクドネル・ダグラスのシェアを奪い取る形で拡大された[9]。それに対してマクドネル・ダグラスには3発機のMD-11しかなかったのである。