秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷初夏点描 山の展望、、、山里の暮らし

2015年05月28日 | Weblog

山の展望は、そこにいるだけでよい、なにもいうことなしだ

見渡す限りの剣、祖谷山系の山々はほとんど登っていて瞬時でも、そこにいた、わけだ



山里の暮らし、そこで暮らすだけでよい、苦しかったり、哀しかったりしても

しずけさ、やすらぎ、たのしさ、などなどをじぶんで生み出せたら、そこにいる、は最高だ

ひとの居場所は、そこにるだけでよい、なんだよな、そこが暮しよい居場所なのだよね

ほんとうの最後になるときに、そこで微笑んでいられたら、なにもいうことなしだ



あれもやりたい、これもしたいと思っても、出来ることはしれたものだ
 
やり残したことがたくさんあるものだ、そんなものだよね
 
後悔したくないから、前に向かっていこうということだろうが

どんどん暦はめくって過ぎていき、一日がすぎ、夜がきて、眠って夜が明けちまうものよ
 
怠惰に流されて、ぐずぐずしていて、埒が明かない、根っからの不精は直らないものだ

しかし、この年になるとそんなに人生、思うようになるものじゃない、大したことが

出来るわけでもない、と開き直って鷹揚に構えられるから、不思議なものだよ

挙句の果ては毎日が、ああ、おもしろいなぁと味わって過ごせたらいいよなと思っちまう

なんとか生をまっとうして、ああ、楽しかったと息をひきとれたら最高だよね
 
最期の短い時間だけでも、笑顔でいられるようなことになったら、よかったということだろうな
 
なにが出来たからよい、というようなことは関係なく、ただ、そこにいること、がよいとされることを

誰よりもじぶん自身が望んでいることだし、それでよしと思うんだな
 

































































































































落合峠の祭り、敬虔な祈り

奥祖谷初夏点描 山を歩く

2015年05月25日 | Weblog

曇り空ながら、穏かな一日をぼくのわがままを受け止めた友と一緒に山を歩く

黙々と歩く、初夏の空気を身体に流して、ただ、もくもくとあるく、あるく

あうんの呼吸で、ぼくを見守ってくれながら、友はあるく、木々を調べ確かめて

今年、数え年で傘寿を迎えるぼくは、呼吸を整え、休み勝ちながら、もくもくと歩く

風景が、木々や草花が、すべてを受け容れて剥れていまがあるように、ぼくも身に

纏ったものをひとつ、ひとつ、、自然に剥れていければ、いいのになあ

ただただ、それを想いながら、かすかに聞こえるアカショウビンの切ない鳴き声を

時を忘れて聴く夕刻の山家にて




































































































































奥祖谷初夏点描 山家の五月初夏の景

2015年05月15日 | Weblog

萌えるような、若葉の、鮮やかな、緑葉に、山々を包み、山里を包み

山家を包み、甘く切ない匂いに身体は沈んでいく

山家に寛いで、何もしなくていい、ただただ、縁側に腰掛けて小鳥の囀りを

聴くだけだ、目の前に、手が届きそうなところに、いろいろな、小鳥が舞い降りて

餌を啄ばんでいる、どんな小鳥か知らないのが残念であるが、鳴き声を聴いていると

時を忘れてしまう、今年もやってくるだろうか、あの、アカショウビンの鳴き声が。

去年一昨年と続けて、山家の縁側で聴いたアカショウビンの鳴き声は忘れられないものだ

直ぐ近くの森にいるのだが、姿を見せない、滅多に森の外に出ることは無く、鳴き声は

すれど姿を見たひとはなかなかいないのではないかな

「キョロロロロロ~~キョロロロロ~~」と、燃える想いの、甘く切なく歌うような鳴き声は

一度聴けば耳から離れない、今年も聴きたいものだ、どうしようもなく聴きたい


祖谷の友より「今朝がた、アカショウビンの鳴き声を聴いたよ」とたよりあり


友聴くやアカショウビンの初夏の彩


























































まだ、お眼にかかれないアカショウビン

奥祖谷初夏点描 新緑に包まれ歩く

2015年05月09日 | Weblog

集落の赤道をしずかに、ただただ、新緑の風、匂いが身体を吹きぬけて去るのを

心地よく感じて集落から集落を徘徊する

山里の暮らしの見える風景に誘惑され、お年寄りの労苦やよろこび、やさしさに

惹きつけられて、出会える方との雑談に時の流れを忘れ、気ままに歩くと、すべての

事柄をすなおに受け容れている自分をいいなあと感じてしまう

年とともに山里の暮らしに馴染んでくると、苦労の耐えない暮らしにどうしても惹きつけられて

生々しい生と死の混在する暮らしに生きるよろこびを、ただただ感じてしまうのだよなあ





臥せてゐし新茶淹れるや老ひとり











































奥祖谷春点描 春山に孫(幼稚園児)を連れて

2015年05月04日 | Weblog


おにいちゃんと幼稚園児を連れての山歩きは天気が良くて快晴、しかし気温が高くて

汗を拭いながらでかなり疲れた

登山道脇の雪の壁に興味を持ち大よろこびであった、頂上では「じいじ、素晴らしい景色だね」

と大人顔負けの感想で大笑い、岩のところで周囲の景色をきょろきょろ眺めながらおむすびを

美味しそうにパクついていた

下山後は奥祖谷かずら橋で野猿などであそび、いやし温泉で汗を流して、じいじが借りている

いおり「わとうち」に泊まる

まず、窓を開けてクサムシを戸外に追い出す、それを見ていた孫二人が僕がするとハエタタキの

上に乗せて外に出したり、はじき出したりしてあそび心でやっていた

そのうち、幼稚園児がお便所に行ったが、すこし、たじろきながら「じいじ、この家のお便所には

なんで、落とし穴があるん?」と驚いて云ったのでぼくと家内は吹きだしてしまった

水道は無く、湧き水を引いてきたり、すき間だらけで蟲たちがたくさん入ってくる家に泊まって

町のわが家とはちょっと違って、すこし不便な山の暮らしを体験したようで楽しかったようだ
























































































わが庵「わとうち」に泊まる

奥祖谷春点描 憂愁に秘めし色彩はかすみて

2015年05月01日 | Weblog

過ぎ行く春の物憂ひ風景にときの流れを感じて、華やかなりし行楽の日々に

物寂しさが漂ひ、いつしか気だるい想ひが身体を突き抜けて霞となり風景を包む

思ひのほか気温が高めに推移している昨今は初夏の装ひがじわじわと押し寄せて

汗ばむ心地すらしてくる

この季節になると、クサムシが冬眠から覚めてぞろぞろ、ぶんぶんと部屋のなかを
我が物顔で活動してくる、なにしろかなりの数であるからなかなか戸外に出すのも
大変である、潰すと途端に異臭を発するから始末が悪い、で、そっと外へ誘導して
無罪放免とするのが一番いいのである

傾きかけてすき間だらけのわが庵「わとうち」でのちょっとしたクサムシとの遊びごっこも
熱中してくると、時の立つのも忘れてしまいそうになるくらい面白いものである

一段落すると、縁側に座ってお茶でも飲みながら、小鳥のさえずりに身を任せて
ぼーとしていることもいいものだ

過ごし方はいろいろ、わが庵はテレビ、ネット環境もないから、大抵、山歩きや里歩き
集落のお年寄りとの雑談などで一日が過ぎてゆく、自然の成り行き任せであり
出たとこ勝負みたいなもの、そこにあるもので楽しく面白く遊ばせてもらっている

それなりに、ふらふらと長く生きてきたものだからものごとをせかせかと片付けなくても
だいたいこんなふうにといつのまにか収まってしまうものです

そのうちに、ああなったら、こうなったら、いいなあ、うれしいなあとおもっていても
思うようになるようでもないし、かといって、ならなかったから大変なことになるわけもない
いまが、たのしいから、おもしろいからやってみようぐらいでちょうどいいのではないだろうか





惜春や月日刻みし縁の節