アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

三條南殿の遺址  三条烏丸  源頼朝はここで働いていた

2015年11月09日 22時03分28秒 | 史跡・旧跡

 

 

三條南殿の遺址

この建物の敷地には、昔三條南殿という邸宅があった。

三條南殿は、三条、烏丸、六角、室町の4つの道に画された方121メートルの邸宅であった。

初め左大臣藤原実能の邸宅であったこの三條南殿は、

長承2年(1133)ごろ実能によって鳥羽上皇に献上され、上皇の御所になった。

これがいつ鳥羽上皇の皇女の上西門院(統子内親王)の御所になったかは不明であるが、

恐らくそれは仁平元年(1151)のことであったらしい。

それ以来、三條南殿は文治5年(1189)7月に崩御されるまで、上西門院の御所となっていた。

クリックでジャンプします  ➡ 上西門院(統子内親王)の陵墓

 

特記されるのは、保元3年(1158)から翌年平治元年にかけて、

若き日の源頼朝(1147~1199 11歳ぐらい)が上西門院の官人としてこの御所で勤務していたことである

 

 

その後、すなわち建久8年(1197)三條南殿は後鳥羽天皇の生母の

七條院(藤原殖子)の御所となり、安貞2年(1228)に崩御されるまで女院はここに住んでおられた。

平安時代後期から鎌倉時代中期まで勢威ある女院の御所であったため、

歴代の天皇はしばしば三條南殿に行幸された。また女院の女房には才媛が多かったため、

この御所は和歌文化の有力な中心の1つをなしていたのである。

昭和50年5月  平安博物館

 

12月5日 撮影  12月10日 追加

 

 


右書き看板   寮茶長信  信長の亡くなった地で  戦国マンガもあり、数々のイベント

2015年11月09日 19時57分18秒 | 右書き看板

 

京都元本能寺跡

大本山本能寺貫首が開眼供養を行う

 

約430年前、当施設のある場所で、戦国最大の事件「本能寺の変」が起きました。

多くの謎に包まれている事件ですが、

当館が織田信長の最後の地であることは間違いありません。

大本山本能寺の第139世貫首様により開眼供養がとり行われ、

本能寺の変と同じ日(6月2日)に開設されました。

織田信長公の魂と安土桃山戦国時代の息吹が身近に感じられる場所として、

多くの方々に親しまれ、訪れて頂ける事を願っています

 

コミックゼノン戦国マンガビレッジは、

「マンガや文化を通じて人と場がつながる」ことをコンセプトにした

戦国・マンガがテーマの新たな体験型の施設として、

地域住民、学生、アーティスト、観光客の方々が楽しめる「場」を提供します。店より

 

前回記事 ➡ 右書き看板   月鼓   和菓子屋さん


創業300年  齋造酢  鯖寿司の酢の製造元

2015年11月09日 17時59分25秒 | まち歩き

老舗のような雰囲気です 

隣の家には ばったり床几が備わっています 使うときに ばったり と 手前に倒します。

 夕涼みとか、商品の陳列に使ってたようです

使い終わると 写真のように しまっておきます。

 

齋造酢店は三百年以上も京酢一筋の老舗。

明治維新の際の「鳥羽・伏見の戦い」の時も蔵は燃えなかったそうで、

蔵にしみついている“蔵の虫”という酢酸菌が伝統の製法によって変わらぬ味を生み出します。

京都を代表する料亭や寿司屋が認めた齋造酢の酢は、

京の料理人はこの酢を「菱酢(ひしす)」という。そのまろやかな味わいが口コミで広がり、

今は一般小売も始めている。

「鮮魚が入りにくい京都では古くからお酢は、重宝されました。

鯖寿司に代表されるように、酢でしめた寿司文化も発達してきました」と、

齋造酢九代目の齋正浩社長は語る。

お酢は染物に使用されていたこともあり、昔から京都はお酢文化が高かった。

京料理に欠かせない酢、それがこの齋造酢が醸す「花菱酢」です。

 


登録有形文化財・中京区

2015年11月09日 09時23分07秒 | 建築物・明治・大正など

登録有形文化財・中京区

SACRA(旧不動貯金銀行京都支店)

1 26-0008 平9.9.16 SACRA(旧不動貯金銀行京都支店) 1棟 大正5年(1916)年頃 京都和装株式会社 中京区三条通富小路西入中之町

日本生命京都三条ビル旧棟(旧日本生命京都支店)

2 26-0009 平9.12.3 日本生命京都三条ビル旧棟(旧日本生命京都支店) 1棟 大正3年(1914) 日本生命保険相互会社 中京区三条通高倉東入桝屋町

平楽寺書店

3 26-0018 平10.9.25 平楽寺書店 1棟 昭和2年(1927) 個人 中京区東洞院通三条上る曇華院前町

 西島家住宅

4 26-0045 平11.9.7 西島家住宅主屋 1棟 明治13年(1880) 個人 中京区車屋町通夷川上る少将井御旅町

5 26-0046 平11.9.7 西島家住宅土蔵 1棟 江戸末期頃 個人 中京区車屋町通夷川上る少将井御旅町

 俵屋旅館

6 26-0048 平11.10.28 俵屋旅館 1棟 明治初期 株式会社俵屋旅館他 中京区麩屋町通姉小路上る中白山町

日本聖公会京都聖三一教会

7 26-0049 平11.10.28 日本聖公会京都聖三一教会 1棟 昭和5年(1930) 日本聖公会京都教区 中京区聚楽廻中町

島津創業記念資料館

8 26-0052 平11.12.2島津創業記念資料館南棟 1棟 明治21年(1888) 株式会社島津製作所 中京区西木屋町通二条下る東入西生州町

9 26-0053 平11.12.2 島津創業記念資料館北棟 1棟 明治27年(1894) 株式会社島津製作所 中京区西木屋町通二条下る東入西生州町

キンシ正宗堀野記念館(旧堀野家本宅)

10 26-0074 平12.12.20 キンシ正宗堀野記念館(旧堀野家本宅)主屋 1棟 明治中期 キンシ正宗株式会社 中京区堺町通二条上る亀屋町

11 26-0075 平12.12.20 キンシ正宗堀野記念館(旧堀野家本宅)天明蔵 1棟 弘化年間 キンシ正宗株式会社 中京区堺町通二条上る亀屋町

12 26-0076 平12.12.20 キンシ正宗堀野記念館(旧堀野家本宅)文庫蔵 1棟 文政3年(1820) キンシ正宗株式会社 中京区堺町通二条上る亀屋町

近又主屋

13 26-0081 平13.9.14 近又主屋 1棟 明治中期 個人 中京区御幸町通四条上る大日町

14 26-0082 平13.9.14 近又離れ 1棟 昭和3年(1928)頃 個人 中京区御幸町通四条上る大日町

仲家住宅

15 26-0089 平13.10.29 仲家住宅主屋 1棟 大正5年(1916) 個人 中京区室町通御池上る御池之町

16 26-0090 平13.10.29 仲家住宅土蔵 1棟 明治~大正初期 個人 中京区室町通御池上る御池之町

嶋臺絲店

17 26-0167 平16.6.24 嶋臺絲店 1棟 明治16年(1883) 個人 中京区御池通烏丸東入仲保利町

18 26-0168 平16.6.24 嶋臺酒店 1棟 明治16年(1883) 個人 中京区御池通烏丸東入仲保利町

19 26-0169 平16.6.24 嶋臺書院(旧古硯堂) 1棟 明治16年(1883) 個人 中京区御池通烏丸東入仲保利町

20 26-0170 平16.6.24 嶋臺絲店巽蔵 1棟 明治16年(1883) 個人 中京区御池通烏丸東入仲保利町

上木屋町幾松旧館

21 26-0186 平16.11.29 上木屋町幾松旧館東棟 1棟 江戸末期~明治初期 個人 中京区木屋町通二条下る上樵木町

22 26-0187 平16.11.29 上木屋町幾松旧館南棟 1棟 明治中期 個人 中京区木屋町通二条下る上樵木町

家邊徳時計店(家邊家住宅)

23 26-0193 平17.2.28 家邊徳時計店(家邊家住宅)店舗 1棟 明治23年(1888) 個人 中京区三条通富小路東入中之町

24 26-0194 平17.2.28 家邊徳時計店(家邊家住宅)主屋 1棟 明治23年(1888)頃 個人 中京区三条通富小路東入中之町

革島医院

25 26-0203 平17.12.5 革島医院 1棟 昭和10年(1935) 個人 中京区麩屋町通六角下る坂井町

文椿ビルヂング(旧西村貿易店社屋)

26 26-0208 平18.3.23 文椿ビルヂング(旧西村貿易店社屋) 1棟 大正9年(1920) アークレイ株式会社 中京区三条通烏丸西入西境町

久保家住宅(旧今尾景年家住宅)

27 26-0273 平20.3.19 久保家住宅(旧今尾景年家住宅)主屋 1棟 大正3年(1914) 個人 中京区六角通新町西入西六角町

28 26-0274 平20.3.19 久保家住宅(旧今尾景年家住宅)土蔵 1棟 大正3年(1914)頃 個人 中京区六角通新町西入西六角町

29 26-0275 平20.3.19 久保家住宅(旧今尾景年家住宅)門及び塀 1棟 大正3年(1914)頃 個人 中京区六角通新町西入西六角町

30 26-0276 平20.3.19 久保家住宅(旧今尾景年家住宅)中門 1棟 大正3年(1914)頃 個人 中京区六角通新町西入西六角町

京都芸術センター西館(旧京都市立明倫小学校本館)

31 26-0303 平20.7.23 京都芸術センター西館(旧京都市立明倫小学校本館) 1棟 昭和6年(1931) 京都市 中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2他

32 26-0304 平20.7.23 京都芸術センター南館(旧京都市立明倫小学校南校舎) 1棟 昭和6年(1931) 京都市 中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2他

33 26-0305 平20.7.23 京都芸術センター北館(旧京都市立明倫小学校北校舎) 1棟 昭和6年(1931) 京都市 中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2他

34 26-0306 平20.7.23 京都芸術センター正門及び塀(旧京都市立明倫小学校正門及び塀) 1棟 昭和6年(1931) 京都市 中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2他

京都国際マンガミュージアム旧本館棟(旧京都市立龍池小学校本館)

35 26-0307 平20.7.23 京都国際マンガミュージアム旧本館棟(旧京都市立龍池小学校本館) 1棟 昭和4年(1929) 京都市 中京区両替町通押小路下る金吹町452他

36 26-0308 平20.7.23 京都国際マンガミュージアム旧講堂棟(旧京都市立龍池小学校講堂) 1棟 昭和3年(1928) 京都市 中京区両替町通押小路下る金吹町452他

37 26-0309 平20.7.23 京都国際マンガミュージアム旧北校舎棟(旧京都市立龍池小学校北校舎) 1棟 昭和12年(1937) 京都市 中京区両替町通押小路下る金吹町452他

38 26-0310 平20.7.23 京都国際マンガミュージアム旧正門及び塀(旧京都市立龍池小学校正門及び塀) 1棟 昭和初期 京都市 中京区両替町通押小路下る金吹町452他

日本写真印刷

39 26-0395 平24.2.23 日本写真印刷本館 1棟 明治39年/昭和50年頃・平成20年改修 日本写真印刷株式会社 中京区壬生花井町

 

まとめ・検索 ➡ 登録有形文化財


本門佛立宗開講聖地

2015年11月09日 09時04分26秒 | 寺院

本門佛立宗開講聖地の由来

沿革 当地は安政4年(1857)1月12日、仏立開導立日扇聖人が八品堂・谷川浅七宅にて

本門佛立講を開き、高祖日蓮大士、門祖日隆聖人両祖のご本意を伝えてその要義をあらわし、

僧俗一体の信心を確立して妙法弘道に新生面を開拓された発祥の聖地である

 


小堀遠州屋敷跡  町の郷土史家からの発信

2015年11月09日 07時58分35秒 | 史跡・旧跡

 

 

この付近 小堀遠州屋敷跡   二条城から南へ徒歩10分

小堀遠州は小堀遠江守政一と言い、天正7年(1579)近江国坂田郡小堀村・

現滋賀県長浜市に生まれた。

遠州は徳川初期三代に仕えた幕閣の一人であり、

京都代官・伏見奉行・作事奉行として大いに活躍した。

特に作事には早くから参画し、

駿府城・伏見城・二条城・仙洞御所・桂離宮・大徳寺狐蓮庵・南禅寺金地院などの

造営に携わり、卓越した才能を発揮した。

また、遠州は茶人としての名声も高く、

千利休・古田織部・小堀遠州と続く茶道の本流を受け継ぎ今日に伝わっている。

寛永3年(1626)後水尾天皇の二条城行幸に際しては、

行幸御殿並びに庭園の造営に尽力し、行幸行事の全ての室札・繕部の総指揮を勤めた。

この行事は天皇家との姻戚関係の成立による

徳川家の威光を天下に知らしめる歴史的大行事であった。

本屋敷は六角越後町屋敷とも言われ、伏見屋敷・長妙寺屋敷と共に、

京都周辺の小堀家所有屋敷の1つである。

行幸の前後には大名・公家・旗本など多数の人々を招いて、

遠州主催の茶会が二条城に近い本屋敷で再々とり行われた言われている。

当時茶会は政治的意味合いも深く、この界隈は政治の一大中枢であったと思われる。

遠州から数代後の伏見奉行小堀和泉守政方の時代(1785)に伏見騒動が起り、

小堀家は失脚御役御免・領地没収となるが、本屋敷は小堀家所有として存続する。

文政13年(1830)に到り、本屋敷を町人に売却することになるが

その時の行政手続はすべて町中で行っており、

屋敷売買に関する文書は今も現存している。

遠州辞世

昨日と云い今日と暮らしてなす事も浮身の夢の醒める曙

平成22年2月22日  越後突抜町

小堀遠州ゆかりの地 ➡  人物006  小堀遠州