秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷夏点描 暮らしの夏 山里に歩いて

2011年07月27日 | Weblog
夏山にひとり向かいて花一本

夏山の笹にもたるる花なりし




そこに咲いたのは偶然でしかない、小さな花たちを見つめられるのは
ほんの一瞬でしかないのだろう、明日にはいないのかも。

ひとり咲きの身なれば、子孫を残せるやら、危ぶまれる儚いこの世である
しばし、孤独を楽しもうか。
































































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奥祖谷夏点描 暮らしの夏 山里に歩いて

2011年07月25日 | Weblog
朝涼に歩けば苔の涼しけり


ときがながれ、かぜがながれ、ふうけいがながれ、じぶんがながれて
とどまろことなし。

























































































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奥祖谷夏点描 暮らしの夏 山里に歩いて

2011年07月23日 | Weblog
炎天を切り裂き食らふ青の屋根

かんかんと日照りに寝覚めねぶの花














































































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奥祖谷夏点描 暮らしの夏 山里に歩いて

2011年07月21日 | Weblog
ブルドーザ影にいびきの三尺寝

昼寝人うとろと転げ山の影

影ひろひ自他とも認め昼寝人


三尺寝とは職人などが狭苦しい場所で午睡することとも
日の影が三尺動く間だけ昼寝を許されたからだともいう。

昼時に林道を歩いていると作業員の人たちが木の影などを探して
三々五々昼飯のあと昼寝をしているのを良く見かける。

なかには探すのが面倒なのか、動きたく無いからか、土木機械の
ほんの少しの影を利用して昼寝している人を見かけると、あっ、もう少しで
影が無くなるよ、と声を掛けたくなるというものだ。

夏の気だるい昼下がりの昼寝ほどいいものは無い、ほんの少しの時間であってもだが
なかんずく1時間もあればそれは最高の至福のときである。

じっくりと山のなかを歩き、遠くには行かず樹や草花の生成変化を観察して
風の匂いを知り、動物の痕跡を訪ねる。
時に任せて昼寝を楽しみ、ぼーとして日を過ごすことはせかせかと忙しそうに暮らす
いまの世には怠惰のように思われて向かないのかもしれない。

しかし、じっくりと世の中の動きを見定め、観察力を養い、見間違うことの無い
考察を得るには良い習慣なのだが。

しわしわ歩いて、昼ねでもせんかえ













































































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奥祖谷夏点描 暮らしの夏 山里に歩いて

2011年07月18日 | Weblog
絵本作家 長谷川義史の絵本
「おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん」
じつにユーモアと笑いとどんでん返しの命のつながりを示唆する絵本である。

引用文

ぼくは5歳。幼稚園のたんぽぽぐみです。
おとうさんは38歳。おじいちゃんは72歳、白いひげが生えています。
「ねえ、おじいちゃん、おじいちゃんのおとうさんはどんなひと?」

おじいちゃんは、ぼくにひいおじいちゃんと、ひいひいおじいちゃんのことを教えてくれます。
「ねえ、ひいひいおじいちゃん、ひいひいおじいちゃんのおとうさんはどんなひと?」

さあそこから、どんどん時代がさかのぼります。
ひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひい・・・・・・・・。

時がどんどん遡っておじいちゃんからおじいちゃんへ、そのまたおじいちゃんへ……。
たどり着いたところは、原始時代!「ぼくのおじいちゃんはおさるさんなの?」

そして最後に 「ぼくは、だれのおじいちゃんになるのかなあ..」

「ひぃひぃ」と読み聞かせて一瞬徒労感をも覚えるが何遍も繰り返すうちに
歴史と宇宙を感じ、命が繋がっていることを想い、感動すらしてしまう。


子どもの素朴な疑問から生れた何気ないテーマが、ふと自分のルーツ
「輪廻転生」を考えずにはいられなくなる哲学的な絵本である。


「だれのおじいちゃんになるのかなあ」?未来に命が繋がっていくのでしょうか
放射能汚染が繰り返されるこの地球の人たちが命をつなげてゆけるのでしょうか

荒れてゆくしぜんが、美しい自然に戻って
自然の命もつなげていけるのでしょうか?

最後のどんでん返し?にならないように。






































































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奥祖谷夏点描 暮らしの夏 山里に歩いて

2011年07月16日 | Weblog
行水を暫し楽しみ誰も来ず

庭に出で行水の声児にかえり




山の庵「わとうち」は林道から少し入ったところに周囲を杉林に
囲まれた静かな庵である。

林道入り口に一軒の民家があるのみで、民家もまばらであり
ときたま犬を散歩に連れ出す以外は歩く人もいない。

夏の暑い最中に汗をかき、気持ちが悪いときなど風呂を沸かすのも面倒だし
手っ取り早く裸になって庭で行水をするのである。

行水の最中にひとでも立ち寄ると、これは慌てるだろうともおもうのだが
まあ、なんとかなるだろうし、そんなことより、こんなに子供に還ることが
なんとも嬉しいものである。

山水であるから最初は飛び上がるほど冷たいが、そのうち慣れてきて
心地がいいものである。

気持ちは最高なのだが、ほんの少しの時間というか、数分の水浴びで
身体が冷えてくる、風邪を引いてもいけないので年寄りには充分楽しめる
行水である。

以前に居た久保の家でも、夏になると良く行水をしたものである
久保の場合は林道から、チラチラ見え隠れするので、だれも通らない頃を
見計らって行水する苦労があった。

子供の頃、街中の我が家でも庭での行水は毎日の日課であった
さすがに大人は風呂場でしていたが、戸外の行水は子供の特権であった
何処の家でもそうであったし、みんな得意顔であった。

いまでは見かけない風景となったからか、山の庵の行水は子供の頃を
想い出してくれ、懐かしい気持ちにさせてくれる。

山の生活はいろいろなことが、特に子供の頃の生活を彷彿とさせてくれる
道具、遊び、食べ物など、街中では味わえない事柄に出くわす。

自然に遊び、還る生活は、生きていることを実感して、明日の元気に
連なっていくのであろうか。












































































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奥祖谷夏点描 暮らしの夏 山里に歩いて

2011年07月14日 | Weblog
夕立風けぶる大雨運ぶなり

雷神の怒りし絵図の山庵

バケツ水逆さに返す大夕立

虹消えて茹だる暑さに巳を短め

日除蓑背負いし農婦見ぬ日なか

猛暑日や鎮め鎮めと簟

もいで来し胡瓜三本貰ひけり

献立に胡瓜もみして酒一本

山歩きヒュッテに求め飴湯のむ

炎天を山雲沸きて影落とす


































































































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奥祖谷夏点描 暮らしの夏 山里に歩いて

2011年07月13日 | Weblog
何かが足りない、生きてゆくことに何かが足りないと何時も問いかけても
霧に包まれたように、ぼやーとしか判らずに、時間のみが過ぎてゆく。

自然の織り成す風景に一時の憂さを忘れかけては、目の前の亡霊の欠片に
脅えて、山に逃げ込むのだが、それも詮ないことである。

茹だるような暑さに、都会生活の便利さという呪縛から逃れることや
街中では脳みそが腐りはしないかと心配して奥祖谷に逃避するのだが
此処もさすがに日中は暑い。

今時分では草刈機のうなり声が彼方此方で聞こえるが、潅木のなかで
遠く離れた場所であったりする。

日なかに集落を歩いてもひっそりとして誰も畑仕事に出てこないので
朝晩の涼しい時間には立ち話も出来るというものである。

すでに十余年の歳月が流れた、亡くなられた人たちも数知れず、山を下りた人たちも
数知れず、川のように過ぎ去りわが身もただ流れに任せて生かされてきた
老境に居るも何一つ実になることも得ることなく、死のごとく生きてきたように思う。


自然も人間も存在そのものが、まさに死という宿命をもって生きている限り
生成変化そのものであろう。
ならば、過去に固着することなく、自分を捨て去りて生成変化のなかに
身を置くのもいいかも知れない。
心を平安に保ちたければ、このまま自然を愛し、自分の心にも自然を持って生きることだ
つまりは自分の中に強烈な自然を持つこと。

自分の感性を、良く見つめ、分析できるようになれば、心の本質に触れることが出来
心の中の深い傷や複雑な感情も理解できるだろう。


人間の魅力のひとつでもある、抱いている漠然とした不安も
本当は実にたわいもないことだったりすることが多い
不安に光を当てよう、そうすれば不安の闇は消える。





























































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菜菜子の気ままにエッセイ〈草刈りと落雷と時々深淵〉

2011年07月11日 | Weblog

掃えども沸々と 沸きだす雑念は
雑草のごとき 初夏の午後…

すんません…
主様を、真似てみました。

空が 素敵です。
雲が クッキリです。
真空パックから、取り出したような、ホカホカの雲が、
スカイブルーに 浮かんでいます。

明けたのですね~!
梅雨…
今年は バタバタしていて…?梅雨入りも梅雨明けも 上の空?

一人暮らしでも、
主婦は 忙しい…

気がつけば、梅雨の間に、使わなかった部屋は、カビだらけ。
財産と 部屋数は、比例しない。
我が家は、なぜか?部屋数だけは 多い。
多い分、手入れが大変だ~

窓を全開にして、拭き掃除をする。
めちゃくちゃ、女子をする。

午後から 向かう先は、ヴヴヴ星人宅。
本人は 体調を崩して、先月から高知の娘の家に 行っている。

ヴヴヴ星人は、おそるべし!
高知を訪ねた、ワタシを見送る時、帰り際、サラリと言った。

「菜菜子さんよ~家の廻ら頼むぞよ~」

……で
本日午後、草刈り作業開始っ!

今年の草刈り機は、機嫌がよい!
エンジンが、ニ、三回でかかった!
いつもなら、歌舞伎役者のような顔で、眉間に縦シワをいれなければ
かからなかったのに、めちゃくちゃ好スタート!

オッサン化した、体力で、刈っていると、嫌な雨雲の気配…

ぽつんぽつんと、
綺麗な頬に、雨粒が落ちてきた。

しばし、休憩。
車の中に 逃げる。
巨大な桜の木を、少し避けて、車を止める。昔、この集落で、落雷により
命を落とされた方が、いると聞いている。
だから、雷には、神経質になる。

「生きていくの、面倒くさい~」
と 思う自分と、
「今、首にタオル巻いて、カッパ着たまま、雷には打たれたくない~」
と 思う 自分と
どちらも、本音な訳で…
水分の蒸発した、乙女の脳みそは、複雑だ。
で…
雨は、止んだかと思えば、また、降り出す…シブトイっ!

この家から、数十人が、都会に出て行った。この家は、永い永い年月の間、見送りと出迎えを
繰り返している。屋根の色は、褪せたが、いつも包み込むような風格が、そこにある。


埼玉に住んでいる、いとこに、震災の時、暫くして、電話をかけた。

『これから先、埼玉で住みにくくなったら、帰ってきなよ!みんなの生まれた、故郷なんじゃけん!家なんじゃけん!』

※自分の家でもないのに…ヴヴヴ星人の家なのに…ワタシって、
なんちゅう?テキトーな奴!

でもね、
伝えたかったんだ!

『帰る場所が あること』を!

だから、頑張れって!頑張れなくなったら、帰って来いよって!


就職して 久しぶりに味わう、
休日を待つ、楽しみ!久しぶりに、味わう、休憩時間の 嬉しさ!

『頑張って今の仕事、続けるわ~!』
と ワタシは娘達に言った!

すぐに、長女が サラリと言った。

「そんなに思いよったら、せこいだろ!いつでも辞めれるって、思って、仕事した方が
ええと思うよ~!」


トイレットペーパーを、買い忘れる、うし女よ…
百円玉に、反応する、うし女よ…
ありがとうね。
ちょっと 楽になりました。

梅雨明けの空
探しに 来ませんか…深淵には、まだ、昔の祖谷が、残っています。

コテージもあります。キャンプもできます。
無口な、管理人さんが、います。
趣味は、知りません。あしからず…

お勧めです!
次回の 更新まで、
ワタシが 勤めていられるように、
コピーして読んで下さる、読者の皆様?
応援して 下さいね。

草 々
































































































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奥祖谷夏点描 暮らしの夏 山に歩いて

2011年07月09日 | Weblog
どの山域に於いても、自然は破壊されつづあり、勝手気ままに
山歩きをする時代では無くなったことを登山する人たちは肝に
銘じなければならない。

以前の時代なれば、山域が紹介されてから徐々に登山者が増えていたから
その山域の自然が傷みつけられるまでには4,50年の歳月を要したし
登山者の切れ目には回復もしていたが、今日では、ネットの紹介により
どっと押し寄せる登山者に自然の対応が間に合わず僅か4,5年で山域は
破壊の一途を辿っていることを自覚すべきときである。



http://ishi.i-yoblog.com/     NPO法人 石鎚森の学校 



































































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奥祖谷夏点描 暮らしの夏 梅雨に歩いて廃家

2011年07月07日 | Weblog
山百合の一輪咲いて廃家あり



静寂、寂寥と混沌が入り混じり何時も想うことだが
佇んでいると自然への回帰を彷彿とさせる。
ただ、違うところは廃家には人々の営みがあったことである
手垢に塗れた廃家には、此処を終いの住みかと定めた強い意志が
漂ったことであろう。


希望に支えられた山の生活、苦しいことや不便なことも家族愛で乗り越えて
生活したであろうが、長い人生のなかで何かの拍子に生活が狂い始めたり
すると、なんらかの打開策として、故郷を後にして、若い家族は山を下り
年寄りは山に残ることになったりする。

その年寄りも順次に亡くなられて、子供たちは町に住みつき、故郷は
遠くなってしまうようだ、いまも、どこかの集落でお年寄りが亡くなり
廃家となっていくお家が何軒もあり、何時も哀しくなってしまうのだ。





自分にとって廃家を訪ねることは祈りの風景に出会うことであり、すべてを受け入れて
ともに人生に祈り、自然に祈り、生きて祈りつづける旅なのかも知れない。
































































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菜菜子の気ままにエッセイ〈脱出と決心とケチなわたし〉

2011年07月05日 | Weblog
この数ヶ月、そうコテージの一件以来、
積み重ねてきた、祖谷での しがらみとか、その度に、我慢ばかりが、蓄積され…
真剣に 立ち止まって、自分なりに悩んだ。〈悩む〉
という事は、過去に於いて、余り経験が、ない。
〈悩んで〉も解決しない事は、初めから悩まないし、
日常生活で 悩む事と言えば、
アイスコーヒーのボトル入り、198円と250円《安いのは多分、水が多く含まれている筈…》
《250円はコーヒー豆の匂いがする…中身が濃い…》

で…悩んで両方を、購入する。

その点、かっぱえびせんは、悩まない。
必ず 裏切らない量。

で…
高知に お引越しをしようと、決断した。
アパートを ネットで探し、
某家電付きのアパートは、入室時は敷金、礼金がいらないが、
なかなか、退室時に、トラブルがあるらしい…
で…敷金礼金を払って、一般的なアパートに、しようと 思った。

ワタシは、若い頃から、たとえ、100円の物でも、同じ使用目的のものは、二個は買わない。
財布は ボロボロになるまで使う。
※化粧品についてくる、ただで手に入れたもの~!

お風呂桶、マット、なんでもかんでも、機能しなくなるまで、使い切る。
100円でも、買わない。
そんな、自分にケチな、ワタシがね…
新しい 家電を買って、別の住居を構え、生活できるわけが ない……
祖谷にたまに帰る度に、まさか いちいち、冷蔵庫や、洗濯機を移動する 体力もなく…

結果、
悩んで 悩んで
脱出は 今の時点では諦めた。

第二の人生を、
阻止したものは、今回は、市議でもなく、
喋らない、家電だった。
結果
通勤時間片道40分をかけ、自宅から通える場所に、
《就職》した。

脱出に踏み切れなかった、要因はまだある。
ヴヴヴ星人の世話。
そして、
息子娘達が、街に暮らしている為に、総合病院に自分で通えない
お年寄りへの、付き添いボランティア。
その他、もろもろのお世話。

ワタシがいなくなっても、タクシーがあるかも知れない…
ワタシがいなくても、福祉関係に 聞けば、なんとか なるかもしれないが、哀しいかな?
老人の聞きたい、解らない事を、きちんと教えてあげる人が、少ない。

《汲み取り》※トイレ
をどこに頼んだら、いいのか、そのおばあちゃんは、ずっと 困っていた。
ある 地区の世話役さんに聞けば、
「会員に入らないかん、4万くらいかかる」
と 言われたらしく、
その世話役さんは、
浄化槽と 勘違いして、説明されたのだ。

そのおばあさんの家は、どう見ても、ポッチャン便所。
※飯時の方々、ゴメンね。

汲み取りの依頼の、電話を、かけてあげて、おばあさんの、場所が解らないだろう!
と ワタシが先頭に走って※20分~場所を教えてあげて、
無事、汲み取りは終わり、おばあさんは、喜んでいた。
で…支払いが振込みになっていて、またまた、おばあさん、悩む~
ワタシが、現金を預かり、振込みをした。

これに 似たような、ボランティアを、何十回やってきただろう。
100回を越えているかも?しれない。

ワタシのかわりは、いない!
私利私欲の固まりは、沢山住んで、いるが?
ワタシのかわりは、いないような 気がする。
これを、祖谷弁で
《己を褒めるカサドクロ》
と 言います。
今だに 翻訳 出来ません。
ワタシは、自分が、関わった事とか、ちらっとでも見たら、絶対に、知らん顔は、しません。
キッチリと、責任を果たします。

《男気》のある人が、この村には、いません。スポーツジムは、ありませんが…
綺麗な人は、いませんが…
ジジババ~パラダイスみたいな 場所ですが、
ナルシストは、ワタシだけなので…?

待ってます。
片道90キロのウルトラマン様~!

新たな職場で、
ワタシは、昔、母が過ごさせて頂いた、三年間の月日に、施設職員として
初めて恩返しができます。

ありがとう!
コテージ管理人交代劇!
ありがとう!
デタラメだと 言ってくれた 市議さん。

ワタシは
初めて 萎えない待遇で、新たな人生を、始めました。
勉強になる事が、溢れています。

故郷を離れた、
皆々様。
ワタシに出来る事は、バンバン言って下さい。銭はありませんよ!悪しからず

《ええ顔》を
創る為に 優しいまいにちを
積み重ねていきます。
以上、近況報告終了。



















































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菜菜子の気ままにエッセイ〈お誕生日おめでとう♪〉

2011年07月02日 | Weblog
明日は、7月3日かぁ…ん…ん…
なんか、見覚えのある数字…
で…大事な事を 思い出した。

愛する 娘達の
結婚しない 娘達の
余り お金にも 縁のない娘達の
26回目の お誕生日!

来年も 独身なのか?
このまま、独身するのか?

高校を卒業してから、勤めた会社を、辞める事なく、頑張っている次女と…
※ワタシに似てなくて、感謝!主人に似たんだ!

高校を卒業し、働きながら、美容師免許を取得し、一度だけ店をかわった長女。
※ワタシに 似たんだ!すんません!

ボーナス組の 次女と、ボーナス無関係な長女。
恋愛に於いては、
次女は少々、昔のワタシに似ている。
まっすぐに なり過ぎて、相手が重く感じてしまう。
恋愛は、難しい。
女は、感情が、ストレートに出てしまう。
結果、1番悪い面ばかりが、剥き出しになる…

手打ちうどんみたいなもので…
平日に注文を、受けた物は、じっくりと作る事が出来るが、
超多忙な折りは、バンバン、打ち続けないと、間に合わない!バタバタ劇状態~!
恋愛だって、心がビッシリだと、錯乱状態に近い…
相手しか、見えない訳で、大好き度が、一杯一杯だと、溢れてしまう。
溢れた箇所から、悪い箇所が、バンバンさらされる。
距離を置くなどという、起用な事は、多分?男にしか、出来ない特技ではないだろうか?
なんで、こんな展開になるんだ?
なんて、テキトーなエッセイなんだろう。

長女は…
多分…男に生まれてきていたら、居酒屋チェーン店の店長さんでも
テキパキやっていけそうな?気がする。
※銭は ないが…

彼女達は、全く異なる、性質を持つ。

以前、ワタシが、
被災地にボランティアに行くと、言った時、半泣きになって、止めたのは、次女。

「母ちゃんが行くんなら、私も会社辞めて、一緒に行く…
もう、家族がいなくなるのは、嫌なんじゃ 一緒に行く…」
26才になって、母ちゃんと呼ぶか?
母さんか?お母さんか?ママか?母上か?
母ちゃんって、呼ばれたら、なんか、割烹着着て、糠付けなんか、作らないとイケない?
みたいな、そんな気になる…

で…長女は
開口一番、
「行きたいのは、判るよ…あれよ、あのな、毎月、母ちゃんの口座から
色んな支払いしよるだろ…そのお金は、払えるん?どうするん?」

『東北に行く前に、まとめて口座に、入れとくよ…』
母ちゃんは、ビビりながら、電話で、言った。

「そんなお金、あるん?」

『それくらいは…いける……』

「一人では行ったら、危ないけんな、オバサンって言うても
とりあえず女なんじゃけん、危ないよ!
団体と一緒に、行きなよ!気をつけて行きなよ…行けるん?
仕事辞めて、一緒に行こうか…?」

半泣きの次女と
口座引き落としを、心配だけする 長女と…
二卵性双子なのに、
めちゃくちゃ、似ている顔形…

昔、自〇車教習所の先生に、言われたらしい。
『どっちか一人だけ、免許とったら、一枚でイケるんじゃないか?』

たまに、ワタシでも、間違える時がある。
髪型とメークを、同じにされたら、時々、解らなくなる時が、ある…

いつも、いつも、
『父ちゃん』
を 大切にしてくれた、娘達。
主人の誕生日
父の日
家族で過ごした年月…
『父ちゃん』
が 大好きだった娘達。
今でも、自分達のアパートの部屋の写真縦に、主人と祖母の写真を飾り
何かしらをお供えしている…なぜか飴が多い…


来年も 独身か?
ずっと 独身か?

若いお医者さんとは、出会えないのか?
ゴメンね。欲の深い、母ちゃんで…

まいにち 自分のココロに 正直に
でこぼこでも キラキラの人生を
誰かの為に、我慢とか、諦めとかは しないで、《のるかそるかの人生》
を 愉しんで下さい。

※勝手に産んだ 母ちゃんより
草々



































































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奥祖谷夏点描 暮らしの夏 梅雨に歩いて

2011年07月01日 | Weblog
エコツーリズム勉強会、ちいおりにて
先進地の定着に至った過程を学んで東祖谷のエコツーリズムガイドラインについて
参考になるかもしれないと参加した。

エコツーリズムの主体は地域住民であり、地域住民のものになるかが
原点である。
地域で生きることの原点への回帰とエコツーリズムの原点への回帰は
地域の自然、歴史、文化のしげんを発掘して、住民が共有し地域への
誇りこそが他に左右されない自律的な地域として創造の場となり得る。

その観点から東祖谷エコツーリズムガイドラインの作成は急務であり
住民が一体となって地域活性化に取り組むべき事である。



































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