カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

転がる石には

2024-12-15 | ことば

 村上レディオでストーンズの特集やっているときに、おそらくバンド名の由来である「転がる石には苔は生えない」ということわざのことを話していた。日本でも翻訳的には知られていることわざだろうし、それっぽい例えとして、まったく聞かない類のものでは無い。しかしながらなんといっても僕らにとっては、ストーンズ的な勢いとして、苔の生えない人生を送るような、そんな気分のような意味として理解していたわけだ。
 ところが元の英国での意味としては、いわゆる転職ばかりして落ち着いて仕事をしないような人間には、富はつかない、というようなことだったらしい。ええっていう感じもするが、そういう意味として言葉なら、反抗期のストーンズということになると、根無し草というか風来坊というか、そういう感じの意味合いがあったのかもしれない。分からないけど。
 そういえば、と思って、これも有名なボブ・ディランのライカローリンストーンってのもあるんで、改めて歌詞の意味を見てみると、やっぱり転がり落ちてしまって石ころのような不幸な女の人のことを歌ってたりしている。まあ、ボブ・ディランだから意味深でよく分からない比喩がたくさんまぶしてあるんで、分かるヤツにわかりゃいいだろって言いうか、ラリっててよく自分でも意味が分からないのを楽しんでいるような人なんで、そのように捉えていいのか知らないのだけれど、まあ、英国のことわざを援用しているということは言えるかもしれない。
 もっともやはり、村上春樹さんが言うように、アメリカに渡ると苔が生えない人生の方が、生き生きしていていい意味に変身する。苔を好きか嫌いかで、解釈が変わるということなのかもしれない。日本の場合国歌にもあるくらいだから、これくらい苔の好きな国民はいないのではないか、というオチがついていた。まあ、さすがですね。
 しかしまあ苔むしたお庭なんかの話だと、風情あっていいものかもしれないけれど、ふつうは苔の生えるようなところというのは、じめじめしてよろしくない気もする。山歩きなんかすると、苔の生えているようなところは歩きにくそうだ。まあ、苔にもよるのだけれど、僕はあちこち散歩してまわるので、雨が降った後に路地にある石垣なんかについていた苔が復活して緑に変化するさまなんかを眺めていると、すっかり枯れはててしまっていたと思われた苔も、あんがいしたたかに強い生き物なんだと感心する。そういう生き方ができるかどうかわからないけど、基本的には見習いたい存在なのではないだろうか。
コメント
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