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寺院右0456  霊雲院  妙心寺塔頭  西田幾多郎墓所

2018年04月27日 19時51分06秒 | 寺院

 

大永6年(1526)薬師寺備後守国長の室、霊雲院清範尼大休和尚に帰依して創建した妙心寺四派本庵の1つ。大休和尚に後奈良天皇(1497~1557、在位1526~1557)は深く帰依され、しばしば当院に行幸された。

方丈につづく「御幸の間」と称する書院(重文・室町時代)は、3間4面、単層、切妻造り、こけら葺きからなり、内部は四ツ目式に仕切って中央に帳台構えを備える。その左の一畳は、隅に違い棚を造り、上の欄間によって別室のようになっている。これは、明障子の前に机を持ち出し、書見をするようにしたためである。これがのちの書院造りでは、ここに付書院がモウケラレルになるが、ここの書院は簡素実用を旨とする初期書院造りを示すものとして、貴重とされています。内部の障壁画は、狩野元信筆といわれていますが、

片山尚景の筆ともいわれている。

庭園は書院と方丈との間の狭小なところに自然の風趣を生かしてつくられた枯山水の小庭。東部に蓬莱式の石組を配し、そこから西方へと水が流れるさまをあらわしている。

西部の石組は早く荒廃した。作庭者は相国寺の画僧で、

西芳寺(苔寺)の住持をつとめた子建(号是庵)といわれる。

寺宝に紙本水墨淡彩「山水花鳥図」49幅(重文・室町時代)は、狩野元信晩年の筆とつたえる。

元信は大休和尚に帰依し、久しく当院に住まいしてしたといわれ、当院が俗に「元信寺」とも呼ばれるゆえんである。

 

 

門内左手に哲学者・西田幾多郎博士の墓があり、

碑面に博士の号「寸心」の二字が刻されている。

西田幾多郎 石川県の人で、いわゆる西田哲学を樹立した哲学者、文学博士。

父得登、母さとの長男で、母校の金沢4高の教授をふりだしに、学習院、京大の教授、同名誉教授、学士院会員となり、昭和15年文化勲章を受章した。数百版を重ねた名著『善の研究』をはじめ『思索と体験』、『働くものから見るものへ』、『無の自覚的限定』、『自覚に於ける直観と反省』、『日本文化の問題』、『西田幾多郎全集』があり、思想界に大きな影響を与えた。晩年は鎌倉に移ったので、姥ケ谷海岸に建った歌碑とともに、墓も鎌倉東慶寺にあるが、ここ霊雲院の墓は分骨のもので、自筆で「寸心」と刻んである。

昭和20年、75歳の没であった。

 

枯山水庭 

 

書院 と 庭園

狩野元信 筆 山水図

 雪舟 筆 福禄寿図

 

関連記事 ➡  まとめ024 妙心寺

           石碑左0136 西田幾多郎の歌碑・哲学の道

寺院 前回の記事 ➡ 寺院右0455  鐘楼 北西にある  妙心寺内 日本最古・国宝

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問題の検索  どれにしますか 

2018年04月27日 17時19分52秒 | 問題

問題022 パズ 覆面算  ピヨ × ピヨ = ヒヨコ 

問題021  3辺の長さ 13、14、15の三角形

問題020 どこに 誰が 住んでいますか

 問題019  慎重に 間違いなく 数えよう 

 問題018  覆面算 その顔の正体は

問題017  見えないものの 合計は 

問題016  サイコロ の反対側の面の数は何か知ってますか

問題015  どんな数が ありますか 

問題014  3マス の 合計

問題013  あてはまる数は何でしょう

問題012   ぞろ目 の 勢ぞろい

問題011  なんでですか  説明してほしい

問題010  3 の数字が好きな人に これは お勧めです

問題009  あてはまる 数は・・・・

問題008  覆面算  かくしているのは 何か

問題007  食堂の様子 

問題006 目が眩みそう  10分ほどで終わります

問題005 10分で頭の体操 いかがですか 紙と筆記具の準備を

問題004  奇数を順番に足していくと・・・

問題003  美しさの程度はどのくらいですか  数の列

問題002 順序逆の小町算  + と - だけ使う  頭の体操にどうですか

問題001   小町算


問題019  慎重に 間違いなく 数えよう 

2018年04月27日 17時17分39秒 | まち歩き

 

10円が7枚、50円が4枚、100円が6枚あります。

合計を670円にするには何通りありますか。

 

問題選び ➡ 問題の検索  どれにしますか 

前回の問題 ➡ 問題018  覆面算 その顔の正体は


道標右0167 佐久間象山 墓道

2018年04月27日 12時26分12秒 | 道標

2018年4月18日の記事

 

 

2015年10月15日の記事

贈正四位象山佐久間先生墓道

 

 美濃国大垣

明治卅三年四月寄進      金森音次郎

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           まとめ024 妙心寺

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       道標・北野天満宮で

 道標 前回の記事 ➡  道標右0166  別格本山 広隆寺西門  三宅安兵衛建立

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まち歩き中0780  三条小橋

2018年04月27日 08時41分15秒 | まち歩き

 

木屋町通りに沿って流れる川は高瀬川である。明治の終わりまでこの高瀬川には舟底の浅い高瀬舟が通い、印半挙纏に、腰には鉈豆煙管姿の船頭達が上りは肩で引き、下りは竹竿を手際よく操りながら、舟歌も高々と行き交わった。明治28年以前

明治38年頃木屋町四条上がるより南を望む。四条小橋東入村田時計店の時計台が見える。日本最初の京電が木屋町を通ったのは明治28年である。北向きで二条まで行き、1つは東を向いて蹴上まで、西は寺町、丸太町、烏丸、下立売、堀川に出て北野へ行った。

 

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き左0779  大原  戸寺  石仏と灯籠

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