秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

初秋の山歩きに驟雨は降りて涼しげに

2017年08月26日 | Weblog

雲行きは怪しかったが、突然の驟雨に見舞われ、傘をさして、様子見
久しぶりの雨脚にうろうろしながら、涼しさを楽しんだ











































































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絶え間なく変わりゆく初秋の山里を歩いて

2017年08月24日 | Weblog


つい、二日まえに、歩いた雑木林の道であるのに、いままた、歩いてみて自然が変わりゆくのに
新鮮な思いを抱くとともに、過去の自然も、それに抱いた自分も取り返しがつかない、どうしようもない
寂しさ、やりきれない時の経過に取り戻しようもなく失われてしまうことに戸惑いを感じる

微かな手触りが感じられるけれども、それも一瞬にして、いま、の自然のなかに埋没して跡形もなくなってゆく
過去の情景を感じたぼくも、いまのぼくではない、いとも簡単に時が絶対の隔たりを作ってしまう

空間と時間のなかで、生きているぼくは自然のなかを歩くという行為のなかに、いつも、変わってゆく自然と
変わってゆくぼくに戸惑いを実感しながら、どうすることも出来ないもどかしさ、さびしさ、に絶望しながらも
僅かな希望を抱き、人生の終着駅に向かって歩き続ける旅でしかないのであろう




































































































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初秋の里山に変わりゆく花々とアサギマダラ蝶を眺めて

2017年08月23日 | Weblog

日々変わりゆく初秋の里山、いま、夏の花は終わりかけて、秋の花が咲くには
まだ早く、花の端境期で種類は少ない

そのなかでも、なんとなく清楚な、気品に満ちた、節黒仙翁が咲きだしていたのを
見つけてうれしくなった












































































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初秋の山に涼感を求めるも暑さは勝りて

2017年08月20日 | Weblog

日々変わっていく自然のなかに、残暑を逃れようと山に涼感を求めて歩くも
涼風のかけらも吹かず暑さと蒸し風呂のような樹林に儘ならず

が、歩くことに喜びを感じている身体や脳にとっては、お構いなくて、わがまま、気まま、
足の向くまま、なんとも、いやはや、しんどいばかり

一日幸せになりたかったら歩きなさい
三日幸せになりたかったら歩きなさい
一週間幸せになりたかったら歩きなさい
永遠に幸せになりたかったら歩きなさい 、とぼくの脳は云っているみたいな
















































































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初秋の山里に 小さい秋、見~つけた

2017年08月18日 | Weblog

早朝の雑木林はちょっと曇り勝ちであれば、涼しい風が纏わりついて
気分上々の歩きができる

まだ、青々とした木々がほとんどである、が、そのなかに、少し葉っぱが
赤くなり、混じって斑になった木があると、小さな秋を見つけた気分になって
楽しく歩けるものである




















































露草やぽつりと咲きて時すぎて


















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変わりゆく原生林の初秋に歩いて

2017年08月16日 | Weblog

初秋の森のなかを歩いていれば、気分は上々だ、わがまま、気まま、すき放題、
涼感を身体いっぱいに吸い込んで、歩く
























































































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変化していく自然のなかで、なぜ、歩いているのか

2017年08月15日 | Weblog



日々変わっていく自然のなかで、ぼくのいのち、意識がかろうじて息づくことができる環境が
「自然のなか」だとすれば、それは、いつ干上がるか、消滅してしまうか、あるいはより大きな
やりきれない混沌とした世界に飲み込まれるかわからない儚い存在















































































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原生林の森に涼感を求めて 猛暑のなかにも立秋は過ぎて

2017年08月10日 | Weblog

立秋を過ぎて、原生林に何かしら安らぎの感が漂いだした
爽やかな風が吹きぬけ、かすかに涼感が身体を包む

草木にも落ち着き感が出だしたようで、山瑠璃草は濃紺の実を蓄えてほっとした表情が漂う
栃葉人参は赤い実を熟させて次世代を繋ごうとして微笑んでいるようだ

いま、ここに、息づいて、いのち、を実感している草木たちを頼もしいと感じる初秋だ














































































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高縄山の夏祭り 高縄寺四万六千日縁日

2017年08月09日 | Weblog

今朝は高縄山の夏祭りである高縄寺四万六千日縁日であった
先手観音菩薩を安置。この日参拝すれば、一度で四万六千日参拝したことになると伝えられ
無病息災・家内安全を祈願する柴燈大護摩供・火生三昧(火渡り修行)法要が執り行われた


































































































































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再び猛暑なるも山里の小さき花は爽やかなり

2017年08月08日 | Weblog

台風一過で少し涼しくなるかと思いきや、またも、猛暑となり
山里は燃えるがごとし

しかし、小さき花たちは健気にも咲きていのちを生きている
汗びっしょりになり、雑木林を歩けることに気分は上々だ






































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菜菜子の気ままにエッセイ( 台風とセミと雨戸と時々ワタシ )

2017年08月06日 | Weblog


我が家には、雨戸が無い。
予算の都合だったのか、とにかくどの窓にも、付いていない。
台風の時期になると、どこからともなく、折れた木が飛んでくるのではないかと、ちょっと不安になる。

枝が飛ぶのは仕方がないとして、ガラスが割れると、片付けやら、絶対的に家計を圧迫する。
少しでも被害を抑えようと、ブルーシートを準備した。(購入したのではない。大工さんが置いて帰った物を頂いた)
川側のベランダの前に、欅の大木がある。今年の蝉の鳴き声は、風情を通りこして、騒音に匹敵した。

朝方の4時から蜩に起こされ、意地でも起きるものかと、思い切り布団を被り、二度寝して、5時半に起床する。
今も台風が近づく雨の中、蝉が鳴いている。
そんな午後。ベランダでブルーシートを広げて、雨戸代わりにサッシを覆ってみた。
ブルーシートの端をベランダの枠に、切った紐を結んで固定した。多分大工さんが見たら、鼻で笑われそうな位、ちゃちな結び方だ。
ちゃちな結び方をしながら、ふと思い出した。

戦時中の祖谷の学校の話を、聞いたことがあった。
当時は女子は竹で作った槍を手に、毎日毎日、
「エイエイッヤー」
「エイエイッヤー」
と槍を突く訓練をさせられたそうだ。

京柱峠をアメリカ兵が歩いて祖谷に攻めてきたら、山道に慣れていないから、ふらついた時に竹槍で突いて、やっつける作戦だったようだ。
「こんがな竹のヤリで、なんで勝てるわけないわのうや~」
と陰口を言いながら、言われた通りに訓練を続けたらしい。
そんな竹槍の武器が、ちゃちな私のブルーシート雨戸と重なって、可笑しくなって手を止めた。

今日も年に一度の、村民一斉の道路作業だった。
真面目に働く人が多い。日本人は勤勉だ。上からの命令に誰も逆らわないで、一斉に道路の奉仕作業。
当たり前なんだろうけど、毎年、この当たり前を、不思議に思う時がある。
私はヒネクレテいる?

今年は一部分の草刈りを、市から委託を受けた作業員の方々が、済ませてくれていたお陰で、ものすごく助かった。
毎年一緒に頑張っていた、隣のおばちゃんがいなかったのは、寂しかったけど、正直、なんか別れることに慣れてきた。
みんなこんな感じで、慣れていって、祖谷の苔のように歳を重ねていくのだろう。

水分を蓄えた美しい苔に、私は成りたい。苔が無理なら、カビでもいい。
ブルーシートが軽く揺れた。避難訓練はしていないが、避難準備は万全だ。
ガンバレっ!!みんな!
エイッエイッヤー!!
草 々




































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夏に生きて原生林に彷徨い花々にささやきて

2017年08月05日 | Weblog





































































































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盛夏IN猛暑 里山の原生林は異空間の如く目くるめきて

2017年08月01日 | Weblog

年を重ねてくると、いろいろなものを身に付けて、さまざまな柵、思い込み、固定観念、に縛られて
自由に動けないものである

あまりにも、不要素な、毒のようなものを蓄積してしまうと、物事を見る目が曇り、他人を傷つけ
自分自身も劣化させてしまう

時に触れて、不要なものを自身のうちから排出してゆく作業をすることが大事なことと思う
新しいものを入れ易くする「隙間」を作って新鮮な気持ちで社会に向き合うことが出来る

年をとって行くに従い、人生の引き算を具体的に積み重ねることに身体も精神も若さを持つことができる
降ったばかりの新雪のように、芽吹いたばかりの若葉のように、初々しい、素のままの自分に帰ればうれしい

いっぱい重たい持ち物を引きずり人生を歩むよりも、(それはそれで貴重な宝物でもあるが)少しは身軽になって
空き地を持つのも新鮮な気持ちになれる

何かを持っていることで、安心しがちであるけれども、何も持っていないことこそが贅沢なこと、素の自分になれる
人生の引き算、シンプルこそが年をとるに従い大切になると感じるこのごろである























































































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