前略。
まだまだ、祖谷は春爛漫。
そんな毎度毎度の春の、お墓に纏わるお話ですが(私は本当に仏様ネタばかりで、失礼します)
ヴヴヴの家の屋号は、古寺といいます。昔、隣にお寺があり、
お寺は何度かのお引越しをして、今は他の集落に在ります。
その繋がりで?ふるでらと呼ばれていました。
昔、水害でお坊さんのお墓が流されたそうです。正確に言えば、墓石が流されたそうです。
その流れた墓石を、一つ一つ、祖父が背中に負い上げ、今の場所に祀ったと
昔、叔母さんに(ヴヴヴ)教えてもらいました。
「じいやんって、信心深い!エライなあー」
って、私は普通に感心しておりました。
その話を別の叔母さんが自分の子供に伝えた内容は、少し違っておりました。
「エライんじゃあない、欲なんじゃ、自分の畑に墓石が流れてきて、
畑が狭うなったけん、元に戻しただけなんじゃ!」
真実は一つなのに、そう、真実は当人しか知らないのに、見る側の受け取め方で、
真実のカタチは全く異なり伝えられます。歴史上の名を連ねた方々がそうであるように、
様々な一面が半世紀経ち、古文書であったり、当事者の子孫の方々の口から、語られています。
同級生が数人集まり、昔の話をしていても(正直、わたしは特に興味がないのですが)
それぞれの記憶が、少し違っていて、その時感じたことの記憶も、個々に違っていて、
こんな感じでそれぞれの記憶が残っていくんだな…と感じた時の、歯痒い気持ち。
本人のいない場所でする話は、仏様の話をするくらい、気の毒であり、私は余り、好きではありません。
自分が直接関係した話をするのは判りますが、第三者として見聞きした話を、
何十年も経過して話すのは、ルール違反じゃないの?と思ってしまう。
子供の頃の話とか、若い頃の話を、今更話のネタにされては、当事者にすれば、
時効の無い思い出話に、いつまでも脅かされるみたいな、歯痒い。
で、話はそれに逸れましたが、祖父が仮に畑が狭くなり、墓石を移動したのであれば、
わざわざ傾斜のキツイ坂を負い上げなくても、隅に纏めて積んで置けば良かった筈です。
今の場所に、15基位の墓石を負い上げて収めたのは、やっぱり祖父の仏様への慈悲ではなかったのでしょうか。
気持ちです。ほんの気持ちです。とか、これからの時代は、多分口にしない大人が増えていくのではないかと、危惧致します。
義理とか人情とか、そんな言葉もいつか死語になる、そんな気が漠然と致します。
気持ちを大切にしないことは、ニンゲン社会の関係性を、益々劣悪にしてしまいそうな、不安を感じます。
そんな社会に、そんな大人を形成したのは、見えない埃を日々の中で撒き散らしてきた、日本のカタチ、即ち政治家。
そして、古〜い古〜い未来に責任を持たない方々。国民。
適当に呟いていたら、終わり方がワカラナクなったでごじゃる。
とりあえず、山々の桜を届けたく(届かなかったら、ごめんなさーい)
呟いてみました。
明日から、4月。
東京で頑張る事になった、姪の長男の門出を祝いながら、心配もしながら、
それなのに、まだお祝いをしていないことを懺悔しながら、
心より4月からの新入社員の皆様に、エールを送ります!
フレー フレー みんな
悩むな!人生は長い!
とりあえず、食べて寝る!
頑張っても、頑張らなくても、生きていれば、明日は必ずやってくる!
アーメン
まだまだ、祖谷は春爛漫。
そんな毎度毎度の春の、お墓に纏わるお話ですが(私は本当に仏様ネタばかりで、失礼します)
ヴヴヴの家の屋号は、古寺といいます。昔、隣にお寺があり、
お寺は何度かのお引越しをして、今は他の集落に在ります。
その繋がりで?ふるでらと呼ばれていました。
昔、水害でお坊さんのお墓が流されたそうです。正確に言えば、墓石が流されたそうです。
その流れた墓石を、一つ一つ、祖父が背中に負い上げ、今の場所に祀ったと
昔、叔母さんに(ヴヴヴ)教えてもらいました。
「じいやんって、信心深い!エライなあー」
って、私は普通に感心しておりました。
その話を別の叔母さんが自分の子供に伝えた内容は、少し違っておりました。
「エライんじゃあない、欲なんじゃ、自分の畑に墓石が流れてきて、
畑が狭うなったけん、元に戻しただけなんじゃ!」
真実は一つなのに、そう、真実は当人しか知らないのに、見る側の受け取め方で、
真実のカタチは全く異なり伝えられます。歴史上の名を連ねた方々がそうであるように、
様々な一面が半世紀経ち、古文書であったり、当事者の子孫の方々の口から、語られています。
同級生が数人集まり、昔の話をしていても(正直、わたしは特に興味がないのですが)
それぞれの記憶が、少し違っていて、その時感じたことの記憶も、個々に違っていて、
こんな感じでそれぞれの記憶が残っていくんだな…と感じた時の、歯痒い気持ち。
本人のいない場所でする話は、仏様の話をするくらい、気の毒であり、私は余り、好きではありません。
自分が直接関係した話をするのは判りますが、第三者として見聞きした話を、
何十年も経過して話すのは、ルール違反じゃないの?と思ってしまう。
子供の頃の話とか、若い頃の話を、今更話のネタにされては、当事者にすれば、
時効の無い思い出話に、いつまでも脅かされるみたいな、歯痒い。
で、話はそれに逸れましたが、祖父が仮に畑が狭くなり、墓石を移動したのであれば、
わざわざ傾斜のキツイ坂を負い上げなくても、隅に纏めて積んで置けば良かった筈です。
今の場所に、15基位の墓石を負い上げて収めたのは、やっぱり祖父の仏様への慈悲ではなかったのでしょうか。
気持ちです。ほんの気持ちです。とか、これからの時代は、多分口にしない大人が増えていくのではないかと、危惧致します。
義理とか人情とか、そんな言葉もいつか死語になる、そんな気が漠然と致します。
気持ちを大切にしないことは、ニンゲン社会の関係性を、益々劣悪にしてしまいそうな、不安を感じます。
そんな社会に、そんな大人を形成したのは、見えない埃を日々の中で撒き散らしてきた、日本のカタチ、即ち政治家。
そして、古〜い古〜い未来に責任を持たない方々。国民。
適当に呟いていたら、終わり方がワカラナクなったでごじゃる。
とりあえず、山々の桜を届けたく(届かなかったら、ごめんなさーい)
呟いてみました。
明日から、4月。
東京で頑張る事になった、姪の長男の門出を祝いながら、心配もしながら、
それなのに、まだお祝いをしていないことを懺悔しながら、
心より4月からの新入社員の皆様に、エールを送ります!
フレー フレー みんな
悩むな!人生は長い!
とりあえず、食べて寝る!
頑張っても、頑張らなくても、生きていれば、明日は必ずやってくる!
アーメン