八橋検校 道場の跡
このあたりは、筝曲「八橋流(後の生田流・小西流)」の創始者として、
近代筝曲の祖と言われる八橋検校(慶 19年~貞享2年)の道場があった旧跡です。
三絃の名手、八橋検校は20歳ころより筑紫 学び
26歳で当道の最高位「検校」につき、
晩年をこの場 曲家として、筝と三絃の道場を開きました。
平調子といわれる新しい憂いほ含んだ響きの音階を考案し、
その代表作品として「八橋の13組」「六段の調べ」「みだれ」を作曲し
今も名曲として引き継がれています。
目の不自由な八橋検校し耳の不自由なベートーベンの名曲は,
洋の東西を問わず不滅の光を放っています。
八橋検校は、子の道場で数多くの門人を養成し、武家や町衆はもちろんのこと、
島原を始め鴨東の花街に筝と三絃を広め、その感動は今につながっています。
松本宗悟(生没年未詳)は,生国は近江国(滋賀県)大津。
茶人村田珠光(1502~55)の門人で,十四屋宗伍として知られる。
天文年間(1532~55)頃活躍し,歌人としても有名。
この石標はその邸宅跡。
松本休斎とも称しました。
室町通四条上ル100m程のところに住んでいた武野紹鴎は宗悟の門弟。
祇園祭 鉾を建てるための支柱の基礎部分の土台石 船鉾
南棟
長江家住宅
主屋北棟、主屋南棟、離れ座敷、化粧部屋、旧蔵、新蔵
長江家は代々呉服の卸を営んできた。屋敷地には、通りに面して2棟の主屋が建ち、その後方に離れ座敷と化粧部屋、その奥に土蔵2棟が並んでいる。主屋北棟は、慶応4年(1868)の建築で、通り土間と居室ほひとつの屋根で覆う通りにわ形式である。一方主屋南棟は明治40年(1907)の建築で、表の店舗部と奥の居室部を玄関部でつないだ表屋造り形式の建物である。2棟の主屋は、1階に格子窓や大戸を備えて通り庇を付け、2階にむしこ窓を開くなど、京町屋の典型的な表構えをもつ。 離れ座敷は明治40年の建物で、座敷と次の間からなる。化粧部屋は大正4年(1915)に建てられた天窓のついた六畳室で、南側に浴室と脱衣室が取付く。旧蔵と新蔵はいずれも明治期に他所から移築された2階建ての土蔵である。この住宅は、形式の異なる2棟はいずれも明治期に他所から移築された2階建ての土蔵である。この住宅は、形式の異なる2棟の主屋を始めとして、離れ座敷や文書が多く残っており、当時の住宅の普請工程を知る上でも貴重である。平成17年4月1日 指定 京都市
下京区新町通綾小路通下ル船鉾町に位置し、中二階型の主屋を南北二棟持つ大型京町家。
長江家は1822(文政5)年に転居し、現在の北棟の土地に店舗兼住居を構えた。
1864(元治元)年、禁門の変により当時の主屋は焼失する。
代々呉服の卸を営んでおり、建物だけでなく明治以降の商い道具や生活用品等、
貴重な品々が大切に受け継がれている。
職住一体型の典型的な町家の佇まいを今に伝える数少ない京町家である。
2005(平成17)年に京都市指定有形文化財(建造物)に指定された。
建物は間口7間、奥行30間、面積200坪(700平米)余。
南棟の入口
北棟の入口
建物 の 正面右から見たところ
創業 元禄13年 福田金属箔粉工業 株式会社
創業 1700年 から 315年です ここは 発祥の地なのでしょう
この 石造物は 昔 製品づくりに使ったものかもしれない