このレジュメは、私の主観に左右される、随分恣意的なものです。
詳細を原典に当たられる(読書される)ことを是非おすすめします。
丸山眞男(1914~1996)
Ⅰ 進歩的知識人の代名詞的存在
①敗戦直後に西洋の教養(文明比較的な方法で)のバックボーンのもとで「日本軍国主義」、「日本ファシズム」を批判した。
②中産階級のリベラルな生活史の中で、マルクス主義も経験し、皇国思想の戦争イデオロギーに醸成される時期と、日本軍隊での
過酷で、理不尽な入隊体験を経た。
③専門の政治思想史が、西洋に根基がある学問で、自国の歴史を相対化するのに、西洋的な思考様式、分析様式によることはやむ
を得ず、自己形成期の大正末期からのデモクラシーの思潮の中で学問の自由が保証されなくなっていったことは大きな衝撃であ
った。
④自己の思想的体質が「西洋=普遍」的である、西洋主義的であることは否定しない、と言っており、自己の「疑似普遍性」を意
識化している。
⑤60年安保(別添資料:ここでは省きます。)の際に、安保の延長について岸内閣が強行採決を行った際に、強行採決反対デモ隊
で時に騒然たる状況の中で、反対に加担する、清水幾太郎、日高六郎、竹内好、鶴見俊介とともに、改定反対の「進歩的知識人
」として、様々な党派、労働組合員、一般市民に対し、執筆活動や講演などを通じ、積極的に加担した。(私見:ついでながら
、次章の吉本隆明も参加している。)
Ⅱ 「自由で主体的な個人」の過剰な偏重
①から⑤までの要因が、「西洋的近代主義から日本の負性(遅れ、歪み)を批判するという、丸山のイメージづくりを果たしてい
る。
②から④までは、生育史、培った教育の質、時代の環境等でやむを得ないところである。
問題のある①について、
西洋ファシズム
宗教戦争、絶対主義などの長い歴史を経、内面的権威と外面的権力、私的価値と公的価値、倫理道徳と法、宗教と政治が明確
に分離することになり、「自由なる主体の意志」(私見:たとえばナチスが議会制民主主義の中で勃興し、支持者の明確な意志
に支えられたということ)により成立した。
EX)ナチスのポーランド侵攻の際のヒットラーの確信犯的な演説
日本のファシズム
日本においては、前者のような二項対立が見えず、「天皇」という絶対的な価値のもとで一体化され、精神的権威が常に実体
的権力に混入し、良心、内面の問題は、道徳の体現者である「天皇」の観念にとりこまれた。また、天皇の絶対価値からの距離
によって、上から下への「抑圧委譲」の体系が成立し、その体系は、空間のみならず、皇祖に連なる時間的な垂直軸にまで遡り、
「自由なる主体の意志」などはのぞむべくもない。(超国家主義の論理と心理)
(私見:昔の老人が、「うちの土地は、天皇様からおあずかりしている。」ということ。陛下の赤子、万系一世、ご真影、教
育勅語など)
EX)東京裁判下における、戦犯の弁明で、日中戦争における「成り行き」(ソ連、西洋列強帝国主義の圧力、清王朝の内紛)
や「道徳的意図」(反植民地主義の理念「八紘一宇」「一衣帯水」など)の説明を曖昧さと無責任の典型的な例として指
弾した。
丸山のテーゼ
日本の近代天皇制社会からは個人の「責任」の観念が生まれるはずがない。
当時のインテリの共感を呼び、自由な主体的個人の不在による曖昧で、無責任な体系としての日本社会という、否定的イメージ
が、私たち日本人の中に定着してしまった。
(見解)(小浜逸郎)
「超国家主義の論理と心理」の中で、戦争遂行者に独裁的な「自由なる主体意識」のあるナチス型の方が、「被規定意識しか持たぬ
」寡頭勢力によって戦争が行われた日本型よりマシだ、と読める。
非常事態の意識化がない指導者いないことはあり得ぬことだし、開戦責任がどの個人に属するかなど判定は困難である。
(東京裁判は勝者が敗者をさばいた裁判であるし)英米型の戦争解釈と、実際の事変の流れに差があり、丸山は「個人」や「自由な主
体性」の有無により倫理的な裁断を行っている。
また丸山は、戦争の機運を作り出す国際情勢、アジアとヨーロッパの国情の違い、ナチスの実施したユダヤ人の大虐殺などの未曾
有な大罪、に考察が及ばず、公平な考察ではない。
行動する人間は、必ず上下左右、社会的、私的な人間関係にきつく規定され、「無規定的な個人」(私見:個人の意識的な意識で
それに単独で意志決定を行えるもの(?))は、どこの国でもありえない。
日本社会の「上から下への「抑圧委譲」」についても、組織のあるところではどこにでもあるもので、軍隊などの厳しい統制が必
要な組織では、必須なものではないのか。「天皇」を「総統」や「皇帝」に言い換えるだけで、どこの独裁権力に当てはまる。
EX)ナチスやムッソリーニは、「民族の崇高性」(第三帝国)などのフィクションを、「八紘一宇」などの代わりにキャッチ
コピーにしている。
Ⅲ 粗雑な東京裁判批判
丸山の戦争認識と問題点について
①「なんとなく何かに押されて、ずるずると国を挙げて戦争に突入したというこの驚くべき事態」
開国から諸外国と交渉事項に入った日本は、日清戦争を経て、10年単位で、外国と戦争を繰り返している。列強のアジア進出とい
う、歴史の流れで起こっているもので日本だけの特殊な状況でない(中国などの悲惨な状況)
②「被告の答弁の無責任ぶり」
(ナチスをさばいた)ニュールンベルク裁判の影響下で、実施され、
平和に対する罪(A級戦犯)(平和に対する罪) 死刑なし
通常の戦争犯罪(B級戦犯)(捕虜虐待など) 死刑宣告7名
人道に対する罪(C級戦犯)(国家、集団によって一般の国民に対しなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追
放その他の非人道的行為) 東京裁判での適用者はない。
しかし、横浜、マニラなどの軍事法廷で、B、C級戦犯は厳しい判決を受けた。
(私見)(EX)私は貝になりたいなど
丸山は、(何の疑いもなしに)「A級戦犯」が、最大の責任者であるかのように扱っている。
「人道に対する罪」であれば、東京大空襲や、原爆投下は明らかに該当する、したがって、起訴はなかった。
③東京裁判は、勝者が敗者をさばく裁判であり、「事後法」((私見:刑法典の遡及適用は許されない。)によって、過去をさばい
ている。
(見解)(小浜逸郎)
丸山は、全体的構図の欺瞞性を(政治学者として)意識化することなく、通俗的な「東京裁判史観」を丸呑みし、(当時の)敗北
意識に無原則に迎合してしまった。
詳細を原典に当たられる(読書される)ことを是非おすすめします。
丸山眞男(1914~1996)
Ⅰ 進歩的知識人の代名詞的存在
①敗戦直後に西洋の教養(文明比較的な方法で)のバックボーンのもとで「日本軍国主義」、「日本ファシズム」を批判した。
②中産階級のリベラルな生活史の中で、マルクス主義も経験し、皇国思想の戦争イデオロギーに醸成される時期と、日本軍隊での
過酷で、理不尽な入隊体験を経た。
③専門の政治思想史が、西洋に根基がある学問で、自国の歴史を相対化するのに、西洋的な思考様式、分析様式によることはやむ
を得ず、自己形成期の大正末期からのデモクラシーの思潮の中で学問の自由が保証されなくなっていったことは大きな衝撃であ
った。
④自己の思想的体質が「西洋=普遍」的である、西洋主義的であることは否定しない、と言っており、自己の「疑似普遍性」を意
識化している。
⑤60年安保(別添資料:ここでは省きます。)の際に、安保の延長について岸内閣が強行採決を行った際に、強行採決反対デモ隊
で時に騒然たる状況の中で、反対に加担する、清水幾太郎、日高六郎、竹内好、鶴見俊介とともに、改定反対の「進歩的知識人
」として、様々な党派、労働組合員、一般市民に対し、執筆活動や講演などを通じ、積極的に加担した。(私見:ついでながら
、次章の吉本隆明も参加している。)
Ⅱ 「自由で主体的な個人」の過剰な偏重
①から⑤までの要因が、「西洋的近代主義から日本の負性(遅れ、歪み)を批判するという、丸山のイメージづくりを果たしてい
る。
②から④までは、生育史、培った教育の質、時代の環境等でやむを得ないところである。
問題のある①について、
西洋ファシズム
宗教戦争、絶対主義などの長い歴史を経、内面的権威と外面的権力、私的価値と公的価値、倫理道徳と法、宗教と政治が明確
に分離することになり、「自由なる主体の意志」(私見:たとえばナチスが議会制民主主義の中で勃興し、支持者の明確な意志
に支えられたということ)により成立した。
EX)ナチスのポーランド侵攻の際のヒットラーの確信犯的な演説
日本のファシズム
日本においては、前者のような二項対立が見えず、「天皇」という絶対的な価値のもとで一体化され、精神的権威が常に実体
的権力に混入し、良心、内面の問題は、道徳の体現者である「天皇」の観念にとりこまれた。また、天皇の絶対価値からの距離
によって、上から下への「抑圧委譲」の体系が成立し、その体系は、空間のみならず、皇祖に連なる時間的な垂直軸にまで遡り、
「自由なる主体の意志」などはのぞむべくもない。(超国家主義の論理と心理)
(私見:昔の老人が、「うちの土地は、天皇様からおあずかりしている。」ということ。陛下の赤子、万系一世、ご真影、教
育勅語など)
EX)東京裁判下における、戦犯の弁明で、日中戦争における「成り行き」(ソ連、西洋列強帝国主義の圧力、清王朝の内紛)
や「道徳的意図」(反植民地主義の理念「八紘一宇」「一衣帯水」など)の説明を曖昧さと無責任の典型的な例として指
弾した。
丸山のテーゼ
日本の近代天皇制社会からは個人の「責任」の観念が生まれるはずがない。
当時のインテリの共感を呼び、自由な主体的個人の不在による曖昧で、無責任な体系としての日本社会という、否定的イメージ
が、私たち日本人の中に定着してしまった。
(見解)(小浜逸郎)
「超国家主義の論理と心理」の中で、戦争遂行者に独裁的な「自由なる主体意識」のあるナチス型の方が、「被規定意識しか持たぬ
」寡頭勢力によって戦争が行われた日本型よりマシだ、と読める。
非常事態の意識化がない指導者いないことはあり得ぬことだし、開戦責任がどの個人に属するかなど判定は困難である。
(東京裁判は勝者が敗者をさばいた裁判であるし)英米型の戦争解釈と、実際の事変の流れに差があり、丸山は「個人」や「自由な主
体性」の有無により倫理的な裁断を行っている。
また丸山は、戦争の機運を作り出す国際情勢、アジアとヨーロッパの国情の違い、ナチスの実施したユダヤ人の大虐殺などの未曾
有な大罪、に考察が及ばず、公平な考察ではない。
行動する人間は、必ず上下左右、社会的、私的な人間関係にきつく規定され、「無規定的な個人」(私見:個人の意識的な意識で
それに単独で意志決定を行えるもの(?))は、どこの国でもありえない。
日本社会の「上から下への「抑圧委譲」」についても、組織のあるところではどこにでもあるもので、軍隊などの厳しい統制が必
要な組織では、必須なものではないのか。「天皇」を「総統」や「皇帝」に言い換えるだけで、どこの独裁権力に当てはまる。
EX)ナチスやムッソリーニは、「民族の崇高性」(第三帝国)などのフィクションを、「八紘一宇」などの代わりにキャッチ
コピーにしている。
Ⅲ 粗雑な東京裁判批判
丸山の戦争認識と問題点について
①「なんとなく何かに押されて、ずるずると国を挙げて戦争に突入したというこの驚くべき事態」
開国から諸外国と交渉事項に入った日本は、日清戦争を経て、10年単位で、外国と戦争を繰り返している。列強のアジア進出とい
う、歴史の流れで起こっているもので日本だけの特殊な状況でない(中国などの悲惨な状況)
②「被告の答弁の無責任ぶり」
(ナチスをさばいた)ニュールンベルク裁判の影響下で、実施され、
平和に対する罪(A級戦犯)(平和に対する罪) 死刑なし
通常の戦争犯罪(B級戦犯)(捕虜虐待など) 死刑宣告7名
人道に対する罪(C級戦犯)(国家、集団によって一般の国民に対しなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追
放その他の非人道的行為) 東京裁判での適用者はない。
しかし、横浜、マニラなどの軍事法廷で、B、C級戦犯は厳しい判決を受けた。
(私見)(EX)私は貝になりたいなど
丸山は、(何の疑いもなしに)「A級戦犯」が、最大の責任者であるかのように扱っている。
「人道に対する罪」であれば、東京大空襲や、原爆投下は明らかに該当する、したがって、起訴はなかった。
③東京裁判は、勝者が敗者をさばく裁判であり、「事後法」((私見:刑法典の遡及適用は許されない。)によって、過去をさばい
ている。
(見解)(小浜逸郎)
丸山は、全体的構図の欺瞞性を(政治学者として)意識化することなく、通俗的な「東京裁判史観」を丸呑みし、(当時の)敗北
意識に無原則に迎合してしまった。
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