山の展望は、そこにいるだけでよい、なにもいうことなしだ
見渡す限りの剣、祖谷山系の山々はほとんど登っていて瞬時でも、そこにいた、わけだ
山里の暮らし、そこで暮らすだけでよい、苦しかったり、哀しかったりしても
しずけさ、やすらぎ、たのしさ、などなどをじぶんで生み出せたら、そこにいる、は最高だ
ひとの居場所は、そこにるだけでよい、なんだよな、そこが暮しよい居場所なのだよね
ほんとうの最後になるときに、そこで微笑んでいられたら、なにもいうことなしだ
あれもやりたい、これもしたいと思っても、出来ることはしれたものだ
やり残したことがたくさんあるものだ、そんなものだよね
後悔したくないから、前に向かっていこうということだろうが
どんどん暦はめくって過ぎていき、一日がすぎ、夜がきて、眠って夜が明けちまうものよ
怠惰に流されて、ぐずぐずしていて、埒が明かない、根っからの不精は直らないものだ
しかし、この年になるとそんなに人生、思うようになるものじゃない、大したことが
出来るわけでもない、と開き直って鷹揚に構えられるから、不思議なものだよ
挙句の果ては毎日が、ああ、おもしろいなぁと味わって過ごせたらいいよなと思っちまう
なんとか生をまっとうして、ああ、楽しかったと息をひきとれたら最高だよね
最期の短い時間だけでも、笑顔でいられるようなことになったら、よかったということだろうな
なにが出来たからよい、というようなことは関係なく、ただ、そこにいること、がよいとされることを
誰よりもじぶん自身が望んでいることだし、それでよしと思うんだな
落合峠の祭り、敬虔な祈り