秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

道後湯の町初冬点描 湯の町暮らしに里山の冬モミジ楽しむ風景

2016年11月25日 | Weblog


冬枯れのときを迎えて、豊満な満ち潮を満たそうと一段と色を染めんとするも
及ばない葉っぱの嘆きの語らいに耳を傾けて厳しい冬をやり過ごして来春の芽吹きを夢見る、

いまを、透明感漂うかなしみの質感に想いを馳せながらそれぞれの木々が葉を枯らすもの、落葉するものへと
変化の時間を刻んで長い冬枯れの風景と移行する自然のすばらしさを感じている


















































































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道後湯の町初冬点描 湯の町暮らしに初冬の山々を歩いて思うこと

2016年11月13日 | Weblog


歳を重ねるごとに、身体の衰えは覆うべくもない、特に脚力、筋力は年々目に見えて衰えてきた、9月に不注意にも転んで尻を打撲し
大事には至らなかったものの完治に一ヶ月を要したことは筋力に大きく響いてしまった
秋の紅葉時期に祖谷入りもままならず今年は一番いい祖谷の風景を楽しまないままに終わったのを残念に思う

ただ、祖谷入りは出来なかったものの、足腰が良くなるに従いじっとして居れない性分なので、松山近辺の山々を歩いてみたくなった
やはり、真底、自然のなかにちょっとでも長く居たいし、どんな山でも山中を彷徨ってみたい衝動は抑えがたいものがある

季節が移ろっていく狭間に束の間のかがやきを吐き出す自然になんとも云えない郷愁を覚えて、なにがしたいわけもなく
自然のなかに身を置いてそこで語られている、あるいは、現れている木々の様子を伺い、風の質感を想い、匂いの質感を嗅ぎ、空を仰いで
目を閉じて、数時間を過ごし、自然の根っこと幹の沈黙の奥底に震えながらも、その根っこと幹を見据えてすべての質感が圧倒的に身体を
脳を、覆い尽くしていく感動をうれしく感じている

圧倒的な自然の質感にすべてが帰依して空に帰していくような、よろこびと云えようか
見るもののこころを美の質感と感動へと誘うのであろう


幸いにも、愛媛の山々は歩いてみるかぎり、あまり、荒れていないようである、確かなことは云えないが
下草や笹原、木々に於いても、まだ瑞々しく生い茂っている
登山者が急激に増えているものの、いまのところ、本来の自然らしさを辛うじて保っているのであろうか
これからのことは判らないが、出来うる限りにインパクトを与えないように歩きたいものである







































































































































































































































































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菜菜子の気ままにエッセイ( 紅葉狩りのお時間です~最終回♪ )

2016年11月10日 | Weblog


前略。
テレビがなくても、苦にはならない 日常になった。ニュースは朝 長い通勤途中に車載のテレビで、十分に視聴できる。
※良い子な大人は絶対に真似しては、イケマセン。
ストライプカラー混ぜ混ぜバージョンを見ながら、ふと、考えた。
テレビって、生活を営む上で、必要なんだろうか?
でも、娘達が帰省した時は、きっとテレビが映らないと、こう言う筈なんだ。

『母ちゃん、ヤバいだろう。テレビは、いるよ~~』
……と言うことで
とりあえず、電気屋さんのドラえもんに、聞いてみた。
ドラえもんさんは、ワタシに声をかけられたら、何か悪い物に出くわした様に、一瞬お顔が、ヒキツル。
ワタシの何がコワイのか?顔をヒキツラセタ後で、
『へっへっ』
とちょっと 微笑う。

斯く斯く然々
結果
新品で欠陥品の部品を交換した、出戻りのテレビが 一台、あるらしい。

料金もお手頃。
ちまたでは、これをリーズナブルと 言う。
このカタカナ文字が増えるたびに、日本人は美しい日本語と、道徳心とか、慎むとか、色んなことを、失くしていっていると、思う。
最先端だろうが、世界だろうが、一個人の寄せ集めが、世界なんだから、
何だかんだ言っても、
『食べて寝て、無事に排泄物を出す』
この有難い基本に、人生を楽しむとかの、装飾品が付いてくる。

久しぶりに話が逸れた。

で、新しいテレビを設置し、お金を払おうとしたら、ドラえもんが、嬉しいことを、ツブヤイタ

『1年間、無事に映ったら、お金貰うわ。』

ここで、普通のオバサンなら、
「じゃあ、1年後に、支払いますね。ありがとうございました」
と 話はサッサと終わるが、
ワタシの性格は、非常に下品で ゴザイマスル。

立ち去ろうとする、ドラえもんに 聞いた。

『なぁ、なぁ、1年と1ヶ月で壊れても、お金払わなイカンの!?』
『1年と2ヶ月なら、どうなるん?』

ドラえもん、やっぱり
へっへっと 微笑って、
「1年半くらいで、ええわ~」
と 言って下さった。

感無量になって、玄関先までドラえもんを見送り、彼の背中に声を掛けた。

『長生きしてよぉ~』

彼は 風の様に 立ち去った。
……後は、このテレビが、1年と5ヶ月くらいで、壊れることを 願うばかりだ。
こんな 卑怯なオバサンから、
爽やかに、秘境で毎日いろいろ頑張っている、つむじんこちゃんの、モーニングカフェの宣伝ですよ~

11月13日
日曜日
8時から 場所は前回と同じで
落合重伝建地区の
(なこち)です。

紅葉は 黄色を中心に、見頃になり始めました。
大歩危峡も 今からですよ。気温は やっぱり おとべえさんに 聞いて下さいね。
今年は 初雪が2週間くらい 早くなると思います。雪の匂いが致します~
お風邪を ひきません様にお身体、ご自愛下さいね。
かしこ

































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命日に寄せて( SAーNE)

2016年11月02日 | Weblog


十年前の昨日。
病院を後にした時の、虚像な世界に見えた蒼い空を、今も忘れない。
掻きむしられた絶望感のまま、ただ過ぎた数年間。

冷たかった身体。
氷よりも冷たかった身体。
固くなって
動かなくて
話さなくて
『死』は
単純に 悲しい。

春夏秋冬に当てはめることも 出来ない季節
哀しみには 温度はない
『死』は
単純に 哀しい。

10年前
『仏』になった主人の為に、まだ何かを尽くしたくて、なにかしらの答を求めて、様々な宗教の本を読んだ。
数日で般若心経を暗記し毎晩唱え、
それが絶対だと限らなくても、ひたすらに、『あの世』を疑うことなく、『あの世』を探していた。

永遠に解けない世界なんだ。
永遠に答のない世界なんだ。
永遠に判らない時間を、ただ誰もが模索しながら、誰もが、消えていく。
消えていく為に、繋がっている
『今』という一瞬。

娘達の中で
わたしの中で
夫は 今も一緒に生きている

お墓の中にも いない
お仏壇の中にも いない
わたしの 心の中で
生き続けている

別れがあり
出会いがあり
その全ての小さな小さなココロの温もりが
『今』を生きる チカラに代えていく

蒼天の空に続く空はなく
この空のみ
空のみと 知る

10年目の合掌。
草 々
























































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