一碗

みんなで楽しく、
何でもありのお茶人生・・

笹野昭男さん

2019-07-28 14:16:02 | 日記
今日は、笹野昭男さんの告別式。喪服は冬服しか持ってないので、暑いのなんのって・・

笹野さんには長いこと大変お世話になりました。感謝の言葉しかありません。

以前、浜松の三方原に県茶業試験場の三方原分場がありました。主に紅茶を研究していました。

笹野さんは、そこにもいたので紅茶に造詣が深かったのです。

昔は、研究者も実際にお茶を作れないと一人前ではなかったのです。

本格的に紅茶が作れる最後のお一人だったのかもしれません。

かれこれ、50年前、私が富士分場(富士のすそ野に火山灰土壌のお茶の特性を調べるために分場があったのです。そこのトイレの窓から見る富士山はまさに絶景でした)にいた時の分場長が笹野さんでした。


秋の終わり、仕事が一段落するころ、分場内にあった「べにほまれ」を摘んで紅茶を作っていました。
「べにほまれ」は、火山灰土壌以外では胴枯れが出やすく、育てにくい品種でした。でも、火山灰土壌ではよく育ちました。

小型の真鍮製の揉捻機で揉むのです。木の揉捻機では機械に紅茶の匂いがつくといって使わせてくれません。
昔の人は厳格でしたね。


この笹野さんが作った「べにほまれ」の紅茶は逸品でした。入れると部屋中、香りが充満しました。

以後、国産品で、あんな紅茶にお目にかかったことはありません。

四年間、草取りからお茶の審査まで、お茶づくりの一から十まで、勉強させてもらいました。

お茶時には泊まり込みです。朝5時にボイラーに火をつけます。
毎日,機械の掃除もして、終わるのは9時。
お茶工場では、いつもほうきをもっていて、一枚の葉っぱも無駄にはしませんでした。
葉っぱを踏みつけるとえらく怒られました。

何かというと、パワハラが問題になる今、現場の実技教育はどうなるんでしょうか。

おかげで、いま大きな顔ができるのも、笹野さんのおかげです。

ありがとうございました。

享年90歳。ご冥福をお祈りします。


・・・


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