天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

日本の七大思想家(小浜逸郎)(吉本隆明)その2

2015-06-26 06:00:56 | 読書ノート(天道公平)
 引き続きよろしくお願いします。
 編集が悪く読みにくいのをお詫びします。
 現在、家パソコンとタブレットでテェックしてますが、うまくいきません。
 いずれもう少し進化しますので、よろしくお願いします。

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          吉本隆明(1924~2012)
                              その2

Ⅴ 現在状況に対する過剰なサービス精神

   1975年あたりから  経済成長を基盤として、急激に、生産分野、消費分野、個人生
     活、教育水準、文化領域などあらゆる部門で急激に豊かになり、バブル期にの
     ぼりつめていった。
   1980年代  ソ連をはじめ社会主義国で経済的行き詰まりを見せ
   1989年 ベルリンの壁が崩壊、中国の天安門事件(過酷な武力鎮圧を行い、以
     後、市場経済導入により経済立て直しを図る。)
   1991年  ソビエト連邦解体
     社会主義幻想は崩れ、40年続いた冷戦構造は終了した。

 これらの過程の中で、国内でも「革命」神話を信じる人はいなくなり、「前衛」や同伴知識人((EX)
山田洋次、井上ひさしなど)、進歩的リベラリスト(市民主義者)もその存在理由をなくしてしまった。

 結果として、吉本隆明も敵がいなくなった(1960年代からの戦いの意味が希薄になっててしまった)。

 (文芸評論家や詩人として活動していた吉本は)次に文化の変容に過剰な意味を求めるようになった。
  80年代 古典的教養の退潮→漫画・アニメ・映画・広告コピー
        当時のサブカルチャー → 現在はポップカルチャー
         おたく文化の発生
  資本主義の超高度化による世界史の根本的な変容、歴史上未曾有な新しい段階と評価
      EX) 坂本龍一の音楽、コムデギャルソンのファッションなど
  「ハイイメージ論」(「共同幻想論」の現代版と自己評価)を著す。

 とてもそうは言えない。
 「共同幻想論」は、千数百年にわたる「共同幻想」としての「天皇制日本国家」と、これに「逆立」す
る性的観念の現象形態である「対幻想」との関係を、その由来にさかのぼって論じた極めて原理的な本で
ある。
 モチーフは、「国家」幻想(観念)を相対化することであり、国家権力や既成左翼などを一貫して、「敵」
とみなし戦ってきた吉本にとって、敗戦から安保闘争に至るまで、思考形態に連なる必然性があった。
 (「ハイイメージ論」では、国家(最高・最大の共同幻想)相対化の試みを近代まで馳せ下って論じるの
ではなく、国家成立以前の集落のあり方や、縄文人(古モンゴル人)や弥生人(新モンゴル人)の白血病ウイ
ルスの違い(私注:「新ウイルス物語」日沼頼夫(中公新書)にあります。面白い本です。)などに言及する
ことになり、昔の吉本ファンにとって失望となった。
(私見:私のような新しい吉本ファンには、興味深い要素もありました。ただ、肩透かしを食わされたような、
著者の失望の度合いは理解できます。)
 当時のバブル期の日本の繁栄に過剰な意味づけを施し、「世界史の新しい側面」(「消費資本主義」)とは
感覚用語であり、経済的無知ではないのか。

Ⅵ 源実朝の悲劇性の鮮やかな分析

 吉本は情況に極めて敏感な思想家であり、場合によって抑制の利かない場合がある。
(私見:これは極めて大事な資質であって、敗戦後、吉本は、危機的な状況(戦中・敗戦後の絶望的な時期)
 で、先人の言葉を渇望した、という体験で、激動期に小林秀雄は答えてくれなかった、との苦い思い出があ
 り、以来必ず、若者の問いには真摯に答える、という思想的態度をとっています。したがって、二流の(?)
 大学の学園祭にでも信頼に足る主催者に呼ばれれば、必ず出席しており、個人的に、尊い態度とあったと思
 っています。また、3.11後に、私は、このような大変な時期に、吉本は何を言うのか、ということに深く興
 味を持っていましたが、後日また触れますが、とても良いコメントを発しています。3.11後、この未曾有の
 時期に、自分自身の思想の営為を通じて、きちんと答えた人は稀であり、改めて、思想者として何が「誠実
 な」態度なのか考えさせられたところです。)

        
  1970年代以降
   高く評価できる仕事
    「源実朝」(1971年)、「論註と喩」(1978年)の中の「喩としてのマルコ伝」
      
   評価できない仕事
    「心的現象論序説」(1971年)、「最後の親鸞」(1971年)、「論註と喩」(1978年)の中の「親鸞
    論註」

 「源実朝」(1971年)について、
 吉本隆明は、文学の芸術的価値のみを論じる評論家のみならず、政治や社会や人間の生き方などにかかる浩瀚
な視野をもった、一種の全人格的知力の持ち主であり、実朝の歌は並み居る古典詩人の中でその生きた過酷な時
代背景による運命的なありかたと切っても切れない関係にある。吉本思想のモチーフには、国家権力による無残
な死者たちと生き残った自分や他者たちとの関係をどのようにとらえたらよいのかという戦中派特有の執拗な問
いかけがある。適材適所とはこのことをいう。
(私見:芸術的評価については割愛しますが、
    太宰治が「右大臣実朝」の中で(吉本も言及していますが)
        「明ルサトハ滅ビノ姿デアロウカ、
         人モ家モ暗イ内ハ、マダ滅ビヌ。
         平家ハ明ルイ。」
        と、実朝が平家物語の弾き語りを聴いた感興を語ったくだりがあり、その造形した実朝の深い
       独白は大変感動的です。)

 (文芸評論家などの枠を超えた、著者のいう全人格的知力の持ち主吉本隆明に対する、いわゆるオマージュと
  いっていいのではないでしょうか。)

Ⅶ 「造悪論」親鸞にあったのではないかという意図的曲解

 「親鸞論註」、「消息集」における「造悪論」の誤解・曲解(オームの地下鉄サリン事件後の擁護発言に連動)の解釈

 <おもうまじきことをこのみ、身にもすまじきことをし、口にもいうまじきことをもうすべきよう、もうされそ
  うろうこそ、信願坊がもうしようとはこころえずそうろう。往生にさわりなければとて、ひがごとをこのむべ
  しとはもうしたることそうらわず。かえすがえすこころへおぼえずそうろう。>
  
親鸞の考え
  自分の悪人正機説(歎異抄の有名な一節「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」に表されたような
 思想)が、そちらの地方では「悪をすすんでなせばなすほど往生できる」(造悪論)と曲解されているようだが、
 弟子の信願がそのように言うはずもないし、私自身「往生できるかできないかに差しつかえがないからと言って、
 あえてよからぬことを好むがよい」などといった憶えは金輪際ない、というものであり、

  悪人正機説とは、衆生は自分を含めて皆凡夫であるから、条件(契機、業縁)さえ整えば覚えず悪をなしてし
 まうものであり、それが苦しみ悩みの種となる。そういう、苦しみ悩みの種を持ってしまった後に、はじめて救
 われる道はないものかという渇仰を抱くようになる。しかし、自力に頼ってもそれは叶わないので、阿弥陀様は、
 幸せにこの世を送っている人よりも、そういう人にこそ手厚く目をかけてくれる、のだということ
吉本の考え
  <なぜなら人間はもともと悪なのだから、「思うまじきことを好み、身にもすまじきことをし、口にもいうま
 じきこと申してもよろしい」のだとする許容の仕方(赦し)として現れるからだ。教義的には悪が「往生にさわ
 りがない」ことは確実であった。>

 なぜ、これらの誤訳、誤読、自己流解釈を行うのかの原因(小浜の指摘)
  親鸞の思想そのものに、「造悪論」を許容するような内在的な要素があったということをあくまで主張したい
 という強い動機がある。吉本は、親鸞を宗教の内側からの解体者として見ている。(そこは微妙なところであ
 る。)
  それは、イエスが結果的に古代ユダヤ教の解体者であったという意味合いに近い範囲でのみ成り立つ。イエス
 は、ア 個人の「内面」の重要性を強調すること、イ 下賤な身分な者にこそ神に受け入れられると説くことに
 よって、新しい世界宗教を作り上げた。(改革でなく革命)
  親鸞についても同様で、悪人正機説「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」は、逆説が逆説である
 限りで成り立つのであって、それは「わがこころのよくて殺さぬにはあらず」(善人でいられるのは自分の意志
 でいられるのではなく、悪におちいる契機をたまたま持たないからに過ぎない。)という認識とセットになって
 初めて宗教として強力な力を有する。つまり、親鸞にとってもっとも重要な救済の対象は、凡夫であるがゆえに
 何らかの業縁によって不可避的に悪を犯してしまうような存在で、そのような存在こそ煩悩に苦しめられた存在
 として弥陀の本願に適う。自力の計らいによって悪をなすような人は、煩悩に苦しめられない限りで、はじめか
 ら救済の対象から排除されている。

  逆説をそのまま解釈し、すすんで悪をなすほど浄土に行けると説いたのが「造悪論」

   悪を犯したこと、すでに悪に染まっていることに対する苦しみ悩みの自意識が存在しないところに、宗教は
   決して手を差し伸べない、親鸞はそれを強調した。

  重ねて、なぜ、吉本は誤訳、誤読、自己流解釈をしたのかというと、

   親鸞を宗教の内部からの解体者に仕立て上げ、宗教がはらみがちな秘教性、権威性、密教性、瞞着性の戦士
   として見立てたかった。そして、願わくは「共同幻想」という意味で宗教と共通する「国家」からの解放思
   想をその上に重ね合わせたかった。

   (私見:そのバイアスのもとで浅原彰晃を弁護し、いわゆる大衆から猛反撃を食らった)
   「戦後思想から唯一良い点を取り出すとすれば、個人の生命を最大限尊重することである」といった吉本と
   すれば、無残な話である。
   (私見:「人一人の命は地球一つほどに重い」と言ったのは、福田赳夫首相であったが(ハイジャック事件で人
    質解放を盾にされ、収監中の連合赤軍幹部を超法規的措置で釈放した。重信房子など)、現在のようにク
    ゛ローバリゼーションンの影響下でテロリズムが悪質化、日常化すると、再度、当該倫理的態度(哲学的態度)深く問
    われると思います。)゛

Ⅶ 「往相・還観」解釈に見る我田引水

 <<「知識」にとって最後の課題は、頂を極め、その頂に人々を誘って蒙を開くことではない。頂を極め、その地
  点から世界をみおろすことでもない。頂を極め、そのまま寂やかに<非知>にむかって着地することができれ
  ば、というのが、おおよそあらゆる知にとっての最後の課題である。>> (吉本の考え)

 知の頂にのぼりつめることを(親鸞のことばをとって)「往相」ということばに託し、「頂を極め、そのまま寂
やかに<非知>にむかって着地する」ことを、やはり、(親鸞のことばをとって)「還相(げんそう)」というこ
とばに託した。

田川健三(聖書学者)の批判
(私見:学生時代に神学部の学生がよく話していた思想家です。「イエスという男」という本が良い、と言ってい
ました。)

 親鸞の前提としている思想としては、「往相」とは、自ら功徳を作り上げて極楽浄土に往生することである。「還
相(げんそう)」というのはその地点から帰ってきて、全ての衆生を教化して、成仏できるようにすることである。
(中略)この場合、「成仏、往生する」、ということは、知の頂にのぼりつめることとはおよそ違う水準の問題であ
る。(中略)吉本にとって「往相」、「還相」ともに、我々人間がたどるべき道筋と考えられている。しかし親鸞に
とっては、「往相」、「還相」とも、娑婆で生きている人間ができることではない。(中略)人間と超越者を徹底し
て転倒しているから、「往相」、「還相」とも阿弥陀仏の行為としか考えない教義である。(中略)それを吉本は、
「知」を極めていく特別に優秀な人間の行為、若しくは、それがだめだと知って、「大衆」の中に戻ってくる行為だ
と言い換えた。それでは話の水準も内容も全然違う。しかも全然違うところに図式だけは親鸞から借りてきて当ては
めた。(中略)「知」の頂を極めるだの、そこからそのまま「非知」に着陸するなど、我々現代人が直面している巨
大な「知」の問題の横で空疎な図式を無為にあやつるだけで終わるだろう。

小浜の考え
「往相」、「還相」とは、知識人が知的上昇過程をとげるにつれて、大衆より存在として高い地点に立ったかのよう
な錯覚におちいることを徹底的にチェックすることであった。そのチェックの対象は当然自分自身も含まれ、自分自
身が大衆から孤立した孤独な知識人になってしまったことに対する過剰な自己批判の試みと思ってよい。その過剰さ
が思い余って、「寂かに<非知>にむかって着地する」などという奇妙な理念を言わせている。 
 大衆偶像視のヴァリエーションではないのか。

 人類の叡智は、哲学的なものにせよ、政治や社会に関するものにせよ、自然科学的なものにせよ、歴史的な蓄積に
よって、どんどん広がりと深さを増し、無限に発展していく宿命を担っている。(多くのひがごとが混入することも
避けられないが、)人間の「知」というものは事柄の本質上そうならざるを得ないものである。
  註 僻事(ひがごと) 道理や事実と違った事柄。不都合なこと。

 吉本のいう「還相」の過程など夢見ること自体、無駄なことなのだ。
 (私見:知的な上昇と拡大は人間の観念にとって自然過程、というこの認識は(ヘーゲル→吉本)からもらったよ
  うに思われます。また、自分自身、学生時代、周囲とか親とかバカに見えてしまうのは、また共通の言葉を失っ
  てしまうのは、知的に上昇する過程で、どうしようもない自然過程だと思っていました。)

 「我々現代人が直面している巨大な「知」の問題」(田川健三)とは、おそらくこの「知」の無限発展の自然過程
が、人間を必ずしも幸福にしないどころか、大きな不幸を作り出してしまうことを表しているのではないか。
 とすると、「寂かに<非知>にむかって着地する」という吉本の夢は、一人の知的人間の生き方の理想を、彼らしい
仕方で語っているということができる。壮年期に旺盛な知的生活をこなし、中高年期にその蓄積をさらに充実させ、
老年期に至って次第に自分の仕事の価値などこだわらなくなり、最終的には、ボケたり枯れたりしながら、ひっそり
として知識人としての生涯を終わる。そういうことを言っているに過ぎない。
(親鸞の晩節を読み違えて)「思想の恐ろしさと逆説」を深読みする必要はない、のである。

(私見:親鸞の救済(?)という意味で、2012年11月に「歎異抄」(翻訳:小浜逸郎)という新書がでてます。「弥陀の
  本願」など、法然=親鸞教団が、大多数の衆生の救済に何を目指したかが、明快に翻訳されており、興味深い本
  です。我が家は、浄土宗であり、開祖は「法然」で、大したことないじゃんと思っていましたが、決してそうで
  はないことがよくわかりました(吉本の親鸞論を読んでのことではありますが)。(吉本が)なぜ、どこで間違
  ったのかは、個人としては、わかりにくいところですが、教義の展開にどこがおかしいのかは少しわかりました。
  また、「知的に上昇した人間」は、何を倫理的(論理的)基準にするのか、という点で、再度「大衆の原像」を
  どう繰り込むのか、という問題が発生すると考えられます。)

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