秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷夏の残像

2008年08月29日 | Weblog

我が家の火鉢と自在かぎと鉄びんとコールマンのランタンとめんめ塾のポスター

祖谷の夜は静まりかえっています、夕方一時帰宅の喧騒がありますが
それを過ぎるとピタッと物音がしなくなり、夕闇が徐々に迫ってきます
林道はくねっていて、近所の家は杉林で囲まれていますので家の明かりは
勿論生活の音さえ聞こえません。

4年ほど前久保集落に来た頃、近所の人達に歓迎会を近いお家でして頂き
ました、雨の日で夕方お邪魔して楽しく過ごし11時過ぎにお開きにし
帰りかけましたが道が判らず墨をひっくりかえしたように真っ暗でした
已む無く返して懐中電灯をお借りしました、以後夕方出かける時は電燈を
持って出かけるようにしています。

夜中の2時、3時ごろに目を覚まして外に出ますと晴れた夜は満天の星が
きらきらと、そんなときは椅子を持ち出して朝方近くまでじっと眺めて
いることもあります。

たまに近くで獣の気配がすることも、猿、猪、山ウサギの類なのでしょうか、
判りませんが獣の騒ぎで目を覚ます事がありますし、軒先に吊るした玉ねぎ
を狙っていた猿を見つけたことがありますから。

自然の思し召しのままに生きることを土地の人たちは長年の生活から学んで
いるのでしょうか、なにごとにも自然に聞いてからしわしわ(ゆっくり)やらんかえと。


奥の井集落の娘さんの家に身を寄せている中尾ばあちゃん(87歳)は20年前
にはあの寒峰の登山口住吉神社から反対周りに登る登山道の1000m地点にある
空き家(磯谷家)の直ぐ下に住まわれていたとのこと。

まだ林道が付いてない頃は下の下瀬集落から荷を背負って赤道を歩いて荷揚げした
ものよと云っておられた、しんどいと思ったが苦労したとは思わなかったと笑って
いた。
87歳とは思えないほど張りのある綺麗なお顔をしている可愛い元気なおばあちゃんでした、いつまでもお元気で。






奥祖谷夏の残像

2008年08月23日 | Weblog
夏山の熱き想いを朝な夕なに祖谷の山々に祈りて
しずかに山中を彷徨い歩いて自然に還りたい
風が流れて初秋の匂い、夏の残像を包んで行く

自然、山、花、風、雲 の時空間に私を委ねて流れるままに生きていますと
なにを感じているのだろう、山は、花は、風は、雲は と
いつのまにか私は が無くなっています。

自然界はいま受難の時代のような気がします
人間が主体で自然界を見ている思想からきているのではないでしょうか
個人主義をはき違えているのでしょう、私が主体の思想が極端に主張されます

それは登山においても例外ではなく、私が歩いたルート、私が見た綺麗な花として
強調されて情報化され流れてゆきます。

「山には、花には ひと夫々の楽しみ方がある」と 人間主体の思想で人間に
都合のいいまやかしの主義、人間の欲望を満たすためのわがままな言い草。






奥祖谷夏の残像

2008年08月23日 | Weblog
消費生活が当たり前の社会になりますと消費しない者は罪悪感を催すのでしょうか
犯罪にさえ新商品が現れて真似をする不届きものさえ出てきました。
この消費社会に居りますと忙しいのなんの、暇にしているのが悪人のように思われるのでしょうか、時間さえ大急ぎで使いきろうとしている人が多いことか。

そんなこんなの生活をしていますと人は段々と欲望が膨らんできて並大抵の
欲望では堪えきれなく貪欲に消費しようと必死になり、為政者、企業の思う壺
に嵌ります。

「足るを知る」という言葉がありますが、それは昔の言葉になってしまい今は
「欲望を奪い取ろう」が旗印、なんとも殺伐とした風景になってしまいました。

人の貪欲な欲望は祖谷の山々にも及んでいます
いたるところに付けられた登山道、それを真似する人達によって段々と広がりを見せ、はげ山になりそうな勢いですし、貴重な花々は踏み荒らされて花の墓標がいたるところに立てられることでしょう。
ネットや口コミによる情報が大変なスピードで伝わり押すな押すなの入山ですが
「10人寄れば10人の山、花の楽しみ方があり、文句を言うな」を合言葉に
貪欲な欲望を満たそうとしているのでしょう。
この言葉には魔力があって、これを突きつけられると誰もが逃げ腰になって鉾を納めるようです。
欲望を抑える事が出来なくなった花ずきな人達は先日に撮った写真が出来が悪かったからというだけで二度三度と足を運ぶ人もいますが、これはもう花が好き、花を愛すると云ってはいても花の墓標を立てるのに夢中になっていて呆れるばかりですが
今年は無理でも来年また写真を撮りに行こうなどと平気でおっしゃっています。

一度見れば3,4年待てないのでしょうか、そのようにみんなが心がければ
花へのダメージを少しは減らせるものを腹立たしく思います。
花ずきのおばあちゃん ターシャーの言葉に、「じっと我慢して待っていれば
素晴らしい花園に出逢うことでしょう」と云っているのに。


長年の消費社会から抜けられない私たちは自然、山、花を消費物としか捕らえられず、特に花はペット化される傾向にあり、ちやほや猫かわいがりしてポイ捨て当然荒らされてゆくことでしょう。

奥祖谷夏の残像

2008年08月23日 | Weblog
久保林道の木陰に腰を下ろして山々と霧の流れを眺めてぼーとしていることが好きでときには1時間あまりもじっとしています。
街の喧騒の渦のなかにいますと翻弄されて物事を考える事すら億劫になって
しまいますが、祖谷の山々に囲まれて時を過ごしていますと今まで見えなかった
諸々の事柄が見えて考えさせられることが多くなりました。

現代の消費生活社会をみて怒涛のごとく押し寄せる新商品や便利商品(企業のいう)を当たり前のように消費して捨ててしまう私たちの生活はほんとに豊かなのでしょうか。

経済至上主義の資本社会に人は翻弄されているようで私には納得できないのです
すべての物質、精神は消費のために存在しているを旗印に現代が動いているようです。
米国、日本、中国、インドなど東南アジア、欧州そしてあの精神至上を大事にしていたフランスさえ転向して一丸となって渦巻いています。

このようなことはほんの数十年前から徐々に浸透してここにきて怒涛のように
渦巻き、為政者、企業、人間を飲み込んでいます。

この精神が当たり前に為るのに時間は掛からずあっという間でした、で為政者は
国民を消費するものとして為政し、企業も右へ倣えで金儲けの対象としか考えず
そのなかで生活する私たちもまたすべてのものを消費するものとして捕らえて
平気なのかもしれません。

偏見の塊のような私のたわごとですが、消費社会から一歩身を引いて祖谷の山中
で生活していますと色々なことを考えてしまうのです。
祖谷ではおよそ消費とは縁遠い生き方をしていますが、なにしろお店は所々に2,3軒あるのですが、品数があまり無くてお金の使い道がない、池田の街に出かけようにも1時間30分は掛かりおいそれとは行けませんから、家にあるもので済ましますし、近所からの差し入れや自分で工夫して遣り繰りしています。

水道はなくて湧き水を台所に、洗面所は外にホースを引きドラム缶を半分にして
水を溜めて使い、便所は外にあり勿論水洗ではありません
気候のいい時は快適ですが、冬は大変です、50センチぐらいの積雪で雪が降っていますと雪を被りながらの洗顔、寒くてふるえます。

このような生活から街に帰りますとなんとも味気なくて息苦しく、おおよそ豊かな
消費生活とは縁遠くて、みなに囲まれているにも拘らず孤独を感じて祖谷に還りたい思いに駆られる始末です。

奥祖谷夏の残像

2008年08月19日 | Weblog
久保集落に居宅を借りて早くも4年になった、祖谷は山と渓谷が深く切れ落ちて
急傾斜崩落地帯が至る所にあり住人の住まいは大抵山の中腹に点在しています。

山の中腹には出水が湧き出していて住いをを建てるには適していますし木々に囲まれて隣の家とも一定の距離にありますのでほんとに静かに暮らせます。
ただ残念なことは木々が植林された杉林であることですが、これは戦後の政策の
残骸で、政策が誤りであったことの証拠みたいなものです。

ほんの4,50年前の祖谷の集落を何かの本で見ましたが茅葺きの家が雑木林の
中に点々とある風景は素晴らしかった事でしょうね。

それでも美しき祖谷の残像を思いがけずに発見して感動の渦に巻き込まれることも
あります、なかでも僕が好きなところは西山のひょうごいしですが、祖谷でも
由緒ある場所なのでしょうか、何時立ち寄ってもなにか不思議な霊気が漂って身の
引き締まる思いがします。

久保集落のなかほどから向かいの天狗峠、天狗塚、牛の背と連なる雄大な風景は
何ものにも替えがたい風景ですが、特に初冬の霧氷、新雪を被った山々は忘れがたい祖谷の残像として深く胸に刻まれています。

奥祖谷夏の残像

2008年08月14日 | Weblog
可憐なコスモス一輪 祖谷の山々を恋しく想う
しずかな盆にかの人の墓前に頭を垂れ過ぎし日々

想うに人は逝き 土に還り花となり木々となる
涼しげな風にコスモス一輪 祖谷の山々を想う

しずかに佇み 祈る菜菜子さんがいる

奥祖谷夏点描

2008年08月04日 | Weblog
風が流れて 霧が流れて あなたはそこにいた
朝露にしっとりとした 清々しい姿でそこに居た

私は朝露に濡れながら 静かにゆっくりと歩いた
あなたのそばにいる心地よさを 噛みしめて歩いた

上のほうはまだ霧のなかのよう もう少しのあいだ
あなたのそばにいて 寛ぐことにしよう

奥祖谷夏点描

2008年08月03日 | Weblog
三嶺に祈る

山に憧れ歩いた 祖谷の山よ
清く聳える峰峰は 二人を待っていた

お花畑に抱かれた 君はいつも
歩く幸せいっぱいに 瞳を耀かせ

心優しい君は 花に微笑みて
祈りのような眼差しを ぼくは見ていた

いつも二人で歩いた 祖谷の山よ
熱き想ひを胸に秘め 今日も山に入る



奥祖谷夏点描

2008年08月02日 | Weblog
いまだ涼しげな風が吹き抜けて心地よい1791mコブに姿を現した私を
三嶺は目ざとく見つけて優しく慈しみの眼差しで私を見つめた

見慣れた風景なのに私は祈るような感動が走り忽ちのうちに三嶺の自然の
なかに包まれてしまった