日本航空から退役15年、今も活躍する3発機「DC-10」を振り返る
日本航空(JAL)のマクドネル・ダグラスDC-10型が2005年に退役してから15年が経過しました。このDC-10は今から51年前(1970年)の8月29日に初飛行。1980年後半までに440機超が製造されました。日本では、日本航空(JAL)が20機、当時の日本エアシステム(JAS)が2機、2社で計22機が導入されました。このDC-10は、主翼に懸下される2基に加え、垂直尾翼の下部に1基、計3発エンジンの機影は、今見ると懐かしいという方は多いはず。あまり知らない方でも、貨物機、軍用機、さらに慈善事業でも現役で使われている機体を見る機会があります。そんなDC-10を振り返りました。
日本航空(JAL)の初代鶴丸塗装が残る1枚。羽田で旅客ターミナルビルが建設中の様子は、ひと昔前の雰囲気を漂わせています。オールドファンから、現在のファンまで示唆に富む1枚です。
胴体に「JAL」ロゴを施した鶴丸塗装。国際線と国内線の仕様が10機ずつあり、地方発着の国際線、特にハワイのホノルル行きに使われていました。
現在でも運航している姿を見ることができるチャンスがあるとすれば、フェデックスのDC-10をグラスコクピット化したMD-10、あるいはアメリカ空軍の空中給油機KC-10エクステンダー、そして「空飛ぶ眼科」の活動を続けるプロジェクト・オービスの機体でしょう。KC-10は60機製造、2020年7月に退役が始まり、2020年度に3機、2021年度に16機が退役する計画です。日本では、横田、嘉手納などアメリカ軍基地で見る機会がありますが、減勢する中で自分の目で見たい方は数少ないチャンスを逃したくないところです。
「空飛ぶ眼科」として、世界各地で失明防止を目ざし、眼科医の能力向上や患者治療を実施する非政府組織(NGO)のオービス・インターナショナルが運航しています。この機体は、フェデックスが寄附したMD-10、機体記号(レジ)「N330AU」です。2019年に日本に飛来した際、多くのファンがその姿を撮らえています。
現在、「N330AU」はコロナ禍の影響もあり、アメリカ以外を訪れていませんが、落ち着いたら、再び世界各地で治療のためのフライトを開始するでしょう。その時に、再び日本に訪れる可能性があるかもしれません。
了
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