桜の馬場に 大典顕常の漢詩
ここから、急な登りが続きます
やっと 着きました 法厳寺 牛尾観音
本山修験宗の寺で山号はもと牛尾山と号したが、近年牛王山と改めた。
清水寺の奥ノ院と称する。
奈良時代、修験の場として開かれた。開祖・延鎮上人以来、修行僧の呪術的逸話が多い。牛尾山(うしおさん)という通称の由来もそのひとつ、平安時代、牛の疫病が大流行した。みかねた僧が法厳寺で祈祷をささけたところ、騒ぎも収まった。感謝の気持ちをこめて「牛尾山」と呼ぶようになった。また、同じ僧が亡母追善のため、牛皮に曼荼羅を描き、その尾を近くに埋めたことに始まるとの説もある。いまでも丹波地方の牛農家が訪れるほどの信仰を集めている。
藤原顕季(1055~1133) 平安時代後期の歌人、公卿
美濃守藤原隆経の子で大納言藤原実季の養子、
母は藤原親国の娘で白河天皇の乳母、官位は正三位修理太夫、
六条修理太夫と号した。
歌道家の流派のひとつ六条藤原家の祖善勝寺流初代
修理太夫顕季が「牛の尾や春はくるまにかつ消えてまだらにみゆる峯の白雪」と詠んでいます。
明和3年(1765)の建立
ここは 牛尾観音
音羽山・石山寺
桜の馬場を経て 上醍醐・京阪電車追分駅
紀念碑
大杉坊大権現
大杉堂
火を司る男性神の大杉坊大権現と、水を司る女性神の八頭龍王尊を、
音羽山の山の神として御祀りしております。
後方の大木を「天狗杉」と言い、京都市の巨木・名木に指定され麓の小山町には、
「天狗の爪研ぎ岩」があります。
山の神は山中を自在に飛び廻り、登山者や参詣者を守護されていると言われています。
本堂
当寺は音羽山の中腹に位置し、垂仁天皇の時代に大国ノ不遅が山上に音羽山権現社を祀られたのが始まりで、金色に輝く一筋の水の源を訪ねて入山された南都の延鎮上人によって、宝亀9年(778)に創建されました。以来、各宗派の修行僧の道場として栄え、弘法大師・理源大師・仁海僧正・智証大師等により、山岳信仰の法統を残され、音羽山清水寺が建立されましてから奥之院として親しまれております。
17日が特別な日のようです。
天智天皇作と伝わる 本尊 11面千手観世音菩薩
現在の本堂は元禄2年(1689)の再建で、
本尊11面千手観音像および不動明王・毘沙門天像を安置し、
脇壇に行叡居士や延鎮法師の像を安置する。
本堂
金生水・京都名水百選
霊水 金生水
牛尾観音の霊水 金生水
当山の開祖、南都の延鎮上人が金色に輝く一筋の水の流れの源を尋ねて来山され、
行叡居士の導きで、法厳寺が建立されました。
神佛に御供えする水(閼伽)で、心身が清浄になる霊水として、
多くの方々に求められております。
智証大師が紺神金泥の曼荼羅を書くときに用いたという
六大具足 修験道場
三・火の道場 = 護摩堂
日常生活で作り出した業や煩悩を護摩木に托して、
佛の智恵の火で、全てを焼き尽くして清浄にする道場です。
修験道の開祖、役ノ行者尊がお悟りになりました箕面山の瀧窟を観想し、
六大理観に入り、行者尊として修法して頂けるようになっています。
五・空の道場 = 釣鐘堂
梵鐘は大日如来の心を表しており、その音は法身の説法と言われます。
三界六道に苦を受けている衆生の迷夢を覚まさせてくれますので、
多くの迷いや煩悩を鐘の音と共に消滅させて下さい。
軽く一打して、目を閉じ、音の消える迄合掌して下さい。
四 風の道場 = 天龍王神
火が風を呼び、風に乗って天龍王神に降臨頂く道場です。
地・水・火・風の四大が崩れますと死に至り、
清浄になれば神佛の世界に至れます。
金生水の地龍王神と天龍王神の加護により
五感を呼び覚ました清浄な心身になって頂けます。
天龍 神
五智瀧
入行定則 五智瀧 沐浴道場
二 水の道場 = 五智滝
自然の恵みによって大地より水を頂きます。
水は生命を保つ根源であり、尊い水で心身を洗い清める道場です。
十八界を清浄にする為、十八尺の高さから・・五佛の三摩地に位した
五智如来の加護を頂いて下さい。
昭和4年10月建立
六 識の道場
寺務所
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