秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷冬点描暮らしの冬風景&菜菜子の気ままにエッセイ〈祖谷を愛する全ての方々へ〉

2011年12月30日 | Weblog
祖谷のさとみ雪つもりて埋もれし老の雪かき苦しかりけり

風雪に祖谷の高嶺は真白にぞ雪煙ふきて孤独に堪へり

降りやみてみ雪かき分け里びとの行き交ふ声は弾みてうれし

阿佐の里わら打つ音や途絶へしか

幼木に慈しみつつ雪囲

庵に居し四方道なり隙間風

山を歩き 自然のままに 里を歩き 自然のままに
街を歩き 自然のままに 何処にも 自然のいのち
何処にも 自分のいのち 命ふたつ 大事ないのち
命ふたつ 慈しむいのち 山に里に 街にもいのち
命ふたつ 祈りのいのち 命ふたつ 土に還えろう
日常の暮し土に還えろう 山に自然を求めるよりも
日常の暮しに自然、人を 求め街の暮しに自然、人を
求め感性を信じ磨くことが一番大事なことであろうか



菜菜子の気ままにエッセイ〈祖谷を愛する全ての方々へ〉

何処に住んでいても、誰と住んでいても、大晦日は必ず、やってくる。
嬉しい人にも、どん底の人にも、大晦日は必ず、やってくる。

……
『さあー帰ろうかのうや~!』
『雪ん中にいんでみようかのうや~!』
『ズンズン降りよるかのうや~!』

「母ちゃん、何言うがあぁ~?帰れるわけないだろ~!」

『いねるわの~!』

「寒いがでぇ!高知みたいに、ぬくいことないがでぇ~!祖谷の家は、寒いがでぇ~!」
『さむかったら、ストーブ点けるわの~灯油はあるわの~』

「母ちゃん、母ちゃんが祖谷に帰っておったら、わたしは仕事も、落ち着いてできんがぁ~!
心配で心配で、たまらんようになる~!」

……
……

認知症を自覚出来ない、ヴヴヴ星人と
それを見守る 娘の、何十回と繰り返される、師走の会話。

『マーコよ、歳寄ったら、なんちゃあ~ええことないわ~なんちゃあ、楽しみないわ~
食うて寝るだけじゃわ~すんだもんよ~』

「そんな事ないよっ!暖かい場所で、毎日上げ膳据え膳で、幸せだろ~」

『なにや…?祖谷は雪か…?』

「高知とは違うよ、寒いよ!倒れるよっ!」
『祖谷、雪ふりよるか?まことや~?フ…ウン?』

……
……
やっぱり、会話は蒸発した。
無駄に声のエネルギーを、使ってしまった…
正直、叔母さんの希望通り、在宅を続けさせてあげられたとしたら…?
全ての負担は、私にふりかかってくる。
まして、今の仕事先から帰って、更に20分かけて車で駆け付け、叔母さんの世話をするのは
ちと…ハード。

4月のコテージ突然解雇騒動以来、本当に正直、私自身の様々な生活が、ガラリと変わってしまった。
三好市と言う 見えない幽霊のようなものと、一人で喧嘩をして、陰でパワハラに合い
気持ちの良い、人間観察が出来た。
その点は、感謝してます。ありがとう。

色々あったけど、
『幸福な一年』
でした。
『ココロは満タン』
の一年でした。

……
……
お金があっても
宝石に包まれていても、
御殿に住んでいても

最期は
段ボール一箱の
人生の終焉が 待っている。

タオル数枚 パジャマ二枚 上着一枚。

そして誰もの
最期の時間を
優しくしてくれるのは
〈人〉

どんなに壊れていっても
必ず 伝わるのは
〈手の温もり〉

無償なそれは… どれも
お金では 買えない。

故郷は あなたが想えば
あなたの傍に在る。
それを 忘れないでね。
故郷には いつも いつでも
剣の山の風が
渡って います。

もんたつかえ~!
もんたぞよ~!

また もんてこいよ~!

もんてこいよ…
村が 生きて いる間に…ね。

今年一年も
多くの無口な読者の皆様。
拙い祖谷暮らしの宿借りエッセイと、お付き合い、ありがとうございました。
良い お年を
愛に溢れた、一年でありますように。

菜菜子










テラオ兄さん 大凧上げる
























山に行こうよ 雪山の
吹雪とどろく 雪道を
真白き天狗の 頂に
君と一緒に  登ろうよ
彷徨い歩いて たどり着く
モルゲンロード輝きて     (奥祖谷恋歌の一節)









2008.1.4 三嶺山頂より天狗塚を遠望




































菜菜子の気ままにエッセイ〈恒例・もんてきたかえ~2012 〉

2011年12月25日 | Weblog

方言とは、ある一定の地域に使われる、言語体系のことである。
共通語とはことなる、それぞれの地域で使われる、言語である。
※テキトーにパクる

で 今年も やってきました。
〈大凧〉
の作成です。
本日は、冬らしい雪でした。
窓の外は、シンシン…ジワジワ…と真っ白な雪が、舞い降りていました。

…で、製作者2名。
ここで、前置きですが、恒例の大凧は、ほとんどがテラオの兄さんと
わたくしが二人で、書いております。
絵は、二人で書き、完成させ、凧を掲げる作業が、数人のいつもの昔は若かった、男子です。

『大変ね~!』
『何人で書いてるの~!』
とか、たまに聞かれますが、初回の製作から、二人で思い付き、始まった一種
娯楽みたいなものなので、めちゃくちゃ、気が楽なのですよ。
何をやっても、そうですが、余り沢山の方々が一緒に、何かをやると、意見がぶつかりあい
時間だけが過ぎて行き、肝心の作業は全く進まない~!
誰でも 経験…あると思います。

でも、二、三人だと
だいたいの構想が、同じなので、スイスイと作業が進み、
5メートル、7メートルの真っ白なテントに、テキトーに下絵を書き、油性ペンキで
一気に仕上げ、途中で色の配色、バランスを考え、再び一気に、仕上げていくっ!

……

……

『ワタシって
天才~?』
すみません。
今日、二回位 口にしてしまった、わたくしの独り言です。
ゴメンナサ~イ~

テラオの兄さんは、
来年になるのが、怖いのか…?
歳をとりたくないのか…?
2012 と書くつもりが、
2011 と書いておりました…?

共同作業とは、有り難いもので、一人のミスを、必ず、もう一人が見つけ、素早く、指摘できます。

『…どうでもええけど…来年、2012じゃよ~』
と 教えてあげる、
ワタシって、師走もエエ奴っ!
わたくしの、良い点は、他人の失態を指摘しながら、素早く、自らが
後始末をしてあげる、優しいところです。
素早く、布にラッカー薄め液を染み込ませ、サッサと消してあげました。
何事もなかったかのように、間違って書いた、オッサンの数字の〈1〉は 消えました。
便利だね~
ラッカー薄め液~
※ダイソーさん、ありがとうね~!
ハケも ローラーも ありがとうね~!
百円って、昔なら、絶対に有り得ない~

…で

今年のゴロ合わせ…

雪深い、祖谷の里…
おじいさんと、おばあさんが、住んでいました。

おじいさんは、山にしばかれに…
すみません…
山に芝刈りに…
おばあさんは、干し大根を、湯がいていました。

季節は 師走…
31日。大晦日。

雪は、数日前から、降り続き、祖谷の山々は、杉の木立に、真っ白な雪が、ベールで包み
ところどころに、褪せた深緑の杉達が、散らばっておりました。
軒下に 干し柿。
犬小屋には、柴犬
老犬 ゴンタ…

無駄に 吠えておりました。

昨夜は、いろりの前で、じいさんと、ばあさんは、芋をいろりで焼きながら、話しておりました。

『こんがに…雪降ったら、ヒデオもようもんては、こんのうや…』
『もんてくまい…もんて来るにも、たちまち、山、上がれんわの~』

『今年の正月は、寂しいのうや~』

『しよないわ…雪は、お天道さんが、することじゃ…ヒデオが元気なら、それでエエワの…』

おばあさんは、昨夜のじいさんとの 話しを思い出して、いました。
寒風の中、凍えた小さな手を、何度も何度も、息をかけながら、温めておりました。

ゴンタの 無駄吠えは、いつもとは、少し違って聞こえました。

『ゴンタよ…ヤカマシイぞ…そんがにいがるなよ…猪でもおるんか?』

……
……
家の裏の、道を
そっと 覗き込んだ おばあさん

そこに 立っていたのは
息子のヒデオっ!

おばあさんっ!
腰を抜かして、絶叫~!

『おっとろっしゃ~!もんてきたつかえ~!』


おしまいっ!
サブいっ~♪
























































奥祖谷冬点描  暮らしの冬風景

2011年12月21日 | Weblog
山さとのふゆ菜畑は雪の下み雪かき分け食の具とせし

引き水はきびしき冬に凍りしは祖谷の里びと労苦ぞ多し

患いてみ雪つもりし道うせて医者に通ひし手だて無きかも

山に生き里に祈りて冬ごもり

凍星の極めて光り画星郷

吹きつけと里びと云ひし霧氷かな




穏やかな冬は善し
優しげな冬は善し
厳しい冬は逆らわず
堪えてやり過ごし
風雪には太陽を拝み
家居して気長に待つ
自然の掟に従い
山里の掟に従い
暮らしの智慧に従い
山に埋もれて祈り
長い年月を生きてきた
















































奥祖谷冬点描  暮らしの冬風景

2011年12月19日 | Weblog
奥祖谷のさとはみ雪に埋もれし囲炉裏かこみて春を待つらん

音もなくみ雪つもりし夜更けには生姜の酒にこころ委ねし

奥祖谷はみ雪つもりて冬ごもり庵を訪ふひとなきはさびしき

枯れる木に力みなぎる冬芽かな

寒禽の素早く降下風を斬り

力あり冬木に寄りし廃家あり




冬の山 冬の里 
自然への祈りの冬
孤独に 穏やかに
頭をたれて 敬虔に
自然への祈りのとき
冬の山 冬の里








テラオ兄さん携帯写真
















































奥祖谷冬点描  暮らしの冬風景

2011年12月17日 | Weblog

山さとは今よりさ雪ふりけるに行き交ふひとの苦労も多し

久保のさとひとり老女の住みけるに引き水凍りて山を下りしか

星のふる画星のさとに雪ふりし冬をこもれる翁はさびしき

久保のさと老女鍬持てだいこんに土かぶりをり雪に備へて

凍雲の居座りをりし祖谷の里

里道も失せて久しや枯れ茨

枯れ蔓の屋根這ふ庵を主知らず



良寛は難しい、ぼんやりしていて、何でも子供の云うことを聞いている良寛の
イメージからは、想像も出来ないほど、自分の生活の隅々まで良く判って
鋭い人間の洞察と生活感覚を備えたのが、良寛なのではと思われます。

出家して隠遁生活を送り、各地を孤独に放浪し、托鉢に明け暮れながら道元の
教えに学ぼうと、道元の教えに傾倒しても馴染めず、詩文に向いていると考え
老荘思想に傾きながらもそれを越えるべき、良寛は自分を詩人のように鍛えた
のでしょうか。

良寛を包んでいた思想は荘子の自然思想で「無為の良さ」でしょうか
制度から離脱、道徳から離脱を試み、道元禅、荘子からも離れた場所に
孤独に自分を置き凝視しながら後半生を詩歌人として生きることになる。

良寛は農村共同体に庵を結び、僧侶として托鉢をして生活を、長歌、和歌を
詠んだ、良寛は自然に囲まれ、自然の生活から生まれる感性に導かれてその
感性を自然のなかに移しいれる日常生活を詠んだのではないかと思われます。

その長歌、和歌に病苦の歌が多くあり、自然の生活、日常生活から来る人間の
苦しみまたは庶民の苦を無意識のうちに表現したのかも知れません、それまで
詩歌は花鳥風月の詩歌が普通であり、良寛まで労苦を詩にすることはなかった
ように思われます。

いずれにしても今までの花鳥風月から遠く離れた詩歌は、近代の、特に明治の
漱石、子規、左千夫、茂吉、他の歌人、詩人、作家に多大の影響を与えることになります。

近いところでは、俳人 山頭火がそうであろうか、山頭火は生活を前書きにして句作したと
云ってるが、日常生活の隅々まで孤独に、凝視しながら、人間苦、社会苦や病苦を鋭い
生活感覚を持って、自然の中に感性豊かに移し込んでいると思われます。

生活感性の自在さやすべてのものから解放されて、詩歌を通して自然のなかに
良寛自身を溶かし込んでいく感性は、自身の生活に厳しく、鋭敏な人間洞察や
自然洞察に裏打ちされたものではないかと思われます。

近藤万丈『寝覚めの友』に土佐の良寛についての記述があり
「土佐を旅していた時、雨宿りに庵を見つけた、招き入れてくれた僧は痩せこけ
青白い顔をして最初に一言いっただけで話しかけても笑うばかりでものをいわない
夜更けまで向かい合っていたが僧なのに座禅も念仏もしない。

「こいつは尋常ではないなと思った」翌日、目が覚めると僧も炉端で寝入っていた
その日も雨でもう一日宿を借りたいと云うと何日でもと言って麦焦がしを食した
部屋の中には木仏が一体、『荘子』が二冊あるばかり、本の間に挟んであった
草書が見事だったので書いて欲しいと頼むと応じてくれて「越州の産 了寛書す」とあった」

そこにはあのひとのいい、ぼんやりとして、托鉢をして夕食の工面すらも忘れて囃したてる
子供と時を忘れて遊ぶ良寛の姿は、どこにもない、厳しく孤独な姿が浮かび上がってきます。

一方では極貧のなかにありながら農村の日常の生活で仏教の説法座禅をするでなく
知識を与えるでもなくもっぱら行乞し人の家に厄介になると黙って竈の火を起こし
水を汲み、子守をしたりと人々の生活の中にとけ込んでいたに過ぎない良寛がいる
そして人々から慕われ、相談を受けたりされている。

いま、自然のなかの一生物である人間が、自然のなかから浮き上がってしまって
空回りばかりしている現状にあまりにも生活感性の欠如、自然洞察の無さに
あるのかも知れないと思われます。

良寛の誕生から250年余りの時を経たいま、良寛の時代とはかけ離れた世界に住む
僕らではあるがいかに変わろうとも、ひとは自然のなかの一生物に変わりは無いし
いま、自然破壊の最中に生きる僕らは良寛の心に導かれて自然に生きる智慧を
学びたいと思う、改めて良寛は非常に難しいが、丁寧に検証して少しでも理解したい
ものと思います。
















テラオ兄さん携帯写真







































菜菜子の気ままにエッセイ〈親父と昭和とベニア板・最終回〉

2011年12月13日 | Weblog
おんぼろ食堂の名前は、
〈みすじ〉
店の看板は、父の手作り。縦30センチ横に90センチ、厚さは3センチ位程の、一枚の板
焦げ茶色に、塗った板の上から、ペンキで、〈みすじ〉と書いてあった。文字の色は思い出せない。

亡くなるまでの、八年間は、父は 大好きな料理を作り、家族の中心の、ど真ん中で、豪快に愉快な、毎日を過ごした。

店の由来の意味を、私が知ったのは、私が大人になってから、母に教えてもらった。

『三味線の三本の糸』それが、みすじの名前の由来だった。

父の焼鳥は、お客さんには、大評判だった。毎日、毎日、
焼鳥を串にさしていく、父の横顔を、私は1番近くで見ていた。
焼鳥のタレも、絶品だった。
タレを作る、父の姿を、やっぱりくっついて見ていた。そして、時々、お手伝いをした。
幼少期に見ていただけなのに、
大人になった私は、父の焼鳥を再現できていた。
父の秘伝のタレ。門外不出のタレ。

気がつけば、何を作っても、父と同じ味になっている。

父が私に遺したものは、
手垢だらけの愛情と、数々の教訓と…〈秘伝のタレ〉
そして…鼻の形っ

父と母の口から、
他人の悪口だけは、聞いた記憶がない

そして、誰かに何かをしてあげたとか、
そんな恩着せがましい話も、聞いた事がない。

『風邪で寝ていたら、おっちゃんが、鍋焼きうどん作って持ってきてくれた~あの味は、忘れんわ』
『子供が家で留守番してたら、おばちゃんがうどん作って、食べさせてくれとった。世話になったんよ~』

どの話しも、最近になって、聞いた話だった。
父も母も
思いやりを隠し味にして、
記憶に残る味を、誰ものココロに遺している。
父と母が並んで写っている、数枚の写真が
遺っている。
おんぼろ食堂の前で、父は腕を組み、白い割烹着姿の母は、手を前で合わせ、夫婦は、小さく、てれ笑いしている。

家には、カメラは絶対になかったから、近所の誰かが、写してくれたんだろう。シャッターを押しただろう…
近所の二人の顔が思いあたるが、どちらのカメラなのか、わからない。

写真は、時空を越えて、温もりさえも、遺してくれる。

頭の中に刻んだ、思い出や風景は、褪せないままに、笑い声さえも、呼び覚ましてくれる。
誰かが、遺してくれるから、
『永遠』
が未来へと繋がっていく。
写真…そして心で刻むシャッター。

誰もが、消滅していく『生命』だから
伝える事で、消滅した命は、未来で必ず、再び命の気配を呼び覚まし、魂の轍へと繋がって行く。

私には、まだ終わっていない 父からの宿題がある。

12才の私への、父からの最期の言葉。
『…勉強せ…え…よ…』
振り絞るような声で、父が…そう言った。
私は、泣くのを必死になって我慢して、
『う…ん』
と答えた。

『まだまだ、勉強は終わって ないばいっ!なんば しちょる!』
そう言って、叱られるような気がする。

いつか…
父ちゃんに似た
孫を抱ける日が くるのかな…?
なんか…無理かもしれないけれど…
鼻だけは 似てほしくない…

父ちゃんは 気付いていたのだろうか?
宴会に来てた、おばちゃん達が 店に入ってすぐに 言っていた挨拶…

『こんばんは~今日はみすじに花見にきたんぞよ~~』


みすじに
鼻見に来て下さった
あの時代の お客様
ありがとうございました。
肝心の子供達は8年間で
焼鳥は 数本しか 食べられなかったのでした。殆ど 記憶にありません。
お客様が帰った後、お皿に残された、タレを指でナメていた、オカッパ頭 眉毛の上で パッツン~女の子!

オカッパ頭は
前髪命のメンドイ・オバサンになりました。オカッパ頭は、まだ金毘羅さんも 赤い靴も
一人で 歌えます

親父と昭和とベニア板
明日は命日

平成からの合掌





























菜菜子の気ままにエッセイ〈親父と昭和とベニア板⑥〉

2011年12月11日 | Weblog
こんな、シンシンと寒い冬の夜には、父は必ず、寝る前に、ワタシにポンポンとしてくれた。
腹を出して、ポンポンではないよ!
あしからずっ!

ワタシの布団の中に、すき間風が入らないように、足の先から肩口まで、布団の上から、ポンポンッと叩いてくれた。
ポンポンッと叩いて貰ったら、それだけで、暖かくなった気がした。
母は、そういったスキンシップは、全くしてくれた事がなかった。
母は、何かを口にする事は余りなく、父はいつも口にして、言葉にして、身体中でいっぱい、伝えてくれた。

底には板を敷いた、鉄釜の丸いお風呂。
父と一緒に、入る相手はわたし。年中オカッパ頭。前髪眉毛の上で、パッツン女の子。

両手を合わせて、組み、水鉄砲を教えて貰った…と言うより…水鉄砲をやらされた。
父はわたしの顔を目掛けて、わたしは父の顔を目掛けて、かけあった。
やっぱり、ここでも登場するのは、ガラガラ声の親子のデュエット~!

『赤い靴~はいてた~女の子~いじんさんに連れられて~行っちゃった~よこはまの~
波止場から~船にのって~いじんさんに連れられて~行っちゃった~』

なぜか、1番と2番をひたすら繰り返す親子……
意味がわからないまま?
歌い続ける…小学低学年…オカッパ頭。

ある日…
オカッパ頭は、父ちゃんに聞いてみた

『父ちゃん…?いじんさんって 誰…?』

『なんで…?女の子は連れていかれたん?』
……
……

オッサンは…
早い話…
内容を把握しないまま…
歌っていたみたいだった…

いじんさんは がいじんさんだと言った。

なぜ 連れていかれたのか?
なぜか、教えてくれなかった…が

水鉄砲だけは
エンドレスに続いた…
オッサンは
テキトーだった…

お金をかけなくても
贅沢を教えなくても
愛情は
身体に染み付いている。
父は 不器用だったけど、
わたしに対する愛情は、いつも、いつも、
まっすぐだった。

きっと それは
男女間の恋愛事情にも
共通する 記憶ではないだろうか…

女性は特に
好きな男性から、高価なプレゼントを貰った記憶より…
その人と過ごした、何気ない時間とか、
何気ない言葉を、ずっと胸の中にしまって、何回も何回も、ココロのカイロで温めて、
ココロを満タンに出来るんだ。

男は どうなんだろう?
男は高価なプレゼントを、貰った記憶のほうが、支配するのだろうか?
だから…
女にころっと、騙されるのかも?

愛情は
ストレートが1番。
ストレートは
ココロのど真ん中に、届くからね。

そろそろ、連載終わります。

あと一回で、終わります。

皆既月食 神秘でした。
匂いのない空気。
キリリーンと外気。
真っ暗な空。

無口な月は 何かを 囁いているように、感じました。
うし女達に メールしました。

『皆既月食キレイよ~空みてみな~』

すぐに…電話が かかりました。

『母ちゃん…皆既月食って…何…意味わからん…』

やっぱり…
あいつらの 頭の中は…
食べる事と 寝る事だけ…?

皆既月食ってメールで 伝えないで、言葉で伝えていたら、 やつらは…
『怪奇月色』
って 想像したんだろうなあ~?
間違いないっ!

父ちゃん…
孫は… こんなんです。
主人の誕生日に
神秘な皆既月食!
生きていれば 主人は55才。
父ちゃんの死んだ年も、55才。
めちゃくちゃこぎつけな 話しの〆~!

『全国の55才~頑張れ~~~生きとけよ~~』

最終回に続く





























菜菜子の気ままにエッセイ〈連載の途中ですが通行止めの情報です!〉

2011年12月10日 | Weblog

本日もお仕事なわたしは、凍結の路面を想定し、早めに家を出た。
なんてったって、昨日は初雪。
キリリーンとした痛い風っ!
時刻は朝の7時30分~!
なんか、車が数台、カーブの向こうに並んでいるのが、チラッと見えた。

『事故か?もっしかして?けーさつ~!ヤバッ~!』
顔が引き攣り、引き締まる。
車の中に、刀とか危険物を所持している訳ではないのだけど…なぜか、本能で顔が引き攣る…小心者なワタシ。
……でふと前方を見ると、道が…変…?
崖崩れ~!またまた、年間行事みたいな…?
とりあえず、blog用に写メを取りに行く。
律儀なワタシ。

後から後から、車があちら側も、こちら側も、長~い列を作る。
車から後から、後から、オッちゃん達が下りてくる。

土曜日の朝。
何処に行く為に、みんな出掛けているの?
村側に向かっている人達は、みんな仕事の服装をしている。

町に向かう人達は、観察してみると、病院行きの方々が多い。
この村には、振〇病の患者が多いんだ。

おっちゃん達は、お互いに最初の二言三言は、挨拶がてら、目の前の、崖崩れの話し、土建業者に連絡してるか?の確認。
それから、数分…したら、全く別の話しを始める。
至ってネアカ~!
ネアカと言うより、慣れている。
生活道がある日、突然、通行出来なくなる事は、都会の方々には、大パニックとなるのだろうけど、
この村の住民は、なかなか、シブトイッ!
手ごわいっ!

30分間に10台余りが、土砂に乗り上げながら、通過して行った~!
崖の上から、まだ小石が、コロコロと落ちているにもかかわらず、車体をうねらせながら、飛び越えて行った~!
途中で土砂の上に乗り上げ、リタイアした車、二台。
その車を、手押しで助けてあげる、ネアカなおっちゃん数名っ!

『わたし…あの土砂…越えれるかぁ~?』
一瞬でも 想定してみる、地元で言う、
〈ちゅうはんな〉わたし…
想定してみても、多分リタイアしそうだったから、即座に諦めた。
暫くすると、土砂崩れの場所の管轄の、土建業者さんが、タイヤショベルで、カッチョ良く、土砂を取り除いて下さった。
やっぱり、機械っ!
ええ仕事 するわ~!

などと、悦んでばかりでは、いられない。
夜8時から朝の6時まで、全面通行止め。
上から、新たな崩壊を懸念して、かなり、慎重な全面通行止め。
お昼は、通行制限。

生活の知恵は、いくら持っていても、
いくらネアカでも…
迂回路のない道が、全面通行止めは ツライッ!

遠~い峠を越える、二、三倍は余分にかかる道しか、残っていない。

詳しくは、市役所に聞いて下さい。
わたしは、詳しくは、知りません。

安全を保証されている道は、本当は何処にもありません。
『運』のみですから。
人生に置いて、保証なんて言う言葉は、存在しないのかも知れません。
保証に依存していると、もしもの時に、気転の利かない、頭になるんですよ。
人生を楽に生きる為に、気転…大切だと思います。

最後に 土砂崩れの現場で、話す おっちゃんの会話を、お届けします。

『どんがな~』
『ボチボチよ~』
『勝てまいが~』
『あれで飯食えたら、仕事やいかんでええわの~!』
『そうよのうや~!』『お~きたきた~!』『早いこと、通れたのうや~!』
『また遊びに来いよ~!』
『ほんなら~!』

ほんなら…草 々

















































奥祖谷冬点描  暮らしの冬風景

2011年12月09日 | Weblog





このところの祖谷の山々は無残に荒れようが、酷くなってきています
鹿の食害と決め付けておられるようですが、そればかりでは在りますまい
またそのように鹿を追いやったのは元は人間ですし、酸性雨、温暖化も
人間に起因するものではないでしょうか。

笹枯れの周期に近づいていることもあるでしょう、いずれにしても草木のパワーが
無くなるつつあるのでしょうから、自然の潜在する強大な回復力にも長い時間が
かかることは明白なことでしょう。

別子銅山の公害によって全山丸裸にされた西赤石山が驚異的に回復したのも、自然のパワーも
さることながら、カラマツ・ヒノキ・スギなどの、大規模な再生植林事業を行ったことによるのも
多少なりとも助けになっているものと考えられます
全山むきだしの地肌となっていたこの地に毎年100 万本もの植林を続けていったと言われています。

今の祖谷の山々を歩かれて、果たして楽しいものでしょうか、むき出しに近い地肌、立ち枯れの草木
笹枯れ、勢いの無い笹など何処を歩いても自然の痛みを感じてしまいます。
山が美しい、新緑が綺麗だ、紅葉が素晴らしい、風が流れて雲が流れて、山に来て癒された、楽しかった

そうでしょうか、自然が荒れて、傷ついているのにそう思うのでしょうか
人も自然の一生物であるのは自明のことでしょう、ならば自然の心に入りこんで心と心をすり合わせて
みませんか、傷ついて呻いている自然の心が人の心に映ってくるでしょう。
そうすれば、山は美しい、新緑は綺麗だ、紅葉は素晴らしいとは云えないでしょう、まして自然に
癒されるどころか、哀しくなりましょう。

人間のうぬぼれでありシンボルであるこの看板にこの自然の傷ついた呻きと自然に溶け込んでゆく
人の心を吹き込んでいただくのは、この山域を歩かれる方々にほかは無いかと思います。

何故 いま 良寛か  自然に心を溶かして


このごろの祖谷の高嶺はいにしへの盛りし面影なきぞ哀しき

祖谷の山荒れにし山となりけるに歩けしひとは癒されしと云う

山はいま無残に荒れた草木を美しき木々に癒されしと云ひつる


寒林に射し貫く如し日の走り













テラオ兄さん携帯写真 今日の今井の里 初雪 午前8時頃













菜菜子の気ままにエッセイ〈連載から外れて歯の治療のお時間です~!〉

2011年12月08日 | Weblog
「歯石をとりますね。痛かったら左手をあげて下さい」

とマスクのキレイ系が優しく、言って下さった。
※マスクで顔が半分…隠れている…綺麗では…ないかも?知れない鼻が?見えない…。

シュルシュル
キュルキュル
キキーキキー
ゴオ~ゴオ~

この音…説明するの、難しい~!

痛かったら?
って どれくらいの痛さなの?
…ワタシなりには、我慢できる痛さが、時々襲ってくる…
痛い…やや痛い…
なぬ!!!
イタいぃ~~~!

律儀に 左手を少し上げて
思わず、声を 出していた

『おがっいっ!』
……
……
この悲鳴を、翻訳いたしますと、
口を開けたまま
舌を丸めて
『イタい!』
と思わず 叫べば、
『おがっいっ!』
と なっちまいました。
綺麗な?お姉様は
「ゴメンなさい。もう少しです。頑張って下さい」
と 励まして下さった。
顔に 白い布を半分、かけられて
口だけを さらされて
その 口から

『おがっいっ!』

考えてみたら、左手を上げることに なっていたんだ…
叫ばなくて、良かったんだ。
手より先に口がでる…?
気の長い オバサンに成人してしまった。

最近、ちまたのギャル達の間で
《付け八重歯》
なるものが、流行っているらしい。
笑うと口元から、チラッと見える八重歯が、愛嬌があって、可愛い系女子力アップに一役買っているみたいな?
八重歯ガールか…

ワタシにはその
八重歯が ある…
昔から コンプレックスだった。

笑うと 八重歯に上唇がひっかかって、元に戻らなくて、苦労した。唇が乾燥でもしていたら
ますますひっかかったままで、口を開けたままの、悲惨な顔になる。

ワタシは笑うことが、苦手だった。
口を開けないように、努力して笑うと、ただの《思いだし笑い》を一人でニンマリと、しているような?
印象の悪い、女子に見える。

ガッハハと 大口を開けて、笑えるようになったのは、早い話が、
《女を忘れて》
しまった頃からかも?知れない。

これでは いけない!
オッサン化しては、いけない!
と 念仏のように、言い聞かせてみても、すでに、手遅れ~!

セルフのガソリンスタンドの、入れた紙幣が、何度も何度も、返却される。
同じ声の女性の声が、投入口の中から、ワタシに喧嘩を 売ってくる。

《現金を追加される方は現金をお入れ下さい》
《現金を追加される方は現金をお入れ下さい》
さっきから、入れた千円札が すぐに手元に、返却される。

《現金を追加される方は現金をお入れ下さい》
さすがに、腹がたってくる。
窓口の係に、言っていけば、済む事なのだけど、ワタシの今、戦っている相手は
投入口の機械の中の女の声!
格闘すること…
20回!!!以上!!!
知らない人が見たら、ヤバいオバサンに、見えたかも知れない?

勝利したワタシは、
三千円分の灯油を、購入し、山に帰った。

そろそろ 雪はくる。
なんか、ワクワク。

昔は、練炭の暖だけで、冬を過ごせていたのに…
身体は、何十倍も寒がりに、なってしまった。

そうだ…
ワタシは 寒がりな、
《女の子》なのだ。
明日から、女の子らしく、
『寒い~ねぇ~♪』
と 挨拶しよう。
今までのような、言葉は、脳みそから、消去しよう~

『さぶいの~さぶうなったな~がいにさぶいな~雪~降るな~』

本日の写真は
キレイでしょう~!
ココロに 愛を!
瞳に 風景を!
歯を 大切に!

草 々









































冬点描 松山にて

2011年12月05日 | Weblog

山頭火終焉の地に冬日和

湯の町に下駄の音さゆる冬の朝


朝方は冷え込んだが、快晴の冬日和であった、何時ものように四国の道の瀬戸風峠を越して
道後温泉に下りるコースを散歩する。

峠付近の紅葉もこのところの冷え込みで色を増して冬晴れに映えて美しく輝いているなかを
爽快な気分で峠を越して下り、足の調子もまあまあなのでそのまま西に1kほど足を伸ばして
山頭火終焉の一草庵まで散歩する、自由律の俳句と放浪、托鉢、酒に溺れた山頭火。

一草庵に座して、お茶を頂きながら案内の方と山頭火について話をして盛り上がること一時間あまり
最後は黙して山頭火の生き様に想いを巡らして辞する。


数奇な運命に弄ばれ、放浪と托鉢と酒に溺れる長い年月の末に、松山で終の棲家となる
「一草庵」を見て「落ち着いて死ねそうだ」と喜んだという。


酒豪ぶりは本人曰く泥酔への過程は「まず、ほろほろ、それから、ふらふら、そして
ぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」の状態であったそうである
酒と俳句については「肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒だ」と語っている。


最晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで
そこから生まれたような一生だった」と書いた

「前書きなしの句というものはないともいえる、其の前書きとは作者の生活である
生活という前書きのない俳句はありえない」生活を前書きにした句も自由奔放である。

日記に「所詮は自分を知ることである。私は私の愚を守ろう」
















冬紅葉の儚い一瞬 瀬戸風峠ー山頭火庵ー神社ー石手寺














































































































種田山頭火終の住み家 一草庵 改築の姿





















奥祖谷冬点描  暮らしの冬風景

2011年12月02日 | Weblog
旅にくれ一遍上人孤独なり念仏行脚たびに果つれり

冬の日に雪ふる前の山さとは冬耕の鍬さゆる音さみし

山かげの今井のさとにすむ友の絵手紙とどきて息災を知り



寂莫と上人像に十二月 (寶厳寺にて室町中期作国重文の一遍上人立像を拝観して)

冬日射す刹那を追ひて我を見し

震災の年や過ぎぬる十二月

縁側に老女の三こと暮早し

冬点描 松山にて

先日の寶厳寺訪問では時間的なこともあり、上人立像の拝観が叶わなかったため
寺務所に予約して帰り、12月1日に拝観に訪れた。
相変わらず、どんよりとした冬空に、時おり薄日がサッと境内を射す、その様は
我がこころに宿る邪悪な心を抉り出して、すべてを棄てろと云わんばかりであった
一遍上人について、詳しくは存じあげてないが、我が心に響いて来る教えのようで
今後深く教えを学んでいきたい高僧であると思っている、見透かされたようで
萎縮もし、緊張した。

ちょうど境内に30歳前後の女性が静かに説明文を見ていた、観光のひとのようだ
躊躇したが、上人立像を拝観できる旨を話して一緒にどうですかと声を掛けると
ちょっと驚いた様子ながら、小さいが透き通った弾んだ声が返ってきて
「よろしいのですか、ほんとに、ありがとうございます、うれしいです」

寺務所の呼び鈴を押すと、住職の奥さんが出てきて本堂に回るように案内された


靴を脱ぎ、木の階段をあがる、年輪が浮き出て厚い板が持つドッシリとした
安定感、本堂の扉の前に立つと静かに扉は開き
住職の奥さんに中に入るよう促される。


目に飛び込んで来たのは、中央に金色の阿弥陀如来像、思わず頭を下げた
そして阿弥陀如来に向かって右に奥まって、一遍上人立像が簡素な厨子に安置されてあった
ロウソクと線香を供えている間、ボーと突っ立っていたが、
「どうぞ、近くに来て拝観していいですよ」と促されて、息のかかるくらい近くから
拝観する、思わず手を合わせて拝む。

上人の鋭い眼光に射竦められる、正視できないきびしいお顔だった
年月で黒く煤けてはいるが、立像は一mあまり、太く秀でた眉、意思の強さを
示す口元、慎ましい合掌、裾短い法衣からあらわれた素足、崇高なお姿に拝して
思わず一二歩後ずさりして、南無阿弥陀仏とお祈りをした。

隣の女性も同じ思いであったのであろう、ふっとため息を折らして後ずさりされ
祈られておられた。

凛とした空気、寂莫として厳しい空間のみがあたりを包む、一時の出来事に
すべての存在を忘れる想いであった

拝して辞する前に奥さんから、上人様について色々と説明があり、想いを
深くした、奥さんは御住職の書かれた「南無阿弥陀仏」の札をくださった

奥さんに深くお礼の挨拶をして本堂を辞して境内に下りる、女性はやはり
東京から来た観光のひとであった、話しでは仏寺や仏教の展覧を見るのが
好きらしくて、先だってあった空海の展覧、今開催している法然と親鸞の
展覧を見たと云って、
「今日はお声を掛けていただいて、ほんとに有難く思います、偶然にも
ご褒美をもらい、この旅の深い思い出になりました」と
自分は道後を楽しんでくださいと挨拶して寶厳寺をあとにしたものである。








テラオ兄さんの絵手紙 今井から猪ノ丸山の朝焼け












テラオ兄さん携帯写真 冬の風景