隣のおばちゃんが、引っ越し先の隣町から空き家になった自宅の片付けに時々来ている。
家の中を空っぽにして、地主さんに返さなければ、空き家に無駄な年貢賃だけが掛かるからだ。
60年近く暮らしていた家の中は、古い家財道具で溢れていて
おばちゃんが捨てられなかった五人家族の歴史の品々で埋め尽くされている。
子供達の教科書や、古着。亡くなったご主人の衣類に愛用品の数々。
大量の調理道具に大量の漬物の瓶。
おばちゃんが家を出てから、そのままになっていた生活道具は、埃と黴の棲み家になっていた。
風の通らなくなった家は、瞬く間に傷んでいく。床はボコボコに波打っていた。
おばちゃんが時々片付けに帰っているのは判っていたけれど、最初の仕分けは
一人でやるのが気が楽だと思い、気を遣って声を掛けなかった。
仕分けられた教科書や、雑誌の山を外からチラッと見た時、私の中の神様の声がした。
『あなたの出番ですっ!!』
声と同時に身体が動き始め、最近の休日はおばちゃんと一緒に数時間を過ごしている。
おばちゃんは、最近までお仕事をしていた。
八十才を過ぎているとは思えない位、動きは機敏だ。
が、少し脚を悪くしたのか、最近動きがぎこちない。
おばちゃんが小さくなった気がした。人間の身体は歳を重ねながら、少しずつ乾燥していくのだろうか?
ヴヴヴ星人(私の叔母さん)が小さくなっていった様に、隣のおばちゃんの肩も小さくなっている。
他人の家に土足で入り込む無礼なことをしている私。おばちゃんも土足だ。
今日は台所の片付けを後半に一気に済ませる!
私の神様の計画だった。
暖かな日中の日差しに、作業も粛々と捗っていく。
「コンガにイソゲエナもん見られて、まっこと気の毒なけんど、すまんの、助かるわ~!」
壁に打たれた錆びた五寸釘に、中身の入ったままのレジ袋が飾りみたいに幾つも引っかけられている。
破れた襖の穴を隠すみたいに、捲られていないままのカレンダーがぶら下がっている。
おばちゃんが一つのレジ袋を見つけて引っ張りだしながら、小さく歓声を上げた。
「まあー、これ母ちゃんの病院から持って帰ったままにしとった、母ちゃんの大事にしとったバックじゃわ~」
それは20年位前に亡くなったおばちゃんのお母さんの大事にしていた、黒の褪せた薄い小さなバックだった。
「母ちゃん、何大事にしとったんだろう」
そう言いながら、おばちゃんはバックの中身を床に広げた。
それは殆どが、恩給の通知書だったり、役所からの空の封筒だったりした。
私も一緒に、封筒の中身を確かめながら、床に広げていた。
カーテンの外された部屋の窓ガラス越しに西日が僅かに射し込んでいく。カラスの声とヤマガラの鳴き声。
「ここはお国の何百里
離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて
友は野末の石の下~
思えば遠き昨日まで
真っ先かけて突進し~」
おばちゃんが、突然大きな声を張り上げて 歌いだした。
びっくりして おばちゃんを見ると、しわしわに折られた紙を見ながら 歌っていた。
「見てみ、これ、母ちゃん書いたんじゃの、母ちゃんの字じゃわ~こんがな歌、書いて歌いよったんだろか~」
『おばちゃん、軍歌の戦友じゃな、その歌…私、三番位まで歌えるよ』
そう言いながら、私は中身を確かめていた。
おばちゃんは、歌を続けていた。
おばちゃんの歌声を、聞きながら、ふと私の目頭が熱くなった。
瞬きの狭間に乾いてしまう頼りない時間みたいで、肩をすり抜けていく切ない感傷に、軽く頬を打たれた気がした。
ちょっと泣きそうになった。
『この字はなんて書いとん、知らんわ、よう読まんわ~』おばちゃんの歌が止まる。
二人で顔を合わせて、笑った。
家には空気の神様が住んでいて、
家が空っぽになって、気が通らなくなって、神様も居なくなる。
空き家とは、全ての気配が消えた時が、その家の終焉なのだと、そんな気がした。
終活をしている私の家。
処分して、捨てる捨てるをひたすら頑張っている私。
「菜~子ちゃん、これ塵取り使うか、まだ新しいぞ!」
『ありがとー、使う使う!!』
「菜~子ちゃん、この皿かわっとろ、昔買うたんじゃわ~使うか~」
『使う!!使う!!このお皿アンティークになるっ!ありがとー』
「菜~子ちゃん、物干しも使うか~」
『使う!!使う!!ありがとう!』
……私の終活は、まだまだ終わりそうにない。
草 々
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