秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷夏点描 暮らしの夏 

2012年06月30日 | Weblog

馬鈴薯の花や老婦に身を委ね

馬鈴薯の花は疎らに試し掘り

長雨に待宵草の咲くを待つ

ひそとして雨に伸びたり半夏生

日射し避け仰ぎて知るや合歓の花




梅雨の曇り空が広がる蒸し暑い午後の3時まえ、緩やかな林道をゆっくりと

歩き最上のT老婦の家を訊ねた

家の前の広い畑にはじゃがいもが植えられて、花も疎らであるがすくすくと

育っている、良く手入れされた畑の石垣に腰を下ろして休んでいた老婦は目ざとく

見つけて、声を掛けてきた

「暑いのう、来たかえ、まあ、お茶でも入れるで話しておいきや」と腰が曲がりがちの

身体をおこして、庭から居間に上がった

縁側で祖谷茶を頂きながら一時の間普通の世間話をするだけなのだが、言葉の端々に

ひとへの思いやり、自然への畏敬などが伝わってきて暖かい温もりをもらって

こころを洗われる気持ちになる

この地に生まれて80数年を生きて暮してきた山里の智慧がかがやいていた

暇ごいのおりに何時も「身体に気をつけて、あんまり働き過ぎんようにな、ぼつぼつ

せにゃ、いかんよ」というのだが

「うん、ありがとよ、わたしゃ、畑で動いとるほうが身体にええんじゃわ、動くのが

たのしいんのよ、きょう一日が早よう暮れて今日も終わったと思うわ、

あしたは、これして、あれしてと思うのたのしいもんよ」

が口癖である

「いもを試し掘りしてみようかのう、持って帰えろ、、植え付けが遅れたでのう

小さかろうのう、初物じゃあ、蒸かしてたべろ」

じゃがいもとたまねぎとねぎを頂いて帰った












テラオ兄さん絵手紙


































































菜菜子の気ままにエッセイ(ファンタジーなお時間ですよ)

2012年06月28日 | Weblog
そこは…
国道からほんの少し離れた、渓流沿いの場所

ひたすら日没を待つ…闇にならない 夜はない…
夕刻の集落に
ポツリポツリと灯がともる。
と…とりあえず書いたが、待てども、待てども灯は 点かない
あの家も
その下の家も
……灯り…つかんし
空き家か…?
もしかして?
あの上も 空き家か…

訳あり世帯の方々に、まとめてお越し頂いて、空き家をお貸しして、元気な方々には?
畑も作って頂いたら、昔のような、活気溢れる場所に、復活出来るかも 知れない

そんな無責任な事を考えながら…ワタシは 夕刻をひたすらに待った……忘れた頃に

ドンっと 日が沈む
遂に 訪れる
ご対面の時間
長かった…
逢いたくて 逢いたくて
でも 逢えなくて
恋しくて 恋しくて
でも 逢えなくて…

じっと 目を懲らして、谷川に沿った茂みを見つめる
水の流れる音
自然の吐息を集めたような、伝えられないような、無音

チカッ チカッ
シュッ シュッ
ポッ ポッ
キラッ キラッ
シューン シューン

流星群のような
闇夜の イリュージョン
キラリ キラリ

なんで~!
なんで~こんなに
ファンタジ~!
ええん? めちゃくちゃファンタジ~!

蛍 蛍 蛍
ホタル ホタル ホタル
真っ暗闇に キラッ
無音の闇に キラッ

感動…感動…
ワタシ シアワセ
感動を 独り占め

※(平日だから)

昔は 我が家の横の谷に 当たり前に ホタルが飛んでいたのに
そんな 当たり前は、いつしか 失くなって ホタルを探すことさえ 難しい… 現在

やっぱり この町の この谷川には 住んでおりました ホタルちゃん!
ありがとう!
川岸に 住む 皆様
ありがとう!
ホタルの 住める 環境を 残して下さって!

脳みそから
爪の先まで
リフレッシュ出来ました。
待つ事 2時間
待った甲斐が ありました

こんなに 柔らかい
優しい 光を
こんなに 静かに 見ていられるなんて
「ホタル見にきてね」
の手書き看板
多分 地元の町興しグループの方々のおもてなしっ ありがとうね

ハマル この感覚
癖に なりそうです

自然は 有り難い
消費税なんか 存在しない

ホタルが 飛んでいた
あたりまえに 飛んでいた
あの 時代は
何もかもが モノクロで
何もかもが モノクロだったから
全てが キラキラしていたんだね

いろんな色が 殖えすぎて
ココロが 迷いだして
ヤヤコシイ時代に
なって しまったんだね

ココロのキラキラを
持ち続けよう
ココロに ホタルを
住まわせて
ユルユルと チカッチカッと
そんな 人間に
わたしは・なりたい

祖谷の東の国から
名曲に乗せ、心を込めて雄叫びを

『ほぉたぁるぅ~!』
草 々















































奥祖谷夏点描 暮らしの夏  梅雨

2012年06月25日 | Weblog

夏草や廃家の哀れ垣間みゆ

木賃宿ふるき簾の似合ひけり

籐椅子にうきこと流し転寝す

物憂げな風情のありし夏木蔭

川上の農夫の叫び出水急

緑陰や一つ二つのありしこと

ひそとして山気を吸ひし木下闇

雨粒の猛りし野には夏あざみ



台風による梅雨前線の刺激は各地に被害を齎した

祖谷でも避難準備勧告が出たそうであるが大した被害もなく

収まった、が、長雨の影響で地盤が緩んでおり、土砂崩れに

注意が必要である

この地域は急傾斜地であり、地滑りが常日ごろ起きる危険地帯だ

どこへ逃げようと安全なところは無いと云われている

久保に住んでいたころ、台風の風雨、梅雨の大雨や雷には嫌というほど

経験しているが、あまり良いものではない

怖い思いをするのは家の裏山や裏上を走っている林道の土砂崩れである

雨が降り止まず夜になって益々酷くなってくると至るところから水が

噴出してくる、夜中に拡声器が警戒するようにがなりたてる

そのうちに裏山がゴンゴンゴンゴンと鳴り出すと寝れたものではない

同時に雷でも鳴り出そうものなら、ちじこまってしまう、一度など

自分ちに落ちたのではないかと、夜中に外に飛び出したことがある

祖谷の雷は天井からぶら下げている電球を伝って落ちると、数年前に

それで亡くなったと聞いているから、鳴り出すと布団を隅っこに

ずらして寝たものだ

裏山が何時崩れるか、雷が突然落ちるかは、運しだいであり、恐怖で

まんじりともしない夜を過ごしたものである

祖谷で暮らしていくということは一事が万事こういうことである

わが身すべてを自然のなすままに任せる、運が悪ければ万事窮す

今日一日、明日一日、一季節から四季へと繋げて生きるかその時次第










































菜菜子の気ままにエッセイ(避難なお時間です~)

2012年06月22日 | Weblog

車道の至る場所から、バンバン水が、溢れております。
パックした毛穴から、汗が吹き出しているみたいな?

仕事中は、一日中、テレビを見ない。ましてや、ローカルニュースなんて
見る時間等なく、三好市東祖谷一帯に
《避難準備勧告》
がでていたとは知らず、6時に仕事を終え、チンタラと隣町から、帰ってきました。
父上と母様と無口な夫に、お線香をあげ、暫くすると、携帯電話が鳴る。
隣のおばちゃん!

『もんたん?』
「うんっ、今さっき帰ったよ」
『今晩、どうする?』
「えっ?家におるよ」『あめえ※雨
まだまだ、ガイに降るっていよるわ~
皆、避難所に行くっていよるわ~いかんか~!』
「ワタシはそれなら、明日仕事じゃけん、今晩から娘のとこまで、行っとくわ~」
『まっこと、それがええわ~きいつけて行けよ~ほんならの~』
「ありがとう、おばちゃんも、気をつけてな~」
※これから避難所に行くおばちゃんに何を気をつけてとワタシは言うんだ…?

避難準備勧告とは、すぐに避難が出来るように、準備しましょうと言う勧告です。
初めて聞きました。多分…過去に余り、聞いたことがありません。
…で家を出る。
雨は、ガンガン降っている。
ワイパーフル稼働っ!
追いつかない~!
ワイパーが過呼吸しているっ!
雨粒!ワイパー!
雨粒!ワイパー!

……お腹が空いた
うし女に電話をかける
『すみま~せん!母ちゃんですが、今夜泊めてもらえますか~』
「母ちゃん、きよん~道、いけるん~?」
『あのな?ご飯ある?』
「ないよ~!なんか買ってきて~♪」
『あのな?明日の朝のパンある?』
「一個ならあるよ~」※一個のパンを、三人で分ける時代では、ぬあいっ!

雨粒に、打たれながら、コンビニでパンとコーヒーを購入し
雨粒に、打たれながら、お弁当を購入し
無事にうし女達のアパートに 着いた。
避難支出合計 2000円余り

アパートに入って、すぐに食器を洗う
お風呂に 入りながら、排水溝の詰まった髪の毛を、取り除く。

…忙しい
…まったり 出来ない
だから、母ちゃんは、一人暮らしが楽なのだよ
英語の説明書きのシャンプー、マギラワシイ!
英語の説明書きのトリートメントも、マギラワシイ!
洗顔はどれ?
なんで、こんなに種類あるの?
テキトーに、洗ってみる。
湯舟に まったりと浸かる。
……髪に
なんか 絡み付いた?
何…?
入浴剤の空き袋っ!!!
なんで~浴槽のフチに置くんだ~

足が 滑る…
背中も 滑る…

『浴槽、ちゃんと洗えよ~!』
と ココロで烈しく呟く。

川の激流の音もしない。
土砂崩れも心配ない、安全な 町。

祖谷は、危険な箇所が、いっぱいだ。
毎日、イチカバチカでみんな、生活している。
落石なんて、『運』次第。
イチカバチカの生活を、知っているから、みんな 強いんだね。
※開き直るみたいな?
箱物や、いりません。箱物の前に、道路を強くして下さい。
生きているのは、地元民です。
祖谷に骨を埋める覚悟の、地元民です。
国の政策と同じく、順番が 違うのじゃないか?

…とシャンプーとトリートメントの順番を間違えた、母ちゃんは思いました。

ガンバレっ!祖谷街道!梅雨はまさに 旬~♪









































 菜菜子の気ままにエッセイ(梅雨の季節の独り言)

2012年06月19日 | Weblog

前略、
いきなりこのブログを開いて、『なんのこっちゃあ?菜菜子ってなんな?誰?
これはM・iyaさんのブログじゃないんかい?』
と不審に感じた読者の皆様に、ご挨拶いたします。

わたくしは、主様の代わりに、時々、祖谷山の個人的な日常を
テキトーに呟いております、早い話が、態度のデカイ宿借りオバサンです。
菜菜子とジョーダンに、テキトーに名乗り、あれやあれやと言う月日に
読者様が繁殖しまして、引くに引けなくなった?本当は好んで

バンバン前に出ているみたいな?そんなヤヤコシイ、昔はめちゃくちゃ若かった
困難を栄養にして、バアサンになろうと企んでいる、女子です。
主様は、純粋に祖谷山を愛しております。
あれは、盲目の恋に近い愛情です。

愛する三嶺の山々の姿が、人間によって手当たり次第に荒らされることに
胸を痛めて、声を上げて哀願しては、一人で返り討ちに遭い、それでもはい上がり
再び戦うみたいな?

この経緯、山の掲示板を見ない読者の皆様方は、ピンとこないと思いますが
ここ数日、ある方の掲示板は、少々源平合戦をしておりました。
平家の舟には、主様のみ。多数の傍観者。
源氏の舟には、ワイヤワイヤの大騒ぎ~!
この山の問題は、様々な方々の価値観がありますから、是か非かなどと
言うつもりは、わたくしは、サラサラありません。

ただ、言えることは、ネットによって広められた、
『こんな登山ルート、発見しましたよ~!どうでっか~!』
の道を、歩かれた方々が、一部…遭難し、祖谷の地元のプチ高齢者達が
仕事を休んで、救助にあたる現実。

そして、様々な花々の群生した場所の、花がドンドン抜かれ、持ち帰られ
早い話が、地主さんが、
『ついて、もりは出来んわ~!はがいのうや~!』
と言われた現実。

ここで、自然は宇宙の一部、自然は誰のものでもないっ!
と言われる方々もおいでますが、ワタシは宇宙の核の一部の人間ですが、
父ちゃんと、母ちゃんに名前を付けて頂き、この世に生かさせて頂いた
個人の一部でもあります。
誰の子供でもない、父ちゃんの娘です。
鼻でわかりました。悪しからず。

ワタシは、傷つけあう、行為は好きでありません。
傷つける『言葉』や、イントネーションも好きでありません。
人間は、毎日、社会生活を送るだけで、かなりの、ストレスに、曝されるのに
仕事を離れた時位は、愉しくなくては~※仕事も愉しい方々は
この上ない幸福者ですが…

ワタシは
昔から ガイドブックにはない、祖谷のめちゃくちゃキレイポイントを
知っていますが、ワタシはケチなので、誰にも教えません。だって
大勢の方々に、その場所に行かれたら、めちゃくちゃキレイポイントが
ぐじゃぐじゃポイントに、なってしまうからです。
ネット社会によって、登山事情も変わり、これはどうにもなりません。

昔ながらの、古臭~い行政のカタチがチェンジしない限り
変わらないのではないでしようか

またまた、宿借りで愚痴りました。こんな感じで、ゴメンナサーイ。
新車購入にあたり、本日、代車を貸して頂きました。
ありがとう~!代車~!

って
172000キロ~!
なんちゅう?
ワタシの車よりヒドイでないか~!
なんか 借りた代車がひど過ぎて、
めちゃくちゃ恥ずかしいでは ないか~!

祖谷山の未来に
代車は ないよ。
祖谷山の未来を
一緒に 考えよう
きっと キラキラの答が みつかるから。
主様 いつも 祖谷山を愛してくれて ありがとう。
感謝 ちと…早いけど
合 掌~♪












































































奥祖谷夏点描 暮らしの夏 祖谷千年の森を美しくして行こう

2012年06月16日 | Weblog
むかしは美しい山、森であったであろう、祖谷千年の森は最近の数十年の間に

人間の限りない欲望の餌食となって、その荒れようは酷いものであり、可哀想な

自然を目の辺りにして、茫然自失の思いである。

考えてみれば、人間の欲望は果てしないものであろうか、山にしろ、森にしろ

自分が歩きたいと思えば、欲望を抑えることが出来ない、自然が荒れている状態で

あろうが、省みることなく、しかも他人の持ち山に勝手に入って歩き回り

土地の人に迷惑かけるなど平気である、やはり人間の性なのであろうか

省みれば、産業革命以来、人間は絶えることなく自然を攻撃して破壊してきた

人間の吐き出す汚物が強靭な自然の力を弱めていき、自然回復の望みさえ

絶たれようとしている

いまや自然破壊は放射能を頂点にして、枝葉には山歩きを含めて絶え間なく

自然に攻撃を加えている

このような状況を見るにつけ、人間は自然を破壊し尽す動物なのかもしれないとの

絶望感に襲われる。

じぶんはブッタの言葉「般若心経」、老荘思想を信望して、一遍上人を思い

良寛のこころを尊ぶことをこころの支えにしているが、なかでも老荘、良寛への

思いは深いものがある

しかし、老荘、良寛を脱化、脱進(水上勉の造語)しなければならないのではと

思うようになってきている

老荘、良寛の時代とは今はあまりにもかけ離れている、人口も少なく、自然を

破壊することも少ない時代とは違いすぎる

自然が破壊され尽すのを黙って、何も行動しないわけにはゆかない

なぜなら、人は何かを考え、何かに行動しようとする動物だからであろう

1972年に始まった「尾瀬ヶ原ゴミ持ち帰り運動」は日本で初めての自然を

大切にしてゆこうとの思想を行動で示した最初である

以後毎年のように、尾瀬ヶ原シンポジュウム、フォーラムがいまだに続いている

生態学、植樹、鎮守の森を守ろうなどで活躍されている宮脇昭先生の言葉は

こころに深く残っている

「尾瀬ヶ原は日本の奥座敷のような存在である、この素晴らしい奥座敷を守って

ゆかなければならない、皆さんは自分の庭や座敷に大勢の知らない人たちが

来て土足で歩き回られたら、さぞ怒ることでしょう、

そのように人に迷惑をかけたり、自然に迷惑をかけることのないように心がけて

この尾瀬ヶ原を美しいままに子々孫々に引き継いで渡して行こうではないか」

木道を外れて湿地に登山靴ではいり、花の写真を撮るハイカー、ゴミを持ち帰らない

ひとなど、遅々として進まない運動にも我慢強く啓蒙して、現在も続いている

祖谷千年の森を、山を守り、今よりは多少なりとも美しくして、後世に引き継いでゆくのが

山を愛し、森を愛し、自然の癒しを頂いて山歩きをしている我々が目覚めなければならない

ことである

土地の人たちも、他県から来て山歩きする人たちも、いまこそ、目覚めて、協力して行動し

なければならない

ここを歩きたい、あそこを歩きたいと思う欲望をぐっと抑えて、持ち山であり迷惑を

かけてはいけない、土地の人たちが祖谷千年の森を守ろうとしているのに邪魔を

してはいけない、欲望を抑えて歩かないことに協力してゆこうとすることが、山歩きを

するひとたちが、自然から頂いたかけがえのない豊富な智慧を持ち腐れにすることなく

それを自然にお返しして破壊を少しでも食い止めることに繋がるのである

大震災以後、なにかにつけ、我慢しなければ生活が成り立ってゆかなくなった

その顕著なものが節電であり、消費物の節約であり、諸々の社会生活などであり

此れまでとは違った社会を作り直さねばならないことを思えば山歩きそのものの

在り方も変えなければならないだろう

ひとそれぞれの思いがあろう、登山記を増やして自己満足するのも良い、年取って

歩けなくなっても、子供や孫に老後はこのように楽しんで暮したと見せるもよいかも

しれない

しかし、子供や孫が山を楽しみに出かけたが、目の前に広がる荒涼とした山を見て

唖然とすることであろう、そして云うであろう

じいちゃん、ばあちゃん等はこれだけ山歩きを楽しんで、豊富な智慧や人生の指針を

頂いて学ばせてもらいながら、山が荒れるのを黙って見ているだけで何一つ山や森に

何もお返ししなかったね、じいちゃん、ばあちゃんには失望したね、と

「祖谷千年の森を美しくして行こう」運動は始まったばかりである、この祖谷から

しっかりした基盤を作って行こう、そして「四国の森、山を美しくして行こう」に

広げて行きたいものである。
































































菜菜子の気ままにエッセイ(千年の山里の時間の果てに)

2012年06月16日 | Weblog

『祖谷』の特集番組を見ましたか。
美しい編集でした。スッキリした読後感に似た、感想です。
写真は実像であり、虚像であり
映像は実像であり、虚像みたいな?そんな風に感じました。
故郷を満喫した方々も、いっぱい居たでしょう。
なんか、やっぱ
なんか、やっぱり
《秘境》~
《おんごく》~
みたいな。※おんごくは死語に近い?

…で
最近、登山者がめちゃくちゃ多い。偽登山家もいるらしい~
山は賑やかだ。賑やかだが、なぜか地元には余り儲からない流動人口な方々。
この場所は、都会に暮らす方々の、
《ココロの逃げ場》なのかな…
ちょっと逃げてきて、元気になって帰っていく、祖谷山はまさに母なる山
《母ちゃん》なのかも。

…で 母ちゃんは
無事に 2、9%の5年ローンをクリアーできた。
最初に審査に、ひっかかり、再提出。
早い話しが、就職して11ヶ月の正直申告で、一発撃沈
更に、頭金無しでダブル撃沈。

24年前、家のローンを組んだ時も、頭金ゼロのスタートだったから、頭金無しは
貫きたかったんだけど、背に腹は代えられない。
無い袖を目一杯降って、出てきたワタクズのような諭吉さんを頭金にして
うし女の次女にお願いして、保証人になって頂いた。

勝手に産んで、勝手に育てて、挙げ句に保証人になって頂いて
めちゃくちゃ気の毒ではありんすが、母ちゃんは、いつ止まるか?
わからない車では、しもへは、行けませぬ。

次女には、何か担保を渡しておこう。
家の中で1番高価なものっ!
《父ちゃんの仏壇》
いらないか?

だいたい、ローンの申し込みが、何度か却下されそうになると
だいたいの方々は、へこみ、萎えるらしい。
が…ここがワタシのしぶといところ
少々は へこんだ。へこんだが諦めないっ!
2、9%と5%での金利は、かなり家計を左右させる。

全国津々浦々根暗マイナス思考の皆様、ワタシからのアドバイスっ!
ワタシはトンネルの中を車で、走りながら、大きな声で 叫ぶ、ヘンテコリンな特技があります。
へこんだ!
落ち込んだ!
ファイナル会社のおっちゃんの冷たい声のトーン!
全部 全部 全部お腹の中に溜め込んで
トンネルの真ん中くらいから、バーンと叫ぶ~~~!

『ワタシは審査に負けなーい!!!
絶対にクリアーするぞ~~~!
2、9パーセントっ!!!マットケヨ~~~!』

…と 叫んだ
気分は上々~!
アンポンタンマックス!!!

この特技?
意外に 使える。

で…さっき、
『審査オッケイが出ましたから』
の優しい優しい、おっちゃんの電話の声。
悪魔が天使になったみたいな、優しい声。

ケチなワタシは、数回の連絡も、おっちゃんの携帯にショートメールを送って、連絡した。
こういう、ささやかな積み重ねが、無い袖から、ワタクズをだす、資本になる。

明日からも、 五年間は頑張って働きます。
二番目うし女の、お財布に迷惑をかけないように、母ちゃんは、がんばります。

《祖谷山》
千年の山里の歴史の遥か遥か、時間の果てに…今…ここに…
銭に苦しむ 女が居た。
祖谷偽放送局
























































菜菜子の気ままにエッセイ・短編小説(初夏にて)

2012年06月13日 | Weblog
彼女に初めて会ったのは、一年前の春。
彼女の家は、山の中腹に立ち、周りは穏やかな山々に囲まれていた。
彼女の家の、石段を少し下りた場所に、畑があった。

彼女は いつもその場所で、地を這うように、肩で息をしながら
ひたすら 野良仕事に励んでいた。

訪問すると、彼女はテーブルの上に、郵便物を広げて、必ず私に見せる。
『妙なのいっぱい送ってくる、これは大事なもんかえ?』
人目でわかるそれは、
〈メール便〉の健康食品のサンプルが、数粒入っているものだった。

「おばちゃん、これな、どこの家にも送られてきとるよ。健康食品の会社からよ」
『大事なものじゃないんじゃの、誰がどうやって住所、調べるんだろ
うちは気持ち悪いわ、こんがなのは…』「心配ないよ、押し売りではないよ
捨てて大丈夫じゃけんな」

こんな会話が、度々続いた。彼女の家に届く、郵便物と言えば
公的機関の手続きの必要な書類か、メール便くらいなものだった。

16才を過ぎた頃から、この家に嫁ぎ、毎日朝夕は、畑に出ながら
60才位まで、土木作業員として働いていた。ご主人は一年前、先に逝き
一人で姑の介護をして、身体はボロボロになり
無理が祟って二年前、初めて倒れた。

息子は、一人っ子
都会にでて、家族を持って年に一度だけ、故郷に帰ってきていた。
たわいのない話しを、するときの、彼女の表情は、とても穏やかで、あれは、初夏の頃だった。

「うちのが、元気な時に、いっぺんだけ一緒に山へ行ったんじゃ~
うちんくの、山にはしらんまに、きれいな花、咲いとっての、それは、キレイなかった…
わたしゃ、おぶけたわ。あんな花、どこっちゃあで見たことなかったけん」
『旦那さんは、山に何回も登ったん』

冷めた湯呑みのお茶を、少しずつ口に運びながら、私は尋ねた。

「うちんくのは、死ぬ一年前くらいだっつろか、山へまたいたんじゃ、
水の元も見とかないかんての…ほんで、もんて悔やんだわ、
一年たったら、あのキレイな赤い花、無しんなっとるって…
ほんで、ようけ人が踏んで、踏んでしとったって…なんで、人が入ってきとんだろ…
うちんくの山や、なんちゃあ無いただの山ぞよ」

『花が見たかったんじゃなあ』
「だれぞに連れていてもろて、場所わかるんだろか
わたしは、うちんくのに、連れて行ってもろたきんの」

『おばちゃん、今の時代は、インターネットって言うのが出来てな
いっぺんに何でも広まるんよ。旦那さんは、それきり、山には行けだったん?』

「そうよ、あれが最後じゃ、爺さんと一緒に、炭焼きもしたし、炭焼いて
しもへ持って行って、米と換えた時もあったわ。昔は難儀ばっかり、しよったわ」

16で嫁ぎ、姑の世話、土木作業、野良仕事に追われ
何の道楽もせず、彼女は八十年近く、生きてきた。
ただ、毎日、鍬を杖がわりにして、生きてきた。

一年後
彼女の訃報が 私に届いた。
その日は、どんよりとした、曇り空だった。
彼女は 早朝から畑に出て、苗を植えていた。家の前の庭に、差し掛かる石段に
背中をもたれて、そのまま、息を引き取っていた。
彼女の死を
見つけた人は
一通のメール便を届けた、郵便配達の若者だった。

彼女が生涯
愛した山々の風景と
風に抱かれながら、
声もなく 呆気なく逝った。

おばちゃん
長い間 お疲れ様…
おばちゃん
赤い花の名前はね、
「ベニバナヤマシャクヤク」なんだよ。
きっと…
合 掌




















































































奥祖谷夏点描 暮らしの夏 山を歩いて

2012年06月11日 | Weblog

「山は山の住人が生活する住処

私たち登山者はその庭先におじゃましているに過ぎない」 西丸震哉

食生態学者、登山家の西丸氏に限らず、多くの心ある登山家たち、山を愛する多くの

方々からこの言葉は見聞きするわけだが、その山麓に生活する住人に配慮すべきで

あろうことを指している

立場を変えて考えると、登山者は山の住人たちから 

「また知らないヤツらが騒ぎながら庭を通り抜けていくいいかげんにしてくれ」

このように思われているかも知れません

「山を愛するひとであるならば他の動植物と同じように“山”に信頼してもらう

努力をし、環境に配慮した理念に基づいて、山の住人にも信頼してもらいながら

山に登りたいものです」























































奥祖谷夏点描 暮らしの夏 

2012年06月09日 | Weblog

山は花わかばはみどり盛りなりさとは侘びしき老の孤独を

わが庵に吹き去る風は夏みどりわびしき詩は閑古鳥の声

花を愛で風に語りて日暮らせどうきこと多し老の暮らしを

山に入り峠を行きて谷ゆきてわれの行く道さがしあぐねし

明易やはたけ耕すけもの居り

六月や消えた集落はな覆ふ

梅雨入りや今日一日を山仕事



わとうち(わが庵)は標高750前後にあり、林道から少し入って

杉林に囲まれ、しずかなところにある

杉林があるとは云えそこそこ開けていて日当たりもいいところだ

風の吹きぬけてゆく音、小鳥のさえずり、ことに小鳥はいろいろと

飛んできて変った詩を聞かせてくれる

ひとりしずかに、縁側に腰掛けてボーと何も考えない時間がいい

いつのまにか、眠くなって、居間に入って横になることもある

地デジ対応してないので、テレビは映らないから静かだ、ネットも

繋がって無いから余分な労力もいらない

文明の利器から遠く離れてほっとする「わとうち」は身体を休め、こころ

精神をクリーンにしてくれる





















































































菜菜子の気ままにエッセイ(お茶と番茶とムカデな気分)

2012年06月07日 | Weblog

爆発した新緑も そこそこに沈静し、ガラガラ愛車と、通勤するそんな毎日いろいろ。
私は気象予報士ではありませんが、なんとなく、無責任に呟けば…二週間位前から
梅雨入りしているのではないか?と思っております。
鼻が、梅雨の匂いを嗅いだのでありんす。

山々の朝霧、新緑の声…夕方の風の匂い風のトーン…梅雨の声を聞きました。
あてには?なりませんが、一人空梅雨気分を、愉しんでおります。
…で ばあばのお茶も無事に完成しました。今まで番茶しか、知らなかった私は
めちゃくちゃお茶について、《おたく》になりました。

本製のお茶。日本のお茶の製造過程は、ほとんどが大型機械によるものです。
広い茶畑。肥料を施し、手入れをして、5月頃から、茶摘機で刈っていきます。

手摘みの地方もありますが、高齢化の事情と共に、機械で刈る方々がほとんどです。
祖谷地方は、ほとんどの家が、手摘みの番茶です。摘む方々も、昔は若かったおばちゃん達です。
昔は、旦那様に恋をしていた?おばちゃん達です。

本製のお茶は、大型機械で 蒸す 冷ます 揉む 乾燥 形の完成へと流れていきます。

祖谷の番茶は、これらの工程を全て手作業で、行ないます。燃料は、蒸す時のガス代位。
あとは、太陽のチカラで、何日もかけて、干しながら仕上げます。
捨てる葉はありません。全部の葉を無駄にしないで、使えます。

機械は 早い話しが、生葉をいたぶりながら、完成させます。これでもか!これでもか!
みたいな感じで、チカラをかけていきます。完成した時には、生葉の五分の一の量になります。
超ダイエットみたいな?

…で ばあばのお茶は、1、5キロという、貧相な量でした。ここで、一つの真実なお話。
機械は、一度に、生葉50キロを、釜に入れます。
早い話し。ばあばのお茶は、祖谷地方の手摘みの誰か?のお茶と、混ざっております。
工場で、産地と機械摘みか手摘みかを、分けて保管しています。

仕上がったお茶は、原形のない、商品と化けておりました。祖谷の匂いは、しませんでした。
飲んだ時、自動販売機のペットボトルのお茶とおんなじ味が、しました。
やっぱり、番茶がいいっ!祖谷山の風と空気をイッパイ浴びたばあばの家の番茶。

排気ガスも浴びてない、肥料もやってないのに、めちゃくちゃ元気な茶の木。
来年は、なんとかしよう…無理かもしれないけど?
で…アイデアが浮かんだ。仕事に行きながら、番茶を干す画期的な方法。

この方法だと、誰もが仕事に行きながら、大量のお茶の葉を干すことが、出来る筈っ!
廃校になった、小学校のグラウンド。
名付けて、
《仕事終わるまでお茶の守りをしてあげる有料番茶てんご組合》
アイデアは 我ながらグッドでしょう~!

お茶が盛んな隣町は、高齢化を視野に踏まえながら、何十年も前から
様々な取り組みを実践している。

偉いっ!尊敬します!この町の高齢者は、元気でいる限り、生き生きと老いていけます。
それに比べ…
この村……一言で言うと
『〇△□◇▽△○えぜえぜ よもよも…どべどべ… 』

そして ワタシは
自動車ローンの審査待ち。
まだ…頭がウルウルしている…
歩くのが速い、ムカデになりたい。あれはA型か?必死で歩くではないかっ!!
頭は どっちだ?
草 々















































































奥祖谷夏点描 暮らしの夏 

2012年06月05日 | Weblog

思へただひとりおうなの質素なり畑仕事に今日も生きしを

じゃが芋の花はひっそり咲きにけり明日の糧にと愛でし育てむ

大木のヒノキの命終へにけり毘沙門天に捧げはぐくむ

じゃが芋の花は二株凛として

わが庵に一輪咲きし著莪をりて



標高800あたりの山辺で暮らすひとりの老農婦は質素である

このところ体調があまり良くないが、何時も畑で何かしら働いている

この日も一輪車にカヤ束を乗せて30mほど運ぶのに腰が痛いと一休み

で、訊ねてきた私は二往復して手伝うと、さっそく海馬で刻みだした

蕎麦を作る畑の肥として撒く準備をしていたのである

となりの一画にはじゃが芋がすくすくと育っていた、二株ほどにひっそりと

素朴で、質素な花が咲いて明日の糧を育んでいるようだ

6月、夏になったばかりの午後の何もない山里のひと時である



チェーンソーのけたたましいうなり声があたりを震わせていた

毘沙門天のお堂の広い前庭にわたしは居た、ヒノキの大木が横倒しになり

適当の大きさに切られたヒノキに細工をしている、70前後の近所のひとが

チェーンソーで削っていた

形が整ってきたので、具合をみるため組み立てはじめた、ちょうど良いらしく

満足そうにして一休みする

聞くと、その下に立っていたヒノキに寿命が来て倒れそうになり、毘沙門天の

お堂に上がる階段にしてお役に立って欲しいものとヒノキにお願いして

細工しているとのこと

年輪を重ねた大木のヒノキは次の命をはぐくむのであろう

































































奥祖谷夏点描 暮らしの夏

2012年06月03日 | Weblog
山のべに三つ葉つつじの咲きにけり老の行く道花は咲きしか

(大枝の庵でアカショウビンの鳴くを聞きて)

わが庵に赤翡翠の声わたり暫し聞きつつ夢路たどらむ

うきことを忘れたまへと鳴きにけり赤翡翠のせつなき詩かも

廃屋の関守なりし花茨

草笛を途切れとぎれて暮れる里

雨粒の滴り落ちて麦の秋

わが庵に赤翡翠の皐月かな