子供の頃、オンボロ家の窓から見た空は、とても大きかった。
やがて、気が付けば、欅の木々は高く茂り、私の空は、小さくなった。
空が、見えなくなった。
ほんの少しだけ、
見上げる場所を変えれば、果てしなく広がっていく、空があった。
深緑の山々の、稜線に縁どられながら、広がっている、あの頃と同じ空があった。
主人の、一周忌を無事に終わらせた日から、毎日、生きている事が、辛かった。
自分の糧としていた、娘達の成人式、母親を看取る事、そして、主人の生命を、温めながら生きた年月の幕切れ。
「頑張る」意味を無くした時、人間は孤独になる。
優しい言葉をかけてくれる友人、馬鹿を言って、笑い飛ばしてくれた友人、「食べなきゃダメ!」と叱る友人、「声を聞いたら、安心した…」とさりげなく電話をくれた友人、花を届けてくれた友人。
印刷されたような、励ましの言葉は、耳からすぐに抜けていったが…。
主人の存在が、抜けた場所に、溢れる程の優しさを注いで頂いても、そして、娘達との絆が強く存在しても、
私は、孤独だった。
一日を、適当に終わらせ、その積み重ねた月日に、季節というものが、摺り抜けて行った。
孤独とは、仲間の存在など、計りにかけられない程、深い、喪失感から生まれる。
一周忌が過ぎ、二年目の命日の夜、
いつもの時間に、父と母の仏壇に、お線香を上げ、座り込むと、不意に大粒の涙が溢れて、止まらなくなった。
昔、祖父の葬儀の夜、夜行列車で流した涙と、全く同じ涙の味がした。
泣きながら、不意に口にでた言葉が、
「父ちゃん…どうしよう…」
気が付けば、仏壇の傍に置いてあった、大切な箱を開けていた。
祖父からの、手紙。
父と母の巡業のノート、父と初めて唐津に行った時の、数枚の絵葉書。
大泣きしながら、一枚、一枚、見た。
どれ位、泣いただろう。泣き疲れて、暫くすると、心の中に、スーと届いた声を、感じた。
それは、祖父の姿だった。
唇をきっちりと結び、曲がりかけた腰を、伸ばすように、手を後ろに組んだ、祖父の凜とした、姿だった。
「元気バ、出せ!」
一喝した、祖父の声を 聞いた。
それは、遥か空から届いた、一本の道標のようだった。
そして、今日まで、
頑張れた。
三年前、
共に、夫に置き去りにされた友人が、
初めて髪型を変えた。新たな自分探しなどではない。
ただ、今を生きる為に。
ただ、今を繋ぐ為に。
私は、
初めて髪を伸ばした。浮かれた自分探しなどではない。
ただ、今を生きる為に。
ただ、今を繋ぐ為に。
三年前、
父を亡くした少年は、数日して、壁を相手に、キャッチボールをしていた。
昨日まで、お父さんと、投げあっていた。
お父さんは、一言、二言、何かしら息子をからかいながら、
息子のミットの真ん中に、確かなボールを、投げていた。
彼が投げたボールを、受け止める大人は、二度と現れないだろう。彼の時間は、お父さんと別れた、夏の時間、あの強い西日の中で、止まっている。
彼は、これから先、
自分自身に向かって、ボールを投げ続けるんだ。
そして、
いつの日か、大人になった自分自身が、必ず答を出すだろう。
私が、そうで在ったように。
彼岸の秋晴れの空の下
親類が集まった。
幼い子供達の、声が、原っぱにこだました。私と従姉妹の駆けた小道を、新しい命が、駆けて行った。
『昭和』という、悠々と流れた時代に、抱かれて駆けた、この場所で、
やがて空に帰る、その日まで、
私は生きていく。
まっすぐに生きていく。
秘境と言う名の山村からーー。
やがて、気が付けば、欅の木々は高く茂り、私の空は、小さくなった。
空が、見えなくなった。
ほんの少しだけ、
見上げる場所を変えれば、果てしなく広がっていく、空があった。
深緑の山々の、稜線に縁どられながら、広がっている、あの頃と同じ空があった。
主人の、一周忌を無事に終わらせた日から、毎日、生きている事が、辛かった。
自分の糧としていた、娘達の成人式、母親を看取る事、そして、主人の生命を、温めながら生きた年月の幕切れ。
「頑張る」意味を無くした時、人間は孤独になる。
優しい言葉をかけてくれる友人、馬鹿を言って、笑い飛ばしてくれた友人、「食べなきゃダメ!」と叱る友人、「声を聞いたら、安心した…」とさりげなく電話をくれた友人、花を届けてくれた友人。
印刷されたような、励ましの言葉は、耳からすぐに抜けていったが…。
主人の存在が、抜けた場所に、溢れる程の優しさを注いで頂いても、そして、娘達との絆が強く存在しても、
私は、孤独だった。
一日を、適当に終わらせ、その積み重ねた月日に、季節というものが、摺り抜けて行った。
孤独とは、仲間の存在など、計りにかけられない程、深い、喪失感から生まれる。
一周忌が過ぎ、二年目の命日の夜、
いつもの時間に、父と母の仏壇に、お線香を上げ、座り込むと、不意に大粒の涙が溢れて、止まらなくなった。
昔、祖父の葬儀の夜、夜行列車で流した涙と、全く同じ涙の味がした。
泣きながら、不意に口にでた言葉が、
「父ちゃん…どうしよう…」
気が付けば、仏壇の傍に置いてあった、大切な箱を開けていた。
祖父からの、手紙。
父と母の巡業のノート、父と初めて唐津に行った時の、数枚の絵葉書。
大泣きしながら、一枚、一枚、見た。
どれ位、泣いただろう。泣き疲れて、暫くすると、心の中に、スーと届いた声を、感じた。
それは、祖父の姿だった。
唇をきっちりと結び、曲がりかけた腰を、伸ばすように、手を後ろに組んだ、祖父の凜とした、姿だった。
「元気バ、出せ!」
一喝した、祖父の声を 聞いた。
それは、遥か空から届いた、一本の道標のようだった。
そして、今日まで、
頑張れた。
三年前、
共に、夫に置き去りにされた友人が、
初めて髪型を変えた。新たな自分探しなどではない。
ただ、今を生きる為に。
ただ、今を繋ぐ為に。
私は、
初めて髪を伸ばした。浮かれた自分探しなどではない。
ただ、今を生きる為に。
ただ、今を繋ぐ為に。
三年前、
父を亡くした少年は、数日して、壁を相手に、キャッチボールをしていた。
昨日まで、お父さんと、投げあっていた。
お父さんは、一言、二言、何かしら息子をからかいながら、
息子のミットの真ん中に、確かなボールを、投げていた。
彼が投げたボールを、受け止める大人は、二度と現れないだろう。彼の時間は、お父さんと別れた、夏の時間、あの強い西日の中で、止まっている。
彼は、これから先、
自分自身に向かって、ボールを投げ続けるんだ。
そして、
いつの日か、大人になった自分自身が、必ず答を出すだろう。
私が、そうで在ったように。
彼岸の秋晴れの空の下
親類が集まった。
幼い子供達の、声が、原っぱにこだました。私と従姉妹の駆けた小道を、新しい命が、駆けて行った。
『昭和』という、悠々と流れた時代に、抱かれて駆けた、この場所で、
やがて空に帰る、その日まで、
私は生きていく。
まっすぐに生きていく。
秘境と言う名の山村からーー。