秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(大寒にカフェを語れば・そば米スープ)

2024年01月21日 | Weblog
『なんか、落ち着くよね〜』
「ちょっと遠かったけど、来る価値あるねー」
『この縁側、なんか良いよねー』
「お腹イッパイだわー。デザートの豆腐プリン、絶妙に美味しかったわ」
『ジビエ彩りカツに、地元の野菜に、ミニミニ田楽、ソバ米スープ、全部美味しかったねー』
「サラダの中のプチプチって入ってたの、アレって何?」

『あれねー、私も気になったから、聞いたんだ。
お蕎麦になる前の、ソバ米の粒を素揚げしてあるんだって』
「初めての食感だねー!ホントに、来て良かったね。明日から、また、頑張れるね!」

『この場所の菅生って、すげおいって読むんだって。私はカンセイって思ってたわー』
「ほんと、読めないよねー、祖谷も、普通はソヤって読むよね。そこからが、不思議よねー」
『次はいつ、来る?』

「不定期営業みたいだから、また、インスタ見て決めよう!」
『そうだね、それまで日常を、頑張ろうねー』
「ごちそうさまでしたー美味しかったです」 
『コハルちゃん。またねー』

カフェ・こはる
井川インターから、車で1時間20分
大歩危駅から、車で50分。
営業 日曜日 (不定期)

前略。
私は香川県でC子ちゃんとランチを楽しみながら、
頭の中で、空想を爆発させていた。
C子ちゃんと、林道巡りにカフェ巡り。
仕事以上に、忙しい?

一見、閑散としているように見えても、ドアを一枚開ければ、
そこは満席の賑やかさ。喋り場が、真空パックされてるみたいだ。
お洒落な女子に、普通のおばちゃん達が、それぞれに会話を弾ませながら、運ばれてくる食事を楽しんでいる。
しばらく、食事を楽しんでいると、C子ちゃんが、ポツリと呟いた。
『こんなに、ゆっくりとした時間を過ごせる日がくるなんて、あの時は思わなかったよなぁ』
「そうだね‥」

『一つ一つ向かい合って、乗り越えてきて、良かったな』
「うん、そうだね‥」
ちょっとウルっときたが、我慢した。
カフェで泣きながら食事する人なんか、見たことがない。
そんな光景は、戦後の白黒画面のドラマの話だ。

カフェを、訪れる度にいつも、感じる。
田舎にあるカフェのまわりは、日常生活が慌ただしく動いている。
そこに住む住民の、日常生活だ。
カフェを訪れる人々は、それらの日常から少し逃げ出して、別の空間を楽しむ。
日常生活とは少しかけ離れた空間を楽しむ。

壁の材質。木の椅子の異なるデザイン。小物のディスプレイ。
運ばれてくる器のデザイン。
それぞれに試行錯誤したであろう、メニューの数々。
丁寧な料理に出会うと、身体中の細胞が、ワクワクする。
平和ボケで、ごめんなさい。

東祖谷で、日曜日に営業している食事処は、お蕎麦屋さんだけだ。
ちょっと誰かとお茶をしたいと思っても、場所が無い。
都会に住む人達には、毎度毎度、ピンとこないでしょうが、
地元住民は殆どが、立ち話か、長電話。
唯一のコミュニティの場所は、地元の診療所。

病気を抱えた方々とは思えないくらい、待合室は賑わっております。
C子ちゃんの耳にタコが吸い付く?くらいの頻度で、
カフェやろう、カフェ、カフェ!
楽しませたくない?
祖谷に来てくれた人を、楽しめたくない?
と、言っていましたら、

C子ちゃんが、ポツリと言いました。
『来るか来ないか、わからない人をじっと待つことは、わたしは、出来ないんよ』
私は出来るよー!
私は一日中待つことが出来るよー。
待つことは得意中の得意だけど、

私は、つむじんこちゃんや、ちなみ女史や、C子ちゃんみたいに、
オシャレなケーキもパンもお菓子も作れないっ!
料理を運んで、お皿を洗うことは、自信を持って出来るっ!
私に垢抜けた能力があれば、問題は8割解決するのに、
何て地味な中途半端な仕上がりになってしまったんだろう。
やたらと鼻のデカかった父の顔が浮かぶ。却下する。

この非日常の空間に、更に非日常なカフェが出来ることを夢みて、
私は今日も、空想を爆発させる。

         草草











菜菜子の気ままにエッセイ(遅ればせながら、謹賀新年)

2024年01月07日 | Weblog
令和5年、12月31日正午過ぎ。
私は徳島市内のホテルの15階で、フルコースを頂いていた。
喪服の団体が、賑やかにビールにワインに、時々ジンジャエール。

テーブルの端の中央には、叔母さんの遺影にお骨。
遺影の額縁はワインレッド。遺影写真は紫色のスーツ。
88年の人生の締めくくりを、大晦日にキッチリ合わせるなんて、男前だねー。
叔母さん、粋な計らいをありがとう。

叔母さんは、母の妹だ。
70年以上昔、池田高校を卒業し、良縁に恵まれ、某自動車教習所の女社長に就任した。
男気のある気風で、その手腕を活かし、マンション経営にも着手し、成功を収めた。
親戚の中で、唯一の成功者だった。

顔を合わすのは、親戚のお葬式の時と、数年に一度位のお墓参りの時。
電話で話すことはあっても、頻繁に会うことはなかった。
丁度コロナが流行した年に、叔母さんは体調を崩し、入退院を繰り返した。
お見舞いに行けたのは、去年の9月。

病室で、点滴に繋がれた姿に、叔母さんの面影はなかった。
生前から三人の娘達に、無駄な延命は必要無いと、言い残していた。
必要無いと断言しながら、
『生きていたい気もする』
と呟いた。

その呟きが、3ヶ月間の胃ろうになり、何も話せないまま、逝った。
三人の娘達は、叔母さんから昔話を聞くことは無かったらしい。
聞かされて無かった娘達にしたら、身内が知っている昔の話が、どれもこれもが新鮮でもあり、びっくり仰天。

意地悪な身内はいないから、笑い飛ばせる叔母さんの武勇伝。  
歴史が創られるみたいに、故人の話も、生き残った者が、着色したり、すり替えたり、
そんなこともアリかもなどと、想像してしまう。
同じ場面を共有しても、受け取り方は千差万別だ。

個人の価値観を押し付けないで、正確に伝えることが、大切だ。
従姉妹達は、今日の私を、いつか想い出話のワンシーンにするんだろうか? 
『菜菜美ねーちゃん、あんまり話さんと、黙々と食べよったなあ』  
『お腹すいとったんじゃあないん?』
『コース料理、珍しかったんじゃあないん?』

私は少食だ。少食の私が、供養のコース料理を残さないで頂くことは、結構な試練だった。
そして、再びコ○ナの感染が増えてきた昨今、早く完食して、マスクをつけたかった。
会食で感染してしまい、利用者にうつしてはならない!
いつも娘達に笑われるが、ヘンテコな正義感がもたらした結果が、黙食となった。
マスク依存症、消毒依存症、見事に3年間で、完成してしまった、ニセ潔癖症。事実は一つ。
本人のみ知る。私は私しか、知らない。

20歳の頃。叔母さんの家に泊まっていた日。叔母さんの部屋の戸を、声をかけないで、開けた時があった。
仕事から帰った叔母さんは、薄暗い部屋で鏡台の前に座り、じっと前を見ていた。
じっと睨むような姿勢で、自分の顔を見ていた。
それは、今なら理解出来る。叔母さんは、あの時間だけが、全ての重圧から開放された唯一の時間だったんだ。
そして、自分をリセットしていたんだ。
男前で、乙女チックな88年の生涯。
究極に全てから解放された叔母さん。3人娘の今後の奮闘を、静かにお守りください。
遠い昔。田んぼで、ヤンチャ坊主をひっくり返した、あなたはエライッ!大好き!
          
           合掌