千手堂ともいい、智証大師円珍の住房址とつたえ、堂内には千手観音像を安置されている。
詳しくは法華鎮護山王院といい、第6祖智証大師円珍の住房で後唐院ともいった。千手観音を祀るので千手堂とか千手院の名でも知られるが、円珍座主の滅後百年、円珍派と慈覚大師派の学僧の間に紛争が起こり、円珍派はここから智証大師円珍の木像を背負うて大津三井寺(園城寺)へ移住したといわれる。このお堂は歴史上きわめて重要なお堂です。
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五七五
子には子の人生だけど口を出す /久保
京の野菜
すぐき 紡錘形のおおきなかぶで、上賀茂を中心に洛北で広く栽培されている。三百年近い栽培の歴史を有し、糖度の高いかぶは天秤押し、室入れという特殊な技法で乳酸発酵により、調味料を使わず塩のみで京漬物「すぐき漬」となる。
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