新緑が、山々を駆け出しました季節の前略。
働き方を変えてから、どうしても真っ先に会いたい人がいた。
休日になり、彼に会うために、二人の友人と予定を合わせた。
15年以上経つだろうか。私の前の職場に彼は配達員として、祖谷に来ていた。好青年だった。
私がその職場を辞めてからも、隣の町だったり、何度となく彼の配送車を見かけることがあった。
車ですれ違った時は、軽く手を上げたり、軽いクラクションだったり。
隣町の小さなスーパーで見かけた時は、助手席に黙って缶コーヒーを置いたり、手渡したり。
会った時は、軽いご挨拶。暑いねーとか、雪の季節だねーとか。
私達は皆、誰かと繋がっている。
仕事上での連絡は頻繁にとれても、余り深い接点のない人と、
プライベートで連絡を取り合うこと等、ほとんど無い。
長い月日のご無沙汰を、失礼致します、誰もが同じ実情ではないだろうか。
コロナ禍で集まる機会も少なくなり、其々が持つ些細な情報交換も出来なくなった。
会社の方針に従順に過ぎた数年間。
疲労困憊だった数年間。
家族と電話する余力さえ残っていないのに、ましてや、
疎遠になっている相手に連絡する余裕がある筈もなく。
やりたい事があっても、全てが後回しになる。心に余裕がない。
余裕を持つ時間が取れない。この一年間に感じたのは、
『わたし…死ぬかも…』
そう、自分で気が付かないままに、自死しているかもしれないという、初めて感じた感覚だった。
それは死にたい!とかの願望では無く、解らないままに、実行するかもしれないと思う、
摩訶不思議な漠然とした妙な感覚だった。
そんな日々が続いたある日。彼の配送車とすれ違った。
彼は車を停止して、ハイテンションで何かを言った。
早口だったから、何を言ったのかも判らなかった。
明らかにいつもと違った彼の様子に、違和感を持ちながら、
ご無沙汰していた彼の同僚でもある知人にその事を伝える余裕もなく、月日は流れた。
去年の12月。その知人が癌を発症したと共通の友人から聞き、すぐに迷わずに数年ぶりに電話をかけた。
そして、彼が2年前に他界していた事を聞かされた。
私は、数週間。茫然自失が続いた。
全ての準備を詰め込んで、某峠に向かった彼の胸中を思った時に、やり切れなかった。
あのすれ違った時の異様なテンションは、亡くなる数日前だと聞かされた。
春の彼岸に、3人で彼のお墓に向かい、暫く彼に話しかけた。
悔しくて悲しくて、涙が自然に流れた。ただお墓を撫でてあげるしか、出来なかった。
出会う相手で、人は寿命まで、変えられるのかも知れない。
その出会いが正解なのか、間違いなのか、誰も判らない。判らないから、人は暗中模索する。
その時に差し出された誰かの温もりで、軌道修正出来る者。
それでも其方に向かう者。こんなにも人は、呆気なく終わってしまうのか。
無力だった私自身も責め続けた数ヶ月。余裕の無い心で、
生きるくらいなら、自ら、自分自身の環境を変えていくのだと決めた。
無思慮な者が親になり、
子供を産み、育てる。
生命の尊さを学ばない子供が、社会に放たれる。
一番大切なのは、泣けるくらいの人間臭さで、
一番大切なのは、お金ともポイントとも交換出来ない「愛」ではないのか。
そして、真っ直ぐな優しさではないのか。
燃やして無くなるものに、応えを求めてはいけない。
ココロだけは、いつも贅沢で有りたいと、私は思う。
とりあえず、今日を生きよう。
今日は必ず、明日へと繋がるから。
今が旬な祖谷の新緑。
自分探しに お越し下さい。生きて行くのは、自分の時間でございます。
草草