AWA@TELL まいにち

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オリンピック、迷惑なだけ

2018年07月28日 | どーでもいいこと
文科省のHP見ても、通知の原文が見つからないんだけど、

東京オリンピックのボランティア参加を促すために、大学に授業期間やら試験期間に対する配慮を求めた通知が出たとか。

もう、なんでもあり、の状況になってるけどさ、迷惑なだけ。

さっき、補講の愚痴も書いたけどさ、


授業回数の確保を厳しく教員に求めているのにもかかわらず、授業期間をいじれとはどういうことか。

個人的には、授業回数の確保なんてくだらない、と思ってはいるものの、15回(試験を含めれば16回)で紹介したいこと、伝えたいことが終わるわけでもないので、一生懸命やりくりしているけどさ、結果として、複数の授業の補講が重なってしまって、出てこられない学生さんがいることが前提の補講になっちゃったりしているという弊害まであるのが実際のところ。

どう考えてもおかしい。補講だって授業なんだから、全ての学生さんが受講できるところで開きたいんだよ。

それができない状況に追い込まれるから、結局補講で扱うのは、重要なことができないようなことになる。

今年はなあ、ピンポイントで会議を入れられて、しかも、自分が出なければどうしようもない会議を複数回。

ある授業は、5月に一度もできなかった。あまりにもひどい。

ボランティア活動が無意味だとは思わない、どんどんやればいい。

でも、それは、大学での学びより、ボランティア活動に価値を見出した、という学生さん個人の優先順位のつけ方の結果であって、休んだ授業の単位は取れなくたっていいんじゃないのか? 結果として、1年留年したって、構わないと思うんだけど、おかしいかなあ。

今でも僕は、授業での対応で、部活の大会です、というのは「頑張ってね」と背中を押すけど、毎週部活の行事とぶつかっている、なんて言ってきたら、「頑張ってね、でも単位は出ないぜ」と答えている。だって授業より部活を優先しているんだから。それが悪いんじゃなくて、部活の成果と単位との両方を求めるのは無理だ、と言っているだけ。

ボランティアも同様。

ボランティアでの経験から得られるものは、僕が喋る内容を聞いていることよりも、大きなものであることだってある。

だから、行くな、とは言わない。でも、僕の話を聞いて試験を受けて獲得する単位にはならない、というだけのことだ。


ボランティアが足りないのなら、人を雇用すればいいだけのこと。

そのお金がないなら、返上してしまえ、オリンピック開催なんて。



FACEBOOKには書いたけど、これは、大学自治への大きな干渉だ。



大学が自分たちの判断で、オリンピックのボランティア参加を単位として考える、というのであれば、まだいい。


でも、あのボランティアの条件、ひどすぎるよな。今年のような猛暑だったら、学生さん自身の身の安全がどれだけ確保できるのか。





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