大谷町
かつてこのあたりが、深い谷間にはさまれていたことから名づけられた町名です。東海道沿いのこの付近では、江戸時代、大津絵や針など土産物が売られていましたが、とくに大津算盤は、近くの旧一里塚(現大谷町)、片岡庄兵衛の創始と言われています。
大津算盤(おおつそろばん)
大津は日本国内での算盤発祥の地と伝えられています。大津算盤は、慶長17年(1612)、大津一里塚町(現大谷町の西側)の片岡庄兵衛が、長崎で明(中国)から算盤を手に入れ、改良を加えたことに始まります。材質は、珠がツゲ、ヒイラギ、ウメ、枠がカシ、カキ、黒たん、紫たんなどで、桁の軸には丈夫な細竹が使用されていました。また枠や梁の裏側(底部)には、作者の居住地と名前が木版印刷された和紙が貼られているものが多くあります。算盤製造は明治期に入って廃れていきましたが、算盤師の看板や政策道具、宝永2年(1705)銘の算盤などが現存しています。なお製作道具と宝永銘の算盤は文化財に指定されています。
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き山0184 国道1号線をまたぐ歩道橋 逢坂山
今日の俳句
草の花 ひたすら咲いて みせにけり /万太郎
下のユーザー地図で京都市内の記事探索が出来ます。試してみてください。